第28話 桃華旋風

火曜日、仕事終わりのオフィス。

かなえのもとに、新入社員の塚本桃華がやって来た。


「かなえ先輩って、美味しいラーメン屋知ってますよね?」


「え!?」


「美智子先輩が言ってましたよ。かなえ先輩はラーメン女子って」


「あぁ……。それは、まぁ、主に去年のことで……」


「かなえ先輩は、ラーメン屋に通いすぎて婚期逃したって言ってました」


「逃したことになってるのね……。まぁ、そうかもしれないけど」


「わたしも、ラーメン好きなんですよ!」


「そうなんだ……」


「ってか、婚期とかそういうの、どうでもよくないですか?」


「!」


「今は結婚しないのかって聞く方がセクハラじゃないですか。それに結婚するメリットよく分からないし。必死に合コンしてる美智子先輩の方が、なんか痛いっていうか」


「え、また合コンしてんの!?」


「前付き合ってた、川西さんって人と別れたみたいで。最近また合コン三昧らしいです。今日も行くって言ってたかな?わたし、かなえ先輩みたいにバッサリ結婚見切ってるの、カッコイイなって思います!」


別に結婚を見切ってるつもりはない……。

それがカッコイイだと!?時代は変わったのか?

いや、桃華がまだ23だからそんなことを言ってるだけにすぎない。

彼女は、人生にまだ余裕があるからだ。30前後できっと一度血迷うだろう。

そういえば、わたしはついに合コンに誘われてすらないのか。

まぁ、あの時、美智子はラストチャンスって言ってたし。

見切られたのはこっち側で。

そもそも、誘われたくもないんだけど。


美智子は結局別れたのか。ほら見ろ、だから合コンの結末はこれなんだ!

むしろ長く続いただけ驚きである。

わたしの偏見魂が、後輩美智子に対し、ざまあみろと言っている。



「わたし、結構おじさんが好きなんですよねー」


桃華から、また驚きの発言だ。歳の差婚にときめいている類いなのか?


「かなえ先輩、ラーメンこれから一緒に行きましょ!」


「あ、う、うん……」


思わず承諾してしまった。

今日は火曜日だったため、まさに行こうとしていたところだった。

しかし、あまり『ことだま』に連れて行くことは気が進まない。

かと言って、他のラーメン屋をわたしは知らない。

わたしは、ラーメンが好きなのではない。鋤柄さんが好きなだけだ。

しかも今はいろいろあって、大河原さんが文字だけの君で、鋤園さんがわたしで、鋤柄さんは変貌し狂気で、問題は山積みである。

え、これ、いっそのこと相談する?桃華に全部相談してみる!?

斬新な返答が返って来るかもしれない……。



暗闇の中に、明かりがついた一軒の店が見えてくる。

店の戸には、のれんがかけられており、そこには『ことだま』とある。

奇妙なラーメン屋は、今日も同じ場所に存在していた。

かなえは、店の戸を開けた。


数人の男性客が黙々とラーメンを食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。

店内には一台のテレビがあり、テレビの横には一冊のノートとボールペンが置かれていた。

奥では店主らしき人物が麺を湯切りしている手が見える。


かなえの後ろからついて来た、桃華が突然口を開いた。


「なんかこの店、みんな死んでるみたいですね!」


!!!

とんでもないことを口にする子だ。

しかも、割と大きな声で。

けど、相変わらず店内にいる誰からのリアクションもないようだ。

このお店の奇妙さは、間違いなくそこにある。

皆、生きるために食べているのに、もう死んでいる気がする。

桃華の言うことは否定できなかった。


かなえは、券売機で醤油ラーメンのボタンを押す。食券を厨房のカウンターへと出した。

食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに醤油ラーメンが出てきた。

桃華は、券売機で味噌ラーメンのボタンを押す。かなえと同じように、食券を厨房のカウンターへと出した。

食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに味噌ラーメンが出てきた。

はじめて来たにもかかわらず、店主のラーメンを出すスピードは速かった。

かなえはテレビの横の席に座った。つられるように桃華はかなえの隣に座った。


「あの店主、はじめからわたしが味噌ラーメンって分かってるみたいでした」


「わたしがはじめて来た時もあんな感じだったよ」


「へぇー、なんか気持ち悪いですね」


「気持ち悪いって……。そ、そうだ、味噌ラーメン好きなの?」


「これですか?いや、太りたくないんで」


ならなんでラーメン屋に来た!!と、言いそうになった。

それはグッと堪えた。

桃華は、味噌が一番太らないことまですでに知っていたようだ。


テレビでは、『真剣怪人しゃべくり場』が始まった。


  ×  ×  ×


エモーション「この番組は人間の生態を調べる実験を繰り返した怪人が、現代を生きる人間と対談し、疑問を解消していく番組だ。司会はわたし、怪人エモーションだ!そして、怪人代表はアルマ。人間代表は、改造人間シオンでお届けする」


シオン「改造しても、真実はいつだって人間!どうも、シオンです」


アルマ「美女にだってあなた好みに変身できます。外見ばかりが大事な人間が滑稽なアルマです」


エモーション「さぁ、それでは今週の議題といこう。近頃は、“御朱印ガール”と呼ばれる人間がいるらしい。御朱印とは、神社や寺院を参拝した際の証として授けられる印だ。どうやら、そいつを集めている種族がいるらしいのだ」


シオン「実は俺も持ってます!御朱印帳!」


アルマ「そんなものを集めてどうするんですか?どうせ死ぬのに。怪人は死なないので集めても違和感はありません。しかし、人間は死にます。違和感の塊です」


シオン「どうせ死ぬとか悲しいことを言うな!生きている間に集めて楽しみたいんだ!悪いか?」


エモーション「それは、結局のところ神主のサインではないのか?」


シオン「なんだって!?」


アルマ「確かにそうですね。神社や寺院が動き出し、文字を書くわけでもない」


シオン「そ、それは……」


エモーション「結局、御朱印と呼ばれるものを書いているのはただの人間だ。各神主が書いたサインを集めているにすぎない。もし、わたしが人間だったら、同じ人間のサインを何度でも集めてみたい。これは、書く方にとっては大変迷惑な話だ」


アルマ「昼も貰いに来たのに、また夜も貰いに来て、お前は一体、何回わたしから貰いに来るのかと、顔を歪められそうですね」


シオン「同じ人が何度も!?それは面倒くさいな。というか、もうサインって呼んじゃってるし!」


エモーション「しかしそれは同じサインではないのだ。その日、その時、貰ったサインはたった1つだ。つまり、全ては違うサインなのだ!これは怪人エモーションのためだけに書いて頂いたサインという価値が、そこにはある!!」


  ×  ×  ×


「何これ、この番組、気持ち悪っ。こんな番組見る人いるのかしら?」


独り言のように桃華は呟いた。


とんでもないことを口にする子だ。

気持ち悪いだと!?あの怪人エモーションだぞ!!

なんでも気持ち悪いで片付けるなよ!これだから人間は!!

わたしも鋤柄さんからの“文字”ならずっと集めたい。

右手で書いた“文字”も。左手で書いた“文字”も。



桃華の目線は、テレビからテレビの横へと移動した。

そして、テレビの横にあるノートとボールペンに手を伸ばした。


「このノート、なんだろう?」


「あっ、それはダメ!!」


「へっ??」


「あ、いや、人の大事なものかもしれないしさ……」


「大事なら、余計に確認しなきゃダメじゃないですか。こんなところに置きっぱなしとか」


桃華はノートを手に取り、躊躇することもなく開いた。

そして、しっかりと目を通している。


あぁ、わたしのこれまでの“文字”のやり取りを後輩なんぞに見られてしまう……!!

これ、実はわたしなんだけどね?とは、気軽に言えるはずがなかった。

いや、むしろ、わたしだと思われてないなら、もっと清々しい顔をしているべきだ。

このノートを書いているのは“鋤園直子(仮)”であって、わたしだが、わたしでない。

ここで疑われる言動はするべきではない!!


「誰なんですかね?この鋤園直子さんって人」


「さぁ、だ、誰、なんだろうねぇ……?そのノート、ずっとそこに置いてあるものだから」


「へぇー」


「どう思う?」


「えっ?何がですか?」


「そのぉ……、文字だけのやり取り?」


「面白いんじゃないですか?交換日記みたいで」


「もしさ、もし仮に、顔の知らない文字だけの君に、逢いたいって言われたら、どう思う?」


「どうって……。まぁ、相手がイケメンだったら逢ってみたいですかね?」


「え……」


「でも、イケメンか分からないわけですよね。文字だけじゃ。イケメンという賭けに出て思い切って逢ってみるか、一度陰からこっそり見て、イケメンだったら直接逢ってみるとか」


一度陰からこっそり!!

やっぱり鋤柄さんは、どこからかノートを見るわたしの姿を、これまでに見た事がある!?

そして、わたしがイケてない女と分かって、直接逢ってくれない!?

なんてこったーー!!

いや待て、その逆もある??

鋤柄さんがイケてなくて、わたしに逢う自信がないとか!?

だから『おあいそ』で、『あなたにはもう、素敵な方がいるのではありませんか?』なんて、あんな嫉妬めいた、捻くれたことをノートに書いたとか?

イケメンかもしれなくても、あの鯖男とか無理過ぎるのにぃー!!

大河原さんとはすでに終わってるし、そもそも始まってもないのっ!!

もう、鋤柄さーーーん!!!

わたしは鋤柄さんを見たことないのに!!

鋤柄さんだけが、わたしを見たことあるとか、そんなのずるい!!


「かなえ先輩?どうしました?」


「えっ……、あっ、いや……。“あなたにはもう、素敵な方がいるのではありませんか?”って、どういう真意で聞くのかな?」


「なんの話ですか?」


「いや、仮の話よ?仮の!この鋤園さんって人が、自分に聞きたいことはないかって文字だけの君に尋ねるの。そしたら、文字だけの君から“あなたにはもう、素敵な方がいるのではありませんか?”って返って来るの。そしたら、それってどういう意味??」


「!?」


「もちろん、仮の話よ!?」


「それは、相手の心の中を探ってるのかもしれないですけど……。少なくとも、このノートの鋤園さんは、ノートの相手に興味なさそうですよ?ほら、『今度、一緒に怪人の討論番組を見ませんか?このノートがあるテレビの横の席で。』に対して、返事は白紙です」


「!!!」


桃華は、冷静な顔でかなえに返事のないノートを見せた。


相手の心の中を探ってる……

なら、鋤柄さんはまだ、僅かでもわたしに脈アリ!?

いや、それとも単純に、わたしには素敵な人がいるのにこのノートのやり取りを続けることはよくない、申し訳ないと思って??

嫌だ!わたしはまだ鋤柄さんと“文字”のやり取りを続けたい!続けたいのに!!

鋤柄さんのその親切、わたしを傷つけてますよ。

いや、でも、親切で気を使ってわたしに聞いてるなら、河原で鯖は煮込まないのでは……。

え、何!?あれは、何!?

あぁ、分からなーーい!!鋤柄さーーーん!!!


「かなえさん?大丈夫ですか?まぁ、一緒に見たい番組がこんな番組ってことに幻滅して、それで白紙のままなのかもしれませんけどね。ラーメン伸びてますよ?」


「あっ!!」


ここに来ると、結局いつもラーメンが伸びてしまってる気がする。

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