死者の目

青井琥珀

ある男の手記

 あの一件から周囲の人間は私を狂人と見るようになりました。

 私は今、とある柵のついた酷く汚い部屋の中でこれを書いています。私の事を理解して欲しいのです、私は狂ってなんかいないと。



♢♢♢


 誰よりも彼女の事を愛していました。

 彼女は私が苦しんでいると、いつも明るく無垢な微笑みを向けて励ましてくれるのです。彼女なくしては生きていけない。

 人はこれを依存と呼ぶのでしょう。しかし、当時の私はこれを愛だと思い込んでいました。



 ある寒い雪の降る日のことでした。

 私は一身上の都合で、世間から逃げ隠れなくてはならなくなりまして、隠れ家として彼女の住むアパートへ向かいました。

 当時の私は貧しさゆえ、着ているものはボロく、靴底には穴すら空いていました。


 彼女の部屋に着きまして、インターホンが壊れているのか、何度鳴らしても反応がありません。私は不審に思いつつも、寒さに耐えかねて、合鍵を借りていましたから、それで中に入りました。


 案の定、部屋には電気がついていませんでした。留守のようです。


 しばらくすれば彼女が帰ってくるだろうと、私はテレビをつけて時間を潰していました。何時ごろだったでしょう、体が冷えてきまして、それからお風呂に入ろうと思ったのです。


 浴室には彼女が目を見開いて入っていました。彼女と目が合います。


「なんだ、居たんだ。早く出ておくれ、僕も入りたんだ」


しかし彼女は無視をしたんです。それから何度か同じ台詞を言った後、私は耐えかねて彼女を引っ張り出しました。服すら自分で着ないので、仕方なく世話してやりました。


 察しの良い人は分かっているかもしれませんが、彼女は死んでいました。

 脱衣所に空になった睡眠薬の小箱が転がっていて、なぜ風呂場で死んだかはわかりませんが、とにかく自殺したらしいのです。

 しかし当時の私は彼女が生きていると思い込んで、いや、むしろ死を拒絶したと言った方が良いでしょう。私はあたかも彼女が生きているかのように世話しました。


 朝にはベッドから起こし、髪をとかし、着替えさせました。昼には一緒にテレビをみて彼女に語りかけ、夜には一緒に風呂に入ったり、ディナーを楽しんだものです。


 その一方で日に日に彼女の腐敗が進行し、頬は朽ち落ち、目はどんどん充血していきました。特に左目が酷く腐敗していました。

 ……それでも私は世話をし続けたのです。


 それから何日か経ちまして、ある夜中の事です。何かムズムズする気がして、目が覚めました。窓からは月明かりが入り込んでいて、彼女のベッドを照らしていたのをよく覚えています。

 そして私は驚きました。

 いつも横たえていたその場所に、彼女がいないのです!!!


 私は咄嗟に周囲を見回しまして、足元に彼女の膝を抱えて座っている姿を見つけました。そして彼女が私の目を覗き込んでいるのを見て、ドキリと動悸がします。


「……ちゃん?」

「ねえ、私の事そんなに好き?」


 その赤く充血した瞳には、憎しみと怒りの灯火が宿っていました。

 この時初めて私は彼女の死を自覚しました。


「ああ、あ、……あ」


しかし何も声に出せません。だって彼女は死んでいるはずなのですから!


「ねえ、ならさ。私と永遠に一緒にいようよ」


その甘い言葉が、恨みに満ち溢れた鬼のような口から溢れ出て、そして彼女が私の顔まで登ってきて、


「愛してる」


とキスをしてきました。

 恐ろしい腐敗の味がして、それから私は気を失ったのです。


♢♢♢


 腐乱臭がすると隣の方の通報により、警察が駆けつけた頃には私は彼女の下敷きになっていたそうです。

 てっきり二体の死体があると勘違いしたそうですが、運ばれようとした途端、私はすぐに気がつきました。


「彼女は……?」

「ああ、死んでるよ。酷い腐敗だった。なぜ君はあんな状態になっていた?」

「彼女が僕の上に乗ったんです」


 その時の審問官は酷く困惑していました。顔によく出てましたから、記憶に強く残っています。私のことをネクロフィリアか何かと勘違いしたのでしょう。


 その後私は死体遺棄と詐欺の嫌疑で捕まりまして、その後の裁判で精神鑑定に引っ掛かり、今の柵のある部屋に入れられた訳です。


 死体が動いて、私に愛を囁いたのは本当のはず。それなのに誰も信じません。


 せめて、私への誤解が解けますように。

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死者の目 青井琥珀 @SUR_A_K

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