第19話 筆跡鑑定
金曜日、かなえは、やはりあの店へと向かっていた。
しばらく歩いていると、一軒の店が見えてくる。
店の戸には、のれんがかけられており、そこには『おあいそ』とある。
奇妙な寿司屋は、今日も同じ場所に存在していた。
かなえは、ラーメン屋『ことだま』に行くか少し迷ったが、鋤柄が来ているであろう、寿司屋『おあいそ』を選んだのだった。
かなえは、店の戸を開けた。
数人の男性客が黙々と回転寿司を食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。
奥では店主らしき人物が寿司を握っている手が見える。
かなえは、あいているカウンター席に座った。
回転レーンに乗った寿司が目の前を通過していく。
かなえは流れてきた寿司を手に取り、食べ始めた。
しばらくすると、回転する寿司レーンの中に一冊のノートとボールペンが乗った皿が現れた。
やがてそれは、かなえのもとへと回ってくる。
そこには、『書いたらお戻しください』とあった。
かなえは動いているレーンから、ノートとボールペンを手に取った。
ノートを開くと、“鋤柄直樹(仮)”からの続きの“文字”が書かれていた。
『ラーメンとお寿司ですか。それは迷いますね。同時に食べられるお店があったら是非行きたいものです。』
鋤柄さん!!
ラーメン屋『ことだま』には、もう行ってないんですか?
今あの店には、新しいノートが置かれています!
そこにはもう、“文字”を書いてくれないんですか?
鋤柄さんはわたしとのやり取り、どう思ってるんですか?
聞きたいことは沢山ある。わたしはいつも、鋤柄さんに尋ねてばかりだ。
でも、鋤柄さんは答えてばかりで、何も聞いてこない。
わたしには興味がないということだろうか。
仕方なく、答えているのだろうか。
それはそれで悲しかった。
突然、店の戸が開く音がした。
今度こそ、鋤柄さん!?
そう思ったが、現れたのは小鯖一郎だった。
ため息が出そうだ。
小鯖は、かなえを見つけると微笑みかけた。
うわっ……。
小鯖は、かなえに向かって歩いて来る。
そして、隣に座っていいかを尋ねることもなく、隣の席に座った。
「かなえさんは、どんな人がタイプなんですか?」
「へっ……?」
「というか、彼氏さんいます?ってか、結婚してるかもしれないのか?」
なんなんだ、この鯖男!!
座るなり、一皿目に鯖を取り、何を聞いてくるのか。
「別に結婚してませんし、彼氏もいませんけど?」
笑みを浮かべる小鯖。
「なんですか?悪いですか?いかにも独身って感じがしましたか?そりゃそうですよね。金曜の夜に一人でお寿司って」
「あ、いや、笑ってすみません。いや、僕にも可能性あるんだなって思ってしまって」
鳥肌が立った。いや、寿司屋だからこれはサメ肌!?
いや、それは違うか。
この鯖!正気か?いつ可能性があると思った!!
割とイケメンかもしれないのに。
いや、割とイケメンかもしれないから、自分に自信があるのか。
こんな馴れ馴れしい鯖男が鋤柄さんのはずがない!
いや待て、初対面からすぐに距離を詰めてこれるということは、もしかしたら鋤柄さん?
鋤柄さんという可能性も、やっぱりまだ僅かに残っているのか!?
あ、ウソ!今、甘エビ食べた!!
嫌だ!こんなのが鋤柄さんとか絶対無理!!
「好きなタイプは?その……僕ですか?」
はぁ!?
この人、寿司屋で女を口説いてるんですか??
「冗談ですよ。そんな驚いた顔しないでくださいよ」
小鯖は笑っていた。
「そうですね……。わたしは、交換日記をしてくれる人が好きです」
「えっ?交換日記??」
「あ、いや……」
「かなえさんって、なかなか面白い人ですね」
なかなかって、なんだよ!
「交換日記かぁ。小学校の時かな、友達がやってましたよ、女の子と」
「女の子と!?」
「そう、好きな女の子と交換日記を」
好きな人と交換日記!?わたしは、まさにそれを!?
今年36にもなるのに、楽しくやっているのか!?
いや待て、鋤柄さんはどう思ってるの?この状況。
そもそも交換日記って、顔も名前も分かる人同士でやるもんなんじゃ……
「かなえさん?どうしました?ぼーっとして」
いつの間にか、わたしは鯖男をシャットアウトしていたらしい。
鯖男は鋤柄さんと違って、質問ばかりしてくる。
いや、まさかこの人、鋤柄さんだからこういう形でわたしに質問をしてきてる?
でも、甘エビを食べるのは普通のことだ。
前回たまたま食べなかっただけで、誰だって甘エビくらい食べるだろう。
なら、鋤柄さんかどうかなんて、確かめようがない。
「あのぉ……雨の日に、傘って買いますか?」
「はい?」
「傘がない時、その……ビニール袋を被って、帰ったこととかありますか?」
「なんですか、それ?」
小鯖は笑っていた。
わたしったら、何を聞いてるんだ!
鋤柄さんは、今はエコバッグを被ってるかもしれないのに!!
結局、いくら待っても鋤柄さんはわたしの前に姿を現さない。
わたしの脳裏には、いつもビニール袋を被り、雨の中を走る鋤柄さんの後ろ姿がよぎるんだ。
かなえは、いくらの軍艦を口に放り込んだ。
そして、ハッとした。
そうだ、この人が鋤柄さんかどうか、知る方法がひとつだけあった!!
これは、確実な方法だ。
わたしはそれを知ってるじゃないか。
かなえは鞄からメモ帳を取り出し、小鯖の前に突き出した。
「ここに、文字を書いてもらえませんか?」
「はい?文字ですか?えっと、その、なんの……」
「名前です!あ、いや、『鋤柄』って書いてみてください!!」
「スキガラ??」
わたしは鋤柄さんが書く“文字”だけは知っている。
他は何ひとつ知らないけど、“文字”だけは知っている。
必殺!筆跡鑑定!!
結果発表ーーー!!
鯖男は“鋤柄直樹(仮)”ではなかった。
わたしは、心からホッとした。
ノートにある“鋤柄直樹(仮)”の“文字”に返信でもするように、かなえは続きを書いた。
『わたしはいつも、鋤柄さんに聞いてばかりです。鋤柄さんは、何かわたしに聞きたいことはありませんか?』
かなえはノートを閉じると、回転するレーンにノートとボールペンを戻した。
今日はデザートに、肩身が狭いプリンを食べようと思った。
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