第11話 覚悟
かなえは仕事を終えると、無意識に足はあの店へと向かっていた。
暗闇の中に、明かりがついた一軒の店が見えてくる。
店の戸には、のれんがかけられており、そこには『ことだま』とある。
奇妙なラーメン屋は、今日も変わらず同じ場所に存在していた。
金曜日だから『ことだま』へ行くという感覚は、もう失っていた。
かなえは、店の戸を開けた。
数人の男性客が黙々とラーメンを食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。それはもう気にもならなかった。
店内には一台のテレビがあり、テレビの横には一冊のノートとボールペンが置かれていた。
奥では店主らしき人物が麺を湯切りしている手が見える。
かなえは、券売機で醤油ラーメンのボタンを押す。一周回って結局醤油ラーメンに行きついた。味噌の次に太りにくいという点もかなり大きな要素のようだ。
やはり、大豆が入っているかどうかは大事らしかった。
食券を厨房のカウンターへと出した。
食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに醤油ラーメンが出てきた。
かなえは、お決まりのテレビの横の席に座った。
テレビの横にある古くぼろいノート。その横にはボールペンがひとつ。
かなえは、ノートを手に取り、すぐに開いた。
そこには、“鋤柄直樹(仮)”からの続きの“文字”が書かれていた。
『人はちょっと不幸な方が幸せだ。嫌なことがあって、嫌なことがあって、ほんの一瞬幸せが訪れて、また苦しみに押し潰される。その方が幸せを噛み締められるし、生きてるって感じがする。』
かなえは静かにノートの“文字”を見つめていた。
かなえは、自分の未来と向き合わなければならないと思っていた。
しかしまた、どうしたらいいかも分からなかった。
誘われるがまま、婚活パーティーで出会った大河原とのデートに向かった。
大河原さんと美術館で絵を鑑賞した。
でもわたしには、特に絵の良さは分からなかった。
大河原さんには、絵の趣味があるのだろうか?
当たり障りない会話をして、特に相手に踏み込むこともなく、今日も時は過ぎる。
大河原さんはわたしといる今をどう思っているのだろうか。
わたしはやはり、つまんで手軽に食べられる100円の回転寿司のネタなのだろうか。
どうせ寿司なら、やっぱり高級な回転しない寿司の方がよかった。
かなえは、大河原とレストランで食事をした。
そこは、自分一人ではまず行かないような場所だった。
奮発されているのは、見返りを求められているからだろうか。
そもそも大河原さんは誠実そうな振る舞いをしているが、ルール違反の人物だ。
婚活パーティーでカップルになってないのに、また会ってほしいと言ってきた男。
特に気になった人もいなかったから、婚活パーティー代がもったいなくて、なんとなく会ってみただけなのかもしれない。
「もっとあなたを知りたいんです」
そう言われたけど、わたしは大河原さんのことを知りたいと思っているのだろうか?
わたしは小汚い店の方が好きなのかもしれない。
ノートがパリパリした、紙が油を吸っているような店だ。
食事は何を食べるかより、誰と食べるかだという話を聞いたことがある。
でもわたしは、何を食べるかが大事だと思うし、今となってはもう、どこで食べるかが全てになっている。
今頃、鋤柄さんは『ことだま』に来ているのだろうか?
鋤柄さんは、今、あのノートに“文字”を綴っているのだろうか?
ラーメン屋『ことだま』で、“鋤柄直樹(仮)”との“文字”のやり取りは続いていた。
『鋤柄さんはいつも、どの席で食べていますか?わたしはテレビの横の席です』
『僕もです。同じですね』
『鋤柄さんは何ラーメンがお好きですか?わたしは醤油ラーメンです』
『僕は、塩ラーメンです』
鋤柄さんは、塩ラーメンが好きなんだ!
太りますよ?
もしかして鋤柄さんは、太った人なのかしら?
想像は膨らむ。
オフィスで、美智子が川西とのツーショット写真を見せびらかしてきた。
結局あの日の合コンは、後輩美智子のためだったのだろう。
そんなことは、どうでもよく思えてきた。
ひとみがブライダル雑誌をわたしに見せてくる。
妹が先に結婚する。
それもなんだか、どうでもよく思えてきた。
良い人を好きになれる自信がなかった。
恋はきっと落ちるもので、溺れるもので、するものではなかった。
けどそれは、恋愛の話で、結婚とはまた少し違うのかもしれない。
ラーメン屋『ことだま』で、“鋤柄直樹(仮)”との“文字”のやり取りは続いていた。
『鋤柄さん、最近嬉しかったことはありますか?』
『青信号がずっと続いたことです』
『鋤柄さんは、疲れた時何をしていますか?』
『やっぱり“ことだま”に行きますね』
金曜日の夜。かなえの姿は当然『ことだま』にあった。
わたしは、お金で幸せを買っているのかもしれない。
あなたに出逢うために……
かなえは醤油ラーメンを手に、お決まりのテレビの横の席に座った。
テレビの横にある古くぼろいノート。その横にはボールペンがひとつ。
鋤柄さんは、いつラーメンを食べに来ているのだろう?
わたしは今や、毎日のようにこの店に通っているが、出逢ったことがない。
この席に座って、このノートを開く人物を、わたしは未だ知らない。
けど何故か、次来た時には必ず、ノートに鋤柄さんからの返事が書かれている。
テレビでは、金曜ドラマ『その感情に名前をつけたなら』が始まった。
× × ×
改造人間シオンの隣に、恋人アルマがいる。
シオン「どうだエモーション!彼女はもう渡さないぞ!」
エモーション「随分と取り返すのに時間がかかったもんだな。まぁいい、人間の生態を調べる実験はもう最終段階だ」
シオン「何?」
エモーション「君は嘆き悲しむがいい」
アルマ「変身!」
シオンの隣でアルマが突然変身し、怪人になってしまう。
シオン「!これは一体どういうことだ!貴様……アルマに何をした!」
エモーション「わたしは何もしていない。何を言っている」
シオン「そ、そんなわけないだろ!」
エモーション「ほぅ、これが動揺という感情か。いいものを見させてもらったよ」
スマートフォンを取り出し、メモをするエモーション。
シオン「えい、メモるな!メモるな!アルマを返せ!」
アルマ「わたしはここにいるじゃない!」
シオン「俺の彼女はこんな化け物じゃない!」
アルマ「!わたし、もともとこの姿なのよ?」
シオン「何だって?」
アルマ「結局あなたは、わたしの顔が好きだったのね!」
シオンをビンタするアルマ。
エモーション「シンプルにビンタ!怪人的攻撃でなく、シンプルにビンタ!」
アルマ「愛する人を救うのがヒーロー?笑わせてくれるわ。もともと人間なのに改造しちゃうとか、マジウケる。あなたの方がよっぽど化け物よ!」
シオン「こっ、この感情はなんなんだ!」
シオンは膝から崩れ落ちる。
エモーション「これは、今までのどの攻撃よりも効いておる」
× × ×
かなえはむせ返り、ラーメンを喉に詰まらせていた。
「彼女も化けもんじゃん!なんじゃこれ」
かなえは、ノートを手に取り開く。
ふと、ノートが終わりのページに近づいていることに気付く。
テレビから、ナレーションが聞こえた。
「次回、ついに最終回!」
!!!
かなえは、ノートを手に取り、ボールペンを握りしめた。
そして、“鋤柄直樹(仮)”に宛てるように“文字”を書いた。
『鋤柄さん、あのドラマついに来週最終回みたいですよ。よかったら、一緒に見ませんか?』
かなえは覚悟を決めた顔つきで、ノートを閉じた。
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