森蘭丸外伝─果心居士

春野わか

第1章 発端

 (注:文中では、本編と同じく蘭丸は全て乱法師らんほうしと記載、信長からの書状には乱法師と記述されている。本人の署名は森乱成利)


「真に畏れ多き事なれど、頭痛がして起き上がる事すら……」


 脇息に凭れ掛かり弱々しく返答した者は、顔立ちに幼さが残る十代前半と覚しき少年だった。


「上様はそなたの事を、それは案じておられる」


 まだ若い、二十代前半と覚しき武士は諭すように切り出した。


「斯様な有り様では出仕したとてお役には立てませぬと、お伝え下さいませ」


「なれど──」

 

 若き武士、織田信長近習の青山虎松忠元は、続く言葉を辛うじて呑み込んだ。

 その言葉とは『嘘を吐くな。邸にいなかったであろう』である。


 青山は昨日も今いる邸を訪れていた。

 その時、森家の家臣達が話しているのを耳にしてしまったのだ。


 「若様が何処かへ行ってしまわれた」と。

 では何故それを我慢して口に出さないのか。

 先ず、明らかに格下に見える少年に言いたい事も言えずにいるのかというと、主君信長の命令であったからだ。


 ともかく『優しく申せ』と。


 青山は心中の憤りを溜め息と共に吐き出し、少年をつくづくと眺めた。


 所謂、類い稀な美少年である。

 色白く、形の良い眉に鼻筋の通った繊細で大人びた顔立ちは、極めて品が良く賢そうに見える。

 と同時に、奥二重の切れ長の瞳は優しげで、愁いを含むと蠱惑的な色を帯び、長い睫毛と紅唇を震わせて見詰めれば忽ち男心は蕩けるだろう。

 今回の事は少年にそうした自覚がなく、見た目よりも幼稚であるが故に起きてしまった事態と言えた。


 そこで青山虎が、その後始末をさせられているという訳なのだ。


 それは、先月小姓として出仕したばかりの目の前の美少年、森乱法師を信長が見初め、手を付けてしまった事に因る。


 時代を遡れば奈良時代にも見られる男色(同性愛)の風習は連綿と続き、武士や公家、僧侶といった特権階級の男達は側仕えとして美童を置き、愛でる事を公然と好んだ。


 信長は美しい乱法師に惹かれ、当然の事として褥に押し倒した。


 少年とはいえ、この時代では結婚している者とている年齢である。

 既に母になっている少女達と比ぶべくもないが、ませている者とそうでない者との意識に大きな差が生じやすい年頃ではあった。


 森乱法師は美濃の金山城主、森武蔵守長可のすぐ下の弟に当たる。

 森家は始め美濃の斎藤道三に仕えていたが、乱法師の父可成が織田信長に臣従して以来重く用いられ、金山城主に任じられたのが永禄八年、乱法師がちょうど生まれた年であった。

 家中でも逸早く城主となった森可成だったが、元亀元年(1570年)に浅井長政、朝倉義景連合軍が近江の宇佐山城に押し寄せ、大軍に囲まれ既に討ち死にしている。


 信長は遺児を憐れみ、乱法師の兄長可に家督を許し、信長の『長』の字を与え嫡男信忠の腹心の部下としていた。


 漸く幼かった弟の乱法師も年頃になったので小姓として召し出されたという訳なのだ。


 側に置き訓育してやろうという純粋な思いからだった。

 だが其処に『純粋な』助平心も加わってしまったのだ。


「頭が痛いと申されるのであれば、天下の名医曲直瀬道三まなせどうさんも遣わそうとまで上様は仰せじゃ。一度診て貰い、出仕して顔だけでも見せて欲しいと仰っておられる。斯様に伏せっておると聞けば、却って上様が御心を病んでしまわれないかと皆が案じている次第なのじゃ」


「……曲直瀬道三」


 思わず声が震えてしまう。


 曲直瀬道三は様々な医術書を著し、帝にも拝謁を許された評判の名医である。


 彼が診察したのは帝だけではなく、将軍足利義輝、三好長慶、細川晴元、毛利元就、松永久秀、織田信長等、著名な武将ばかりだった。


 名医が見立てれば「大した事はございませぬ。すぐにでも出仕出来まする」と言うに決まっている。


 青山虎は彼の動揺を見逃さず、畳み掛けるように言葉を繋ぎ追い込みに掛かった。


「道三殿に良く診て貰い、それでも回復せぬようであれば、恐らく上様は邸にまで御見舞いにこられるであろうな。何と勿体無い事じゃ! 」


「上様が……こちらに? 」


 乱法師の顔は真の重病に罹かったかのように青褪め、ふらりとよろめいた。


「左様!では直ちに上様にそなたの容態を御伝えし、曲直瀬道三殿に診て頂くという事で宜しいか? 」


 乱法師の視線が右に左に暫く泳ぎ、とうとう屈服した。


「いいえ.....いいえ、それには及びませぬ。恐らく明日には出仕出来ますると、上様に御伝え下さりませ」


 かなり分かりやすい反応に青山は笑いを噛み殺す。


「では、そのように御伝え致そう」


 青山が退出した後脱力し、真に気分が優れなくなり脇息に凭れ掛かる。

 仮病と言えば仮病だが、初夜の翌朝は意気消沈し本当に頭痛がして夜具から起き上がる気力もなかった。

 衾を被り、どのような顔で信長の前に出て、この先仕えていけば良いのかと悩み、溜め息ばかり吐いては涙を流していた。

 


 


 


 


 

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