4 国家を定義するという無理ゲー(4)

ミサ〉 イギリスで活動してた横綱級の哲学者ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)って知ってるか?


我聞〉 ウィトゲンシュタイン? 聞いたことがあるような、ないような・・・・・・

 

 岬美佐紀は棚から、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』(鬼界彰夫訳、講談社、2020)を抜くと、細首を傾げてページを繰り、ある一節を読めと言わんばかりに指し示した。


【 例えば、我々が「ゲーム」と呼ぶ事象について、一度考えてみてほしい。盤上のゲーム、カードゲーム、ボールを使うゲーム、格闘的なゲーム、などのことを言っているのだ。これらすべてに共通するものは何か? ―「何か共通なものがあるに違いない、さもなければ「ゲーム」とは呼ばれない」と言ってはいけない ― そうではなく、それらに共通なものがあるかどうかを見たまえ。― なぜなら、それらをよく眺めるなら、君が見るのはすべてに共通するような何かではなく、類似性、類縁性、しかもいくつもの種類の類似性だからだ。繰り返すが、考えるのではなく見るのだ!― 例えば盤上の様々なゲームと、それらの間の様々な類似性を見てみよ。そして次にカードゲームへと移ってみたまえ。そこで君は先の第一のグループとの対応をたくさん見出すが、共通の特徴の多くは消滅し、別の共通の特徴が姿を現す。次にボールを使うゲームに移るなら、いくつかの共通点は保たれるが、多くは消えてしまう。― それらはすべて「娯楽」なのか? チェスと五目並べを比べよ。あるいは、すべてに勝ち負けがあるか、つまり競技なのか? トランプの一人遊びについて考えよ。ボールを使うゲームに勝ち負けはあるが、子供が壁にボールを投げ、跳ね返ってくるのを受けている場合、この特徴は消滅する。技能と運がどんな役割を果たしているか見よ。そしてチェスの技能とテニスの技能がどれだけ違っているかを見よ。次に手をつないで輪になって行うゲームについて考えよ。ここには娯楽の要素はあるが、どれだけ多くの他の特徴が消滅することか! そして同じようにして我々は、実に多くの他のゲームのグループへと移ってゆける。様々な類似性が現れては消えてゆくのを見ることができるのだ。

 そして以上の考察の結果とは、複雑な網の目のように互いに重なり、交差している様々な類似性を、大規模な類似性と小規模な類似性を我々は見る、ということである。(75-76頁) 】


ミサ〉 どうだ? 意味わかるか?


我聞〉 ん~、なんとなくはわかりますよ。ゲームって一口に言っても、いろんな種類があるわけで、それらすべてに共通する特徴を抽出しようとしても、どれかは当てはまらなかったりするわけで、なかなかキッチリ定義できないね、ってことででしょ?


ミサ〉 ウィトゲンシュタインは、「家族的類似性」って呼んでいる。パパとボクは似てるけど、パパと弟はあまり似てない、けど、弟はママと似ていて、とかいう感じで、全員がモロ似てるってわけじゃないんだけど、まぁなんだかんだで家族ってくくりの中には入るよねっつー、ゆるい定義しかできんってことだな。定義は厳密にすればするほど、かえってなにかがこぼれ落ちてしまう。


我聞〉 となると定義はムリ、しなくていいって結論です?


ミサ〉 そこまでは言ってない。ある程度のくくりがなかったらさ、そもそも議論が成立せんだろう。とりわけアカデミックな学問においてはだ、議論の対象をあらかじめ定義しておくことが重要だろうね。そうじゃないと、そもそもなにについて論じているのかわからないし、お互いに言ってることがかみあわなくなるだろ。


我聞〉 だったらこう考えてみてはどうです? ある対象について、厳密な、本質的な定義を求めるんじゃなくて、なんつーか、要は議論ができればいいわけでしょ? 議論がかみ合えば。それならさっき実践的な定義云々って話がでてましたが、ある目的に対して定義を従属させてしまう、ってのはどうですか? 

 お互いズレた議論をしないために、定義をそろえて共有するんです。本質が問題なのではなく、議論できることが重要なんです。


ミサ〉 それを操作的な定義、という。


我聞〉 ダメですか?


ミサ〉 じつは一見本質的な定義をしているようにみえて、実質的にはそれって操作的な定義でしょ、ってパターンが結構あると思う。

 これは深く考えると認識論的な話になってしまうが、そもそも人間が眺めてる景色は一面的なんだよ。ある角度からしかみえてない。お腹がすいてないときに飲食店の看板が目に入ってこないように、人間は世界を客観的に、ありのままにみてるわけじゃない。とはいえまぁ、長くなってしまうからガチで認識論的な問題へ踏み込むのはやめてさ、またの機会とし、なんだかんだで定義って難しいよねぇ、ってな程度でゆる~く終えておこうぞ。

 今夜は国家について語り合いたいんだ。こんなところで止まってたら、いつまでたっても国家の話ができない。


我聞〉 でも一応は定義しておかないと、話ができないって今言ったじゃないですか。


ミサ〉 いや、さしあたり、ゆるふわ定義で充分だと思う。

 で、ここから先はだ、歴史学や人類学、哲学的や社会学など、いろんな分野の知見を借りていこうぞ。専門的な領域を軽々しく横断してしまうのは素人の横暴ではあるが、逆に許されてよい特権でもあるだろう。

 まずは国家っぽいものがなかった時代までタイムスリップしてみたい。そこから時計の針を進めていくんだ。どこかで国家らしきもの、ゆるふわ国家が立ち上がってくることになるだろう。そこでな、いったいなにかが起きているのか考えてみるんだ。国家の定義に固執し、足踏みするより、まずは具体的な歴史をみつめてみようじゃないか。


我聞〉 まぁそうですね、はい、わかりましたよ。


 時刻は午後十時を過ぎていた。会話が途切れるたびに、安っぽい掛け時計のカチカチ音が気になったが、岬美佐紀は一度として振り返ることがない。熱入りまくり。

 悪友加賀がベッドインする前に、オレは拾いに来てもらわねばならぬ。とはいえ、すこぶる楽しそうにマシンガントークしてる岬美佐紀をみていると、なんだか腰が重くなってくるのだった。こいつ、話を聞いてくれる友だち少ないのかな・・・・・・とも感じた。

 バッチリ化粧してバッチリお洒落すれば、モテモテだろうに、きっと。友だちっつーか、いろんな連中が取り巻いてくれるだろうにと、そう思う。残念感パない。

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