部屋を出るときいつも

とりいらの

部屋を出るときいつも

 彼女は部屋を出るときいつも、部屋を綺麗に整える人だ。キッチンの食器は洗われて、ベッドの布団は元通りにされて、ヘアアイロンのコードはまとめられる。

 人よりも少し繊細な彼女だから、外出前は特に、そういう細かいところが気になるのだろう。

 僕たちはどちらもマイペースな性格で、準備は毎度慌ただしい。時間に余裕があることはほとんどない。しかしそんな中でも彼女は欠かさない。僕は、というと、それには手が回らないほど切羽詰まっているので加わらない。「私がやりたいだけだから」と言って、彼女は一人淡々と整えていく。

 お互い一人暮らしの大学生。月に一度どちらかのアパートに泊まることにしている。今回は彼女の部屋。片道5時間かけて会う距離に住んでいる。

 その“今回”がいつもと違っていた。

 そろそろ出発しないと、という頃になっても、彼女が部屋を整える気配はなかった。その代わり、僕の手を握っている時間は長かった。

 きっと、今回は次に会う予定が確約されていないからだろう、と推測した。


           *


 私は部屋を出るときいつも、部屋を綺麗に整えたい人だ。キッチンの食器を洗って、ベッドの布団を元通りにして、ヘアアイロンのコードをまとめる。

 今日だけ、今日だけは彼との時間をできるだけ確保したくて、一人になってからやろうと後回しにした。時間は進む一方だった。彼が乗っていく電車の出発時刻に急かされ、家を出る。

 駅まで彼を見送って、独り自分の部屋に戻る。途端に寂しさが込み上げてきた。それは、彼がいない部屋だから、というだけではなく、彼がいた部屋だから、だった。

 二つ並んだマグカップにまだコーヒーが残っていること、寝ていた跡が残るように布団が丸まっていること、あれほど埋まっていたコンセントに空きがあること。そして、どこか彼の匂いがすること。それら全てが、この部屋に彼がいた証となって、私に彼を思わせる。

 気を紛らわすためにも、我に返って部屋を整え始めた。数日間ではあるけれど、この狭い部屋に二人で過ごしていたわけだから、隅々まで生活感に溢れている。ヘアアイロンのコードをまとめて、ベッドの布団を元通りにした。

 食器を洗う前に、マグカップに残ったコーヒーを飲み干そう。まずは私のほうを、次に彼のほうを。

 彼の残したコーヒーを飲みながら気付いた。そうだ、わかった。今までは“何となく気が済まないから”ということにしていたけれど。私が部屋を綺麗に整える理由、特に彼の部屋から出て行くとき、彼にこういう気持ちを味わってほしくないからだ。その意識が、次第に私の常となっていたらしい。

 私がそこで生活していたという跡を、できるだけ、残さないように。

 彼が、私がいない部屋だからということだけを寂しく感じるように。

 食器を洗って一息ついた。整えたばかりの布団にためらわず寝転ぶ。枕からほんの少し、彼の匂いがした。

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