第14話 消えた鋤柄
かなえはドラマが最終回を迎えても、結局あの店へと向かっていた。
店の戸には、のれんがかけられており、そこには『ことだま』とある。
奇妙なラーメン屋は、今日も変わらず同じ場所に存在していた。
かなえは、店の戸を開けた。
数人の男性客が黙々とラーメンを食べている。かなえに目を向ける者はおらず、今日も店内は相変わらず異様な空気が漂い静まり返っていた。
店内には一台のテレビがあり、テレビの横には一冊のノートとボールペンが置かれていた。
奥では店主らしき人物が麺を湯切りしている手が見える。
かなえは、券売機で醤油ラーメンのボタンを押す。食券を厨房のカウンターへと出した。
食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに醤油ラーメンが出てきた。
かなえは、ラーメンを手に、お決まりのテレビの横の席に座った。
テレビの横にある古くぼろいノート。その横にはボールペンがひとつ。
かなえは、ノートを手に取り、開いた。
そこには、“鋤柄直樹(仮)”からの続きの“文字”が書かれていた。
『あなたは真っ直ぐな人だから。』
鋤柄さん!
ノートを開いて、続きの“文字”が書かれている。
わたしは、この瞬間がたまらなく嬉しい。
この瞬間のために、ラーメン屋『ことだま』に来ている。
でも、このままでは、わたしは鋤柄さんに出逢えないままだ。
かなえは、ボールペンを握りしめた。
そして、“鋤柄直樹(仮)”に宛てるように“文字”を書いた。
『鋤柄さんは、いつこのお店に来ていますか?』
勇気を出して聞いたことだった。
その日、かなえの姿は教会にあった。
もちろん、かなえの式ではない。妹ひとみの結婚式だ。
幸せそうなひとみと、祝福する親族、友人。
そして、お次を狙う友達の戦争、ブーケトスがいよいよ行われる。
「お姉ちゃん、行くよ!!」
ひとみが、かなえに向かってブーケを投げた。
かなえは呼ばれたことで、反射的に取ろうとした。
しかし、ブーケに手が触れるその瞬間、かなえは突き飛ばされた。
かなえが起き上がった時には、ブーケを掴み、喜ぶ勝者の笑顔が眩しく輝いていた。
かなえはブーケにさほど執着もないため、それはとくに気にならなかった。
そんなことよりも……
わたしは、今、黙々とノートに“文字”を書いている。
ただひたすらに、“文字”を書いている。
テレビの横に置かれたノートは、まるでわたしの日記になっていた。
鋤柄さんに、いつ『ことだま』へ来るのか尋ねてからというもの、“鋤柄直樹(仮)”からの続きの“文字”がノートに書かれることはなかった。
鋤柄さんはどこへ行ってしまったのだろうか。
もう現れることはないのだろうか。
この店にも、このノートにも。
でも、ひょっとして、ひょっとしたら……
そう思って今日も、ここへ来てしまう……
わたしは一人『ことだま』へ通っていた。
鋤柄さんはもう、本当にこのお店には来ないのだろうか。
いや、来ていても、わたしにはその姿が分からない。
わたしは、鋤柄さんの“文字”しか知らないのだから。
言霊。それは、言葉に宿っていると信じられている不思議な力。
『ことだま』、この店のノートの“文字”には、いつの間にか、わたしの想いだけが宿っていたのかもしれない。
わたしの人生は、こんなもんだった。
今日は、せっかくの休日なのに雨が降っている。
しかし、雨降る街中を、ビニール袋を頭の上に広げ、ずぶ濡れで歩く男の姿はなかった。
もちろん、エコバッグを被る者も。
傘を買わずに濡れて帰る人生。人に頼らず、物に頼らずに。
鋤柄さんは、どこへ消えてしまったのだろう。
夕方、かなえは『ことだま』に来ていた。
ついにノートは、最後のページを迎えていた。
かなえはノートを手に取り、開く。
!!!
『今日は雨予報みたいですね。昼まで雨かな。夕方には雨がやんで、虹が出そうですね。きっといい未来があなたにも待っているはず。』
「鋤柄さん!」
かなえは慌てて周りを見回した。
周囲は黙々とラーメンを食べている。かなえのリアクションにも無反応だった。
「今さっきまで、ここにいたってこと……」
ノートに挟まっていたチラシが、ひらりと床に落ちた。
!?
かなえはチラシを手に取った。
チラシには『回転寿司 いよいよ開店!』とあった。
店名は『おあいそ』である。
「おあいそ?」
ラーメンを食べ『ことだま』を出ると、雨はやんでいた。
そして、空には、虹がかかっている。
鋤柄さんの言った通りだ。
店先の傘立てに、ぼろい傘はなかった。
嘗て、『ご自由にお借りください』とあった傘は、鋤柄さんが差して帰ったのだろうか。
ねぇ、鋤柄さん。あなたは一体どこにいますか?
『ことだま』の店主の口元は、厨房でニヤリと笑った。
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