信長は首を傾げた。

 自身は若い頃、良く街に繰り出し悪い場所に出入りもしたが、乱法師は大名家の子弟らしく品行方正で、そうした悪さをするようには見えない。

 一体何処で知り合い、どういう関係なのか。

 と興味を持ったが、自分の身を投げ出してまで庇うのだから、まさか隠れた念者(男色の恋人)ではあるまいなと不愉快な考えが浮かぶが直ぐに打ち消す。


 そこで思い出した。

 一月以上も前の非番の日に、都で面白い猿曳の芸を見たと嬉しそうに語っていた事を。


「六助は前にそなたが話していた猿曳であろう」


 六助は益々気が動転していた。

 乱法師が六助を慕うように、六助も乱法師に惹かれていた。

 それは交わした言葉の数や過ごした時間では計れぬ純粋な思いであり、二人の出会いは邂逅と言えたのかも知れない。


「仰せの通りでございまする。六助は決して謀をするような者ではございませぬ。此度の事は六助の仕業などではございませぬ」


 縋るように訴える、今にも泣き出しそうな潤んだ黒い瞳は何処までも純情可憐で、男としての情を揺さぶりはしたが、説得力は殆んど無かった。


「何故そう思う?何か知っておるのか? 」


 とはいえ信長の表情は目に見えて和らいだ。

 

「そのっ!六助は、ただの猿曳でございます。小屋に子猿を沢山飼っていて、まるで子供のように可愛いがっております。猿に慕われているのです。悪い者では絶対にありませぬ! 」


「あっあっは──ああふふっふ──」


 苦し紛れの弁護に、長谷川秀一が堪らず笑い出した。


「お竹!慎め」


 見兼ねて万見が嗜める。


「くくっ失礼致しました。余りにも幼稚な──いや、お乱殿の可愛いらしさについ……」


 信長は少し困った顔で乱法師を見詰めた。

 長谷川とは別の意味で、つい口元が緩んでしまうのを引き締める。


「確かに。子猿に慕われている者が乱を欺ける程に大それた企みをしているとは思えぬ。だが、その純な心につけ込み、何者かに利用されているのではあるまいか?裏に操る者がいるのではと案じておるのじゃ」


「そっっそれは無えや。絶対に!儂は物部村から出てきて、兼和様の神社で働きながら、たまに都の辻で猿曳やっちゅー、ただの男でございます」


 慌てて六助が大声で弁明する。


「兼和、真か? 」


「はい、吉田神道の流派の末で土佐の物部村という山奥に、いざなぎ流なる信仰がございまして、破門され都に出て来たのを神社で世話しておりまする。ただの朴訥な男と私は見ておりましたが」


 保身第一の兼和だが、嘘を吐く場面では無いので己が巻き込まれない程度に弁護する。


「土佐の物部村か」


「上様、人は見た目だけでは判断出来ませぬ。物部村などという得体の知れぬ村、忍びの里やも知れず。まだ賊も捕まっていないのです。今のところ手掛かりはこの男のみ。賊が捕縛されるまでは牢に入れておくべきかと」


 そう勧める長谷川は、乱法師のせいで流れが変わった事に苛立っていたが、表向きは正論に聞こえた。


「ふうむ。それにしても何故、六助を此処まで庇うのじゃ。そなたにとっては一月程前に、偶々辻芸を見て少し言葉を交わしただけの相手であろう? 」


 信長は長谷川の言葉には答えず、ずっと気になっていた事を問い掛けた。

 今、この場面で六助を弁護すれば、立場が悪くなる事くらい分からない訳では無いだろうに、と。


「六助は善人であると確かにそう感じ──いえ!それよりも実は、実は……私は……六助に命を助けられたのでございます! 」


 嘘は吐いていない。

 十二のひなごの結界が、己と信長の命を救ってくれたのは確かだ。

 その後化け物共を退散させたのも六助の力である。


『そういえば、ひなごの御幣が無い。無くしてしまったのか』


 騒動のどさくさで無くしてしまったらしい。


「何と!命の恩人であれば、そなたが庇うのも無理は無い。」


 六助が隠れた念兄(男色の年上の恋人)という可能性を打ち消す明確な理由に、信長は内心満足し大きく頷く。


「ですが上様、お乱の命の恩人であっても、此度の屏風の件と邸に忍び込みましたる賊の件に深く関わっているのは本人とて認めているではありませぬか。家に返すのは今少しお待ちになられた方が」


 万見が冷静に進言する。


「うむ。乱、そなたの命の恩人であっても屏風の事は奇態である。それに賊の件とも関連があるなら六助が無関係とは言えまい」


「実は疑っている事があるのでございます。先程上様はこの屏風を預けた男は幻術が得意であったと仰せでした。つまりは果心の事でございましょう」


「果心は死んでおる」


「実は死んでいなかったとすれば如何でございましょうか? 」


「何じゃと?心の臓が止まっておった。大勢の者達が屍体を見たのじゃ。間違いは無い」


 荒木忠左衛門に斬られた屍体は仮御殿に運び込まれ、信長自ら検分している。


「はい、それが幻術に依るものではないかと考えておりまする。荒木殿は未だ行方知れず。実は荼毘に付された屍体は果心ではなく荒木殿のものであったのではないかと」


「それは!いくら何でも無茶苦茶な。屍体が無い以上確めようは無いし、そちは六助を庇いたい一心でそのような馬鹿馬鹿しい事を申すのであろう」


 刺を含んだ言葉は長谷川である。


「いや、果心が生きておるという確たる何かを見たのか? 」


「はい。昨夜、果心の声をはっきりと耳にしました。騒動の最中に上様を呪う言葉を耳にしたのでございます」


「それは──真ならば一大事」


 場が少しざわめいた。


「静まれ!死んだと見せ掛け荒木を殺したのならば大罪である。確かに奴なら、やり兼ねぬ。だが呪いや幻術如きで儂を倒そうなど笑止千万!昨夜は幻術と見抜けず動じて騒ぎとなったが、正体が分かれば恐るるに足りぬ」


 此処にいる殆んどの者達が、安土で果心の幻術の凄さを目の当たりにしている。

 良く良く考えれば、屏風は元々果心の持ち物であり、昨夜目にした化け物達が幻影と思えば信長でさえ納得してしまう。


 それに六助の見るからに純朴な顔と果心の不気味な異相を比べれば、どちらがやりそうな事か自ずと答えが導かれるというものだ。


「上様、六助は幻術を見事破ったのです。私が無駄な戦いを強いられている間に、恐らく上様に刃を向ける者が近付いていたのではないかと思うと真にぞっと致します。激しい風は六助が起こした術でございましょう。その風が全ての妖を吹き飛ばしてくれたのであろう?のう、六助」


 乱法師がここぞとばかりに六助に目を向けた。


「へ、へへえ」


 暫く存在を忘れられていた六助は、突然注目が集まり動じて生返事のようになってしまう。


 『少し内容が違うような』とは思ったのだが、細かい事を気にしている場合では無い。


「なる程、幻術使いの造りし品なれば不思議が起きても仕方ありまへんなあ。六助が術を破り、ひょっとして屏風は元の姿に戻っただけやろかと思ってしまいます。元々の絵こそが幻で、今目にしている物こそが真なのではと」


 兼和は常に旗色を窺う男だ。

 乱法師の意見に軍配が上がりそうと見るや、然り気無く六助の弁護に回る。

 兼和の言っている事は半ば当たっており、構図が変わったのは乱法師が太刀で鬼達を倒したせいでもあるが、全体的に色褪せたのは邪気が弱まったからである。


「この屏風は如何致しますか? 」


 万見が信長を窺う。

 家臣達が挙って手放す事を勧めても耳を貸さなかったくらいだ。

 益々面白いと好奇心が騒いで却って秘蔵する事になってしまったら、元の木阿弥である。


 信長は怪訝な顔で万見を見ると大声で言った。


「六助!貴様に任せる。良き方法で処分致せ」


 所謂不吉だからとか、皆が処分を望んでいるからという訳では無い。

 結局は自身でさえ騙されていた。

 そんな自戒の念もある。

 屏風が色褪せたと同時に興味も失せてしまったのだ。


 一晩預かるつもりが、偶々果心が死んだ為手に入ったのは僥倖と喜んだが、当にただ程高い物は無いという結末であった。

 そもそも禍禍しい地獄絵図に魅了されてしまったのは、信長の魂を引き摺り込もうとしていたからなのかも知れない。


「へへえ」


 どうやら自分の疑いは晴れたようだと六助はへたり込んだ。

 それにしても、呪術師である自分がいつの間にか幻術師にされてしまった成り行きには、少々合点がいかなかったのだが。


 乱法師は今度こそ六助の疑いが晴れたのだと胸を撫で下ろし顔を綻ばせた。

 無邪気な美しい笑顔を向けられ、六助は命を懸けて乱法師を守ろうと誓った。








































 

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