XOX

エリー.ファー

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 小説を書くということの意味を少しでも感じられるのなら、死んでもいい。

 なんて思ったことはない。

 どんな形でも自分の作品を残したいと思ったことはない。

 自分の生きざまを少しでも残せるのであれば、自分の生き方を少しでも誰かに伝えられるのであれば、やってもいい。小説に命をかけてもいい。

 なんて、思ったことはない。

 書けるだけだから、書いているだけだ。

 伝説とか、名作であるとか、傑作であるとか、そのような思いは特にない。

 本当に、書けるから書いているに過ぎない。

 嘘、偽りなく、自分の頭の中にある世界が外に出てくるような感覚などはない。ただ、書かれていくだけだ。別にイメージなど存在しないし、思ってもいない世界が広がって慌てふためくこともない。

 なんとなく、こんな感じで。

 なんとなく、こんな風に。

 なんとなく、こういう空気をもってして、話が流れていけばいい。

 そんなことしか思っていない。

 流すように書く。

 手癖だ。

 気が付けば完成しているし、別に読み返しもしない。

 思い出がない。

 一切、そこに大切さ、重要性、自分の魂を感じない。

 できてしまったから、そこにあるだけなのだ。

 本当に、そこへ哲学を込める人間がいることに心から驚くしかない。そこに何があるのか分からないし、自分の手から離れてしまった何かがあるとしか認識できないのだ。

 別にそれは不便ではない。心も嫌な方向へと揺れることもない。

 自分の分身ではなく、文字の塊がそこにあって、そこからどこにもつながっておらず、それがただ揺蕩っているということを認識するのみである。

 作品について私が思うのは日記の延長であるということだ。

 その日に、何があって、何を思って、何を感じ、どう行動したのか。何時何分何秒で地球が何回回ったのかなど気にもしないような日常の延長。

 だから、なのだ。

 だから、自分の作品を読もうと思わない。

 結局そこに描かれているのは、私が一度通った思いだからだ。新鮮ではないのだ。私以外の人が作り出した作品なら、そこには何かしらの見ていない世界があるだろう。私は、私の作ったものを知っているし、そこから広がる世界に自分の手足が既に伸びていることを知っている。

 思い出はあるのだ。

 思い入れはないのだ。

 私にとって小説は、後ろに作られたものだ。

 後ろから出てきて、勝手に完成して、勝手に落ちて、勝手にそれそのものを定義している何かである。

 私は私から学ぶことがほぼないことを知っている。

 私は私が外から学んだものによって出来上がっていることを知っているし、それが学びという形を通って生まれた結論であることを知っている。

 私にとって、小説は、作品は、言葉は、物語は、私を覗いた結果生まれたものだ。

 覗ききった結果であるため、そこから導き出される結論については見飽きている。

 終わったものだ。

 だから、新しいことが気になってしまう。

 自分の書いた作品を何度も読み返して、ここがいいとか、ここが駄目だとか、修正しようとか、ここは伸ばすべきだとか。

 そういう感覚を持っている人には一生なれない。

 終わったことに興味を持てないのだ。

 情熱を維持できない。

 背中で燃やせないのだ。眼前でしか燃やせない。

 面白くないこともできない。

 飽きたらやめてしまう。


 燃えないことができない。

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