招かざる客
その時、麗二が不意に視線を外し、シオンの後ろの方を見やった。シオンもつられて振り返ると、誰かがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。最初は鳩崎かと思ったが、よく見ると服装が全然違っていた。
その人物は深い緑色の〈ワンピース〉を身に纏い、つばの広い〈帽子〉を被り、長い取っ手と小さなタイヤのついた大きな箱(キャリーケースというらしい)を片手に引き摺っていた。さらに顔にはレンズの黒い大きな〈眼鏡〉をかけており、シオンには見覚えのない人間だった。だが、麗二はその人物を知っているようで、露骨に嫌そうな顔をしてその人物を見つめていた。
そうしている間にもその人物はシオン達の方に近づいてきて、ついには二人の前で立ち止まった。
シオンは改めてその人物を見つめた。帽子から覗く長い髪は麗二と同じ琥珀色をしていて、先端が巻貝のようになっている。ほんのり赤みが差した頬や、桃色に染まった唇の色は麗二や鳩崎とはまるで違っていて、シオンはこの人間が〈女性〉だと判断した。
女性はシオンのことが目に入っていないのか、麗二の方をじっと見つめている。麗二は麗二で、彼女の視線を迎え撃つかのように顎を引いている。
その時、女性がふっと声を漏らした。シオンが女性の方を見ると、彼女は口の端を上げ、麗二の方を面白そうに眺めていた。
「まったく、それがレディをお出迎えする態度? 久しぶりに会ったんだから、諸手を挙げてとまでは言わないけど、もうちょっと嬉しそうな顔してくれたっていいんじゃない?」
女性はそう言うと、かけていた〈眼鏡〉を外して軽く首を振った。ほのかに甘い、いい香りが辺りに漂う。はっきりとした目鼻立ちをしたその女性は、雰囲気こそ違うものの、どこか麗二に似ているように思えた。
「……何をしに来たんだ、百合さん」
麗二が低い声で言った。その声色だけで、この百合という女性を麗二が心底嫌がっていることがシオンにも伝わってきた
「見ればわかるでしょ?バカンスよ」百合が巻き貝のような髪を手で払った。「ちょうど仕事が一段落したから、休暇を取って、可愛い従弟に会いに来たってわけ」
「バカンスなら他にいくらでも行くところがあるだろう。何でわざわざここに……」
「わかってないわねぇ。あんたのことが心配だからに決まってるでしょう?」百合が大袈裟に肩を竦めた。「聞いたわよ、あんた、この前の縁談も断ったんですって? あんないいお嬢さんでもダメだなんて……。どこまで高望みすれば気が済むの?」
「……百合さんには関係のないことだ。放っておいてくれ」麗二がうんざりした顔で言った。
「そういうわけにもいかないのよ。先方の会社がうちの取引先の場合だってあるんだから。これはあんた一人の問題じゃないの。その辺りのこと、ちゃんとわかってる?」
「あの……」
会話についていけず、シオンは堪らなくなって口を挟んだ。そこでようやくシオンの存在に気づいたのか、百合はシオンの方を見たが、シオンの顔を見た途端、信じられないものを見たかのように目を見開いて息を呑んだ。
「……麗二。この子は?」百合がシオンを凝視したまま尋ねてきた。
「彼女はシオン。事情があって、今は僕の家に住んでもらっている」
麗二はごく簡単に説明したが、百合がそれで納得するはずもなかった。
「事情って……何、どういうこと?あんた、この子とどういう関係なの?」百合が麗二に詰め寄った。
「それは……」
麗二が言葉を濁した。百合は腰に手を当てると、下から覗き込むような格好でずいと麗二の方に迫った。
「……あの!」
そこで再びシオンが叫んだ。百合が顔だけこちらに振り向ける。その強い眼差しにシオンは気圧されそうになりながらも、負けじと言った。
「私、最初この浜辺に倒れていたらしくて、それを麗二が助けてくれたんです。だけど私、自分の名前や海のこと以外は何も覚えていなくて……。それで麗二が、私の記憶が戻るまでここにいてもいいと言ってくれたんです」
鳩崎や麗二が言っていたことを思い出しながら、シオンは懸命に説明した。
百合はなおも疑るような視線をシオンに向けていたが、やがて麗二から身体を離すと、ため息をついてシオンの方に向き直った。
「……そう、事情はわかったわ。あたしは
「ひしょ?」
「会社で地位の高い人の傍について、その人のお手伝いをする仕事のことだよ」
麗二が説明してくれたが、〈かいしゃ〉も〈しごと〉もシオンにはさっぱり意味がわからず、きょとんと首を傾げたただけだった。そんなシオンの様子を見て、百合はますます表情を険しくした。
「……とにかく、今日から一週間くらいはここに泊めてもらうから。部屋は余ってるんでしょ? 先に行って、鳩崎に用意させてくるわ」
百合はそれだけ言うと、大きな箱を引き摺ってさっさと屋敷の方へ歩いて行ってしまった。取り残された麗二とシオンは、遠ざかっていく百合の背中を呆気に取られて見つめるしかなかった。
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