ほのかに二人は両想い

春野 土筆

ほのかに二人は両想い

 淡雪ほのか。

 可憐で尊く、触れるだけで壊れてしまうような、まるでファンタジーに登場するメインヒロインのような名前。敵に立ち向かう主人公に一粒の涙をこぼし、大好きな彼のために身代わりとなって死んでいく、儚げなヒロインにありそうな名前。

 その見た目も名前に違わず愛くるしく、美しい。パウダースノーのようなキメの細かい肌にこれこそ黄金律、ともいうべき箇所に瞳と鼻と口が配置されている。その口から発せられる一音一音が囁くような精緻な旋律を奏で、僕の耳を癒してくれる。

 もちろん性格も、言うことがない。僕が困っていると、ウィスパーボイスで「大丈夫?」と優しく声をかけてくれる。人の困難を放っておけない優しい性格なのだ。絶世の美女が耳元で囁きながら助け舟を出してくれる――僕のような一介の男子にとって、まるで女神さまからの信託を受け取るような神々しさを覚えてしまう。

 まさに、完璧。

 こんな先輩がこんな田舎の小さな高校に存在していたなんて。入学式の日に初めて彼女を見た僕は、彼女に一目惚れをした。

 人生で初めて、恋に落ちた瞬間だった。

 彼女の事をもっと知りたい、友達になりたい。

 釣り合わないと分かっていながらも、入学直後の僕は舞い上がっていた。

 天に愛された、見目麗しき可憐な美少女。

 すぐに彼女は文芸部に入っているということを聞いた僕は、勢いそのままに文芸部に突撃した。そして、文芸部に入るとそこにいたのは、僕が一目惚れをした先輩が一人。彼女の口から文芸部員は自分だけだと聞かされた時は、天にも昇る心地がして。

 後先考えず、その場で入部届にサインした。

それを見た彼女が「これからよろしくねっ」と軽く微笑み、それを見た僕は思わず時を止め。

まるで漫画や小説に出てくるようなラブコメの始まりを予感させるような彼女との出会いに胸を躍らせ、これから待っているであろうドキドキな彼女との部活動を心待ちにしていた。

 でも僕はこの時気づくべきだった。

 二人っきりだ~!、なんて脳内に花が生えたようなことを考える前に。

 なんで部員が彼女だけだったのかを――。


     ※


「し、閉まらないよ~っ」

 その絶世の美女――もといほのか先輩は、部活終わりにいつも通り騒いでいた、というか泣き叫んでいた。

 こちらを見る大きな瞳は赤くはれ、頬もリンゴのように真っ赤に染まっている。

「な、なんで~~っ⁉」と一人慌てる彼女に、僕は小さくため息をついた。

「先輩、よく見てください」

「……えっ」

 先輩はむせびながら、自分が差していた鍵を抜き、まじまじと見つめた。

 彼女が見つめる鍵にはどこで買ったのか分からない可愛い(?)ゴリラのキーホルダーがついており、先輩の目の前で振り子のように揺れている。

「これ、私んちのカギだ……」

 泣くのをやめ、ハッとしたようにその鍵を凝視する先輩。

 ということは、と先輩はスカートのポケットの中に手を突っ込み。

「あった」

 ポケットから焦るわけでもなくゆっくりと別の鍵を取り出した。それを差し込み、今度こそガチャっと鍵を閉める。

「ごめんね……」

 少し気まずそうに謝るほのか先輩。

「まぁ、いいですけど……何回この間違いするんですか?」

「そ、それは……」

 僕の指摘にしれっと僕から目を背ける。

 ジトーと彼女を見つめると、「えへへへ…………」と何とか苦笑いだけで誤魔化してこの場を乗り切ろうとしている。

 さっきの僕の言からも分かるように、先輩が部室の鍵穴に自分の家の鍵を差し込んで騒いだ経験はこれが初めてじゃない。

 今までも何度か、「あれっ、閉まらないっ⁉」と一人焦っていたのだけど。

これまでの光景が昨日の事のように――いや、1分前の事のように――浮かび上がる。

 まぁ可愛いから、許しますけど……。

「それじゃあ、帰りますか」

「うん、帰ろうか」

 ほほ笑む先輩に上手く誤魔化されたと思いながら、僕は再び小さくため息をついた。


     ※


 先輩はおっちょこちょいだ。

 それも人並外れたおっちょこちょいだ。

 始めのうちは、彼女がヘマをするたびに「可愛いな~」と思って見とれていたのだが、毎日のように彼女のヘッポコっぷりを見ていると「可愛い」だけではすませないレベルであることを思い知った。

 代表すべきヘッポコは、花瓶の水替えだろう。

 入部して最初の日。僕の申し出を断って自ら水を替えに行った先輩は、僕の目の前まで来たところで盛大にこぼした、というか僕に向かって入れてきた水をぶちまけたのだ。狙っていた、というような勢いと量が全身に降りかかってきた訳だが、必死で頭を下げる彼女に許す以外の選択肢はなかった。

「ぜ、全然大丈夫ですからっ」

 これがその時できた必死のフォローである。

 一回だけならいい。

 誰だって間違いを起こす。だって、人間だもの。

 一回だけなら濡れたとしても、偶然と思って「仕方ないか」くらいで割り切れる。

 でも彼女はそうじゃなかった。

 その後も、幾度となく読書中の僕に雨は降り注いだ。天気予報では降水確率0%だったのに、僕にだけ大雨が降った時もあった。晴れなのに学校に傘を持ち込んでやろうか、と思ったほどである。

何度こぼされたのか、途中で数えるのもやめた。

「これは私の仕事だから」とにこやかに返して毎回大真面目にミスるから、どうしようもない。人が良いのも間違いないから、責めるに責めれない。

 こうして僕はやっとなんでこの部に部員がいないのか、という理由にたどり着くことができたのだった。

 

「ごめんなさい、私ったら……」

 その日の帰り道。

 ほのか先輩は、ポツリと呟いた。

「もう慣れましたから」

 先輩が謝ってくるのはいつもの事だ。今日の事でも罪悪感があるらしい。

 でも今回に関して僕は被害を被っていないので、そんな謝られなくてもいいんだけど。

「だ、だって、今年の部活も今日で終わりだよ……」

「あっ、そうでしたね」

 はぁ~、と盛大に肩を落とす先輩。

 忘れてた。

 明日が修了式だから、今日で部活動は最後だったんだ。

 先輩と過ごした一年間があっという間過ぎて、感傷に浸っている余裕もなかった。この一年間を振り返っても、先輩の謝る姿が7~8割を占めている気が……。

「わ、私……航平君に迷惑ばっかりかけちゃって……」

「確かにめいわ……予想外の出来事がたくさんありましたけど、僕は楽しかったですよ」

「先輩として、何もできなかった……」

「ははは……」

 さっきの先輩をマネて、苦笑いに逃げる。

 こればっかりはフォローできない。

 後輩の僕に何度も謝る姿を何度もこの一年間に見てきたのだから。適当に「センパイラシカッタデスヨ」と言おうとも思ったが、より傷をえぐるだけだと判断してやめておいた。

「でも、もう一年ですね」

「うん、早かったね」

 しみじみとこの一年を振り返る。

 文芸部の活動は、本を読むこと。自分が読みたいと思う本を好きなように読んでいっていい。文化祭での出し物もないし、合宿云々といったイベントごともない。ただただ部室で本を読む、という活動だ。

 本を読むだけならわざわざ部活動をしなくても……、と思うだろう。まさに、僕もその意見に同感だ。だから部員が僕たち2人だけなんだ、とひそかに自分の中で言い聞かせている。決して先輩が水をかけるせいじゃない。

「……でも、私嬉しかったよ。君がこの一年間、ずっと私といてくれたこと」

 急に先輩はしんみりとした声でそう言った。

 日頃からウィスパーボイスなので(焦った時は出力全開)、ちょっとした哀愁や可愛らしさが漂っているのだが、今のはいつにも増して感情がこもっていた。

 僕は笑って否定する。

「そんな、先輩。大袈裟ですよ」

「お、大袈裟じゃないよ。君がいるだけで私も楽しいし…………」

 ボソッと、とんでもない発言。

「えっ?」

 条件反射ともいうべきか、先輩に聞き返した。

「えっ⁉」

「今、僕といれば楽しいって……」

「な、何でもないからっ⁉」

 彼女の言葉を反芻するように言うと、先輩はすごい勢いで顔が真っ赤になり両手をブンブン振って発言を訂正した。

「楽しいっていうのは、そ、その、ね?」

「友達として、楽しいってことですよね?」

「そ、そうっ!」

 僕がアシストを出すと、先輩は待ってましたと言わんばかりの食いつきを見せた。

 今は出力全開中の先輩だ。

「変な意味じゃなくってね?」

「分かってます、分かってます」

「航平君は友達だよ!」

「はい……分かってますから」

 アシストが良すぎたらしい。水を得た魚のように、ほのか先輩は「ワタシタチトモダチ~」を連呼している。

 そのたびに、僕の心にはとげが次々と刺さっていっているわけで。

 ちょっと、というか結構傷つくじゃないですか。

 初恋の相手に友達宣言されちゃあ、もう未来ないじゃないですか。

「これからも、友達でいて……うひゃあっ⁉」

 こちらの適当な返しに未だ一人友達宣言をしていた先輩は今、水たまりにはまった。まあまあ大きな水たまりにバシャンという音を立てて盛大にはまった。

 普通はまらないでしょ……、とツッコみたくなったが、相手は淡雪ほのか、日本でも強豪クラスのおっちょこちょいさんである。

 はまるのが当然というか、必然なのかもしれない。

「これ、ハンカチです。使ってください」

「でも……」

「結構濡れてるじゃないですか」

「あ、ありがとう……」

 渋る先輩に強引に自分のハンカチを渡す。先輩はと言えば、「また助けられちゃった……」と不甲斐なさげだ。

 すぐに受け取ればいいのに、とは思ったけれど。

 渋る背景にやはり先輩としての体裁を気にしていたようだ。

 もうこの一回どうこうで先輩の評価が変わらないと思うんですけど……、という言葉はグッと腹の中に飲み込んでおく。

「また洗って返すね」

「新学期でいいですから」

 先輩と過ごした一年間は、やっぱり先輩のおっちょこちょいで幕を閉じた。


     ※


 その日の夜。

「あ~、やっちゃった~~」

「お姉、どしたの?」

「聞いてよ、あかり~~っ」

 ばふっ、と彼女の胸の中に飛び込む。

 柔らかな肌の感触と、お風呂上がりのシャンプーの香りが鼻腔に充満する。妹に甘える時の私の常套手段だ。

「ん、どうしたの?」

「実は……」

 私はあかりに今日の航平君との出来事を事細かに説明していく。

 いつも通りドジってしまった事、思いっきり友達宣言をしてしまった事……。

「そんなんでヘコんでるの?」

 私の相談にあかりは全然気にする素振りを見せない。

 見せないどころか、「何を悩んでるの」といった様子である。

「私、航平君に友達って言っちゃった……」

「そんなん、どうとでもなるよ。お姉が、『私、実は航平君の事が大好きで……』とか上目遣いで言っとけば、友達宣言なんて、なかったようなもんよ」

「そ、そうなのかな~?」

「そんなもんでしょ」

「で、でもさっ、それだと私から告白しなきゃだし……」

「すればいいじゃん。もう一年もいるんでしょ?」

「い、言えないよ~~~っ」

 再びあかりに抱き着くと、あかりは困ったように眉を顰め、何かいい案がないか一緒に考え始めてくれた。

 なんだかんだ言って相談に乗ってくれる優しい妹だ。

「じゃあ、エイプリルフールを活用するってのは?」

「エイプリルフールの活用?」

「ほら、よくあるじゃん。告白してフラれても、『エイプリルフールだから~』で誤魔化すやつ。めっちゃ融通利いて便利」

「うーん……」

「もう、好きって言っちゃえ!」

「は、恥ずかしいよ~~」

「お姉の見た目でフラれること無いって。ウチら美人姉妹ってよく言われるじゃん」

「わ、私は……」

 言葉を濁しつつ駄々をこねていると、あかりが何かを思いついたらしかった。

「じゃあ、これは?」

 あかりに今思いついた作戦を耳打ちされる。

「そ、それいいっ!それにしよっ!」

 それを聞いた私は、あかりに力強くうなずいた。


     ※


 3月31日

「あ~、暇だ。することねぇ」

 というのは嘘である。

 修了式の日に高校から、「バカじゃねぇの?」と思うほど大量の課題が出ている。どれから手を付けようか、などと考えている暇がないほど大量である。

 せめて春休みくらいはゆっくり休ませてほしい。

 春休みの前日、修了式が終わり家に帰ってからすぐに宿題に手を付け始めた。食べる、寝る以外はほぼノンストップで宿題をやり続けた。

 そしてこの日。

 ある程度の宿題をやり終え、しばしの休息をとっていた。残りを考えると、適当に遊んで宿題をすれば十分に間に合う量だ。

 よく頑張ったぞ、自分。

 ご褒美に久方ぶりの読書を……と読みかけていた本を手に取った瞬間。

 僕のスマホに、ピロンッという電子音が鳴った。

 誰かから連絡が来たようだ。


【久しぶり。元気にしてる?】

【突然なんだけど、明日会えないかな?】


 ほのか先輩からだ。

 僕からはたまに送るのだが、彼女からなんて珍しい。

 それも、「会えないかな」って――これはもしやデートのお誘いなのではっ⁉

 急なイベントの発生に緩んでいた思考が一気に活性化する。

 ど、どうしよう……先輩からのデートのお誘い、っていやまだデートだと決まった訳じゃない。焦るな、自分。

 それ以外も十分にあり得る。

 でも、それ以外ってなんだ?

 学年が違うから、グループで遊ぶから誘う、何てこともないだろうし……やっぱりデート⁉

 思考がまとまらないうちに返信をするために文字を打っていく。


【はい、大丈夫です!】


 断る理由なんてない。僕はすぐに彼女に返信した。

 送信すると、すぐに既読が付き。


【それじゃあ、明日の午後2時ごろに校門でいい?】


 待ち合わせの時間とともに、『また明日!』というスタンプが押された。

 先輩とのラインを終え、一息つく。

 こうして先輩とのデート(?)が一瞬のうちに決まった訳だけど。

「先輩と……」

 ベッドに仰向けになりながらスマホ画面を眺める。

 そこには、ついさっきまでやっていた先輩とのやり取りが映し出されていて。

 一往復だけの子のやり取りに自然とほおが緩んでしまう。

 僕の心臓は痛いくらいに高鳴り、静かになることはなかった。


     ※


 4月1日。

 僕は先輩とのデート(?)にドキドキしながら、校門に来ていた。

 グラウンドから体育会系の部活の声は聞こえるが、校舎は春休みということもありシンと静まり返っている。

「やっほ~!」

「せ、先輩、こんにちは」

 先輩はいつもの制服とは趣の異なる、ショートパンツに春らしい桜色のTシャツを纏った姿で僕の前に現れた。露出度が高い服装に、肩から交差して下げているポーチがアクセントになっている。

 何だか服装と相まってか、先輩のテンションも高い気がした。

「やっほ~」は初めてである。

「あの……今日はどういった感じで?」

 おずおずとした口調で尋ねる。

「ハンカチ借りたでしょ?」

「……あっ、そう言えば」

「あとね」とちょっと恥ずかしそうに瞳を泳がせながら。

「……カフェで君とお茶したいな~って。ダメかな?」

 体の前で手をもじもじとさせて、上目遣いでお茶のお誘いをしてくれた。

 こんなに可愛く誘われて、断れる男子がいるなら見てみたい。

「はい、行きましょう!」

 僕は昨日のライン同様、先輩の言葉にすぐさま同意した。

 

「それじゃあ、私はコーヒー」

「僕はカフェオレで」

 先輩に連れてこられたオシャレな喫茶店。

 僕達は向かい合うように座った。

 それぞれの注文を終えて、しばし無言の時間が生まれる。

「先輩はここによく来るんですか?」

「ん~、たまにかな。たまにカレシ…………コホン。友達と来てるかな~」

「い、今……彼氏って」

「な、何の事かなっ~。わ、私そんなこと言ってないしっ」

 先輩は棒読みになって分かりやすく誤魔化す。

 そうか、そうなんだ……。

「いや、隠さなくてもいいですよ。だって僕ら友達じゃないですか」

「いやっ、ホントそうじゃなくって!」

 先輩は頑なに否定する。

 何故か必死に否定しているが、今の自然な言い回しが何よりの証明だ。

――先輩には、彼氏がいる。

今までそういう系の話をしたことはなかったけれど、やっぱそうだよな。

おっちょこちょいでも、こんな美人さんほっとく奴いないって。

常識的に考えて。それを思うのと同時に、デートだと思って一人で舞い上がっていた自分がなんだか馬鹿らしく感じられる。

 そんなタイミングで「コーヒーとカフェオレです」とウエイトレスさんが飲み物を運んできた。気まずい空気が流れていたので、ありがたい。

 僕はすぐに運んできた飲み物に手を付けた。

 一旦気持ちを落ち着かせる。

「先輩って、コーヒーなんですね。意外です」

「……それって、いつもの私が子どもっぽいってこと?」

「そうじゃなくって……先輩ってココアとかのイメージがあったので」

「あ~、可愛い系?」

「そ、そうですね」

 何か、今日の先輩はぐいぐいと来るな。

 初めからテンションMAX(?)とでもいうような声音で話してくれている。プライベートではいつもこうなんだろうか。制服を脱いだら気持ちも軽くなる人もいるというし、先輩はそういうタイプなのかもしれない。

 ガシャン。

 先輩のいつもとのギャップに少々気後れしていると、急に後ろの席でカップの割れる音が響いた。どうやら、手を滑らせてしまったらしい。まるでほのか先輩みたい……、などとすぐに考えてしまう僕はこの一年で相当先輩に毒されてしまったな。

 すぐにウエイトレスさんがタオル片手にその客に近寄っていく。後ろ姿しか見えないが、申し訳なさそうにする姿が見て取れた。

 僕のところも数分後こんな事態になっているのではないか、と先輩の方に向き直ると、先輩は流れるようなしぐさでコーヒーを口に運んでいた。

 どうかした?という視線を向けられ、「何もないです」と返す。

 そしてカップを置いた先輩は、

「そうだ。私が考えたゲームあるんだけど、やってみない?」

 突拍子もなく、ゲームをしようと言い出した。

「な、なんでしょう?」

「私はこれから君に話をするから、その話がホントかウソか見破ってみるっていうやつ」

 急に何を言い出すのかと思えば。

「は、はぁ……」

「これを見破れたら、あなたの願いを私が何でも聞いてあげる。でも、嘘が見破れなかったら、私の願いを一つ聞いてくれる?」

「……何でも、ですか?」

「そう、何でも。だけど、いやらしいお願いとか、一億円欲しい、とかは無しね?」

「それはもちろんですけど……」

「普通に高校生ができるあたりが限度かな?」

「け、結構ハードですね……」

「やらないんやら、やらなくてもいいよ?」

 先輩はらしくなく雌豹の様な鋭い眼差しを向けて僕の答えを待っている。

 何だか色っぽい。

「で、でも、何で急に?」

「今日はエイプリルフールだよ?この日を利用しない手はないでしょ!……で、やるのやらないの?」

 先輩は顔を近づけて再び問うてくる。

 ここで引いてしまえば、先輩から「意気地なし」という称号が与えられてしまうかもしれない。先輩には好きな人がいるのは分かったけれど、先輩は僕を大事な友達だと思ってくれている。

 せっかくゲームを提案してくれたのに、先輩を幻滅させることなんて僕にはできない。

「いいでしょう、やります!」

「そうこなくっちゃ!」

 ノリがいいね、と言わんばかりに僕からの回答に対して先輩はテンション高くウインクした。


     ※


「じゃあ、始めるね」

 もう一度言うけど、と前置きして先輩は今からするゲームのルールを説明してくれる。ルール――今からほのか先輩は僕に向かって話をする。この話は本当かウソか分からない。これを見破ることができれば、先輩は僕のお願いを何でも一つ聞いてくれる。これを見破れなければ、僕が先輩のお願いをなんでも一つ聞く。

 私の言葉の端々に注意するんだよ~、と忠告する先輩。

 その目には悪戯そうな光が宿っていて。

 こちらも久々に胸が騒ぐ。

 先輩に勝てば何でも言うことを聞いてくれるんだ。

 何でも――というのはどこまでいいんだろうか。できる範囲で……という事は言っていたけれど、先輩を彼女に……なんてことは彼氏がいるっぽいからさすがに言えない。

 ただ、「何でも」というワードに自然と手に汗を握ってしまう。

「じゃあ、話すね」

 先輩は軽く息を吸い込み、こちらを見据えた。

「私は、好きな人がいます。とても好きな人がいます。その人の事を考えると夜も眠れません。好きで好きで仕方がありません」

 そこまで言うと先輩は少し間を置き、一回胸に手を当てて再度呼吸を整えた。

 そして。

「私は、その彼と付き合いたいと思っています。」

 その彼は――。

「――航平君です」

 い、いきなり――。

 そう思ったその時。

 ブゥーッッ!と後ろの席から飲み物を噴き出す声が聞こえた。

 何事か、とも思ったが。

「まだ、ゲームの途中だよ?」

 と先輩に話に集中するように促された。

 再びウエイトレスさんが後ろに駆け寄っているのが背中ごしに感じられる。

「だから今日、私は航平君に告白したいと思っています――――はいっ、おしまい!」

 そこまで言い終えると、シリアスな雰囲気を取り払い、先輩はパン、っと軽く手をたたいた。 空気を元に戻そうとしたのだろうが、甘い感じが二人の間に漂う。

 言い終えた先輩も少し頬を染めつつ、コーヒーを一口飲んだ。

 はっとした僕は今の先輩の言葉を口の中で反芻する。

 せ、先輩が僕の事を好き?

 それもたまらなく、好き?

 う、嘘だぁ~。思春期の男子に冗談でもこんなこと言っちゃダメですよ。ホントに真に受けちゃうじゃないですか。

 チラッ、と先輩を盗み見ると先ほどよりさらに頬が紅潮している。

 いきなり現実味が増した。

「…………ホ、ホホホントですか?」

 確認を取る声が震える。

 先輩は、ちょっと口を尖らせながら、

「それを考えるんじゃん」

 とツッコむ。

「そ、そ、そ、そうでしたね……ハハハ」

 不器用な笑いを浮かべながらその場をやり過ごす。

 ヤバい。

 心臓がバクバクしてうるさい。

 も、もしこれが本当だったら――――。

 入学式の時に一目ぼれした先輩の、儚げな笑顔が脳裏に浮かび上がる。

 が、それと同時に今日の発言を思い出した。先輩はこの店に「カレシ」と来ていると言っていたじゃないか。もしこれがホントだとすると、あの言葉とその後の誤魔化しが全部演技だったということになる。

 おっちょこちょいな先輩が、そこまで計算出来て演技できるのか?演技だったとしても、先輩ならもっとボロを出すんじゃないのか……。

 ヤバい。分からなくなってきた。

 いつも使っていない脳が先日の宿題の疲れからまだ回復しきってないというのに……!もうパンク寸前だ。

 それに、もし冗談だとしても先輩の口から僕を好きだという言葉が出てくるなんて。

 僕は今までにないくらい脳を回転させた。パンク寸前の脳で今話していた時の先輩の声音、言葉。考えるための要素一つ一つを吟味していく。

 先輩の言は本当なのか……。

「……ねぇ、まだかな?」

 フル回転している僕に頬杖を突いた先輩が甘えるように小首を傾げた。

 瞬間、ドキッと心臓が一回跳ねた。

 これは誘われているのか?

 私は航平くんのことが好きだよ、と全力でアピールしてくれているのか?

 懸命に微力な知能を働かせた結果、僕は先輩の態度を信じることにした。

「えっと…………………ホントで」

 答えを言う自分のほおが熱くなるのを感じる。

「ファイナルアンサー?」

「ふぁ、ファイナルアンサー……?」

 急に懐かしのクイズ番組の真似をする先輩。ジッと見つめられてドキッとしてしまうが、僕も先輩の真似に便乗する。

「…………」

「…………」

 緊張の時間が二人を包み込む。

 互いをジーッと見つめ合いながら、答えが発表される瞬間を固唾をのんで待つ。

そして――

「…………残念っ」

 可愛らしい声と嬉しそうな表情で「残念っ」と先輩は言った。

 それを聞いた途端、緊張から解き放たれた僕はこわばっていた筋肉がふぅっと弛緩した。

 だけど同時に。

 やっぱり先輩は僕の事が好きで好きでたまらない訳ではなかったらしい。以前も言っていたように――今日も言っていたように――先輩には好きな人がいて、先輩にとって僕はただの友達なのだ。

その事実が改めて突き付けられ、何かが遠くへ行ってしまうような、永遠に手が届かなくなってしまうような虚無感に襲われた。

 かなりショックだけど、僕だけが本気に落ち込んでは場もしらけるというもので。

 ここは努めて冷静に……。

「いやぁ、僕の負けです。何でもお願いしてください」

「もしかして、……落ち込んでる?」

「そ、そんなわけないじゃないですかー」

「棒読みになってるよ?」

「いや、ほんとに大丈夫ですから……」

 大丈夫、と言う自分の声に力がこもらない。吸い込んだ空気がそのままどこかに抜けて行っているかのように、口から声が出てこない。この一年を通して僕が先輩に抱いていた感情がエイプリルフールからインスピレーションを受けたゲームで打ち砕かれるなんて。

 春休みの残りを静養にあてようかな。

「ねぇ、お願い事していい?」

 俯く僕に先輩が口を開いた。

「な、何でしょう……」

「ねぇ、私と付き合ってみない?」

 ニヤッと口角を上げて先輩はお願いを言った。

 僕の中で時間が止まる。

 私と付き合って?

 先輩は僕の事が好きじゃないんじゃないの?

 えっ、えっ、えっえっえっえっえっえっえっ―――?

 頭に喜びよりも先にはてなマークが浮かび上がる。

 ただでさえパンクしていた頭がさらに混乱を引き起こし始めた――ところで。

「ち、ちょっと待ってっ⁉」

 突然僕の背後から、聞き覚えのある焦り気味のウィスパーボイスが耳朶に響いた。「うそでしょ」という気持ちと「まさかっ」という気持ちが合わさりながら振り返る。

 そこにいたのは――。

「ほ、ほのか先輩ッ⁉」

 振り返った僕の前にいたのは、まぎれもなくほのか先輩だった。

 間違いない。

 僕の初恋の相手、淡雪ほのか先輩だった。

 ほのか先輩にほのか先輩。

 僕は頭をブンブンと交互に見まわす。僕の前と後ろ、どちらにもほのか先輩がいる。

「ほのか先輩が二人っ⁉な、なんでっ…………⁉」

 だが、焦る僕を気にする素振りも見せずに後ろにいたほのか先輩がもう一人に視線を送った。

「話が違うよっ、あかりっ⁉」

「何の事かな、お姉?」

 あかりと呼ばれた先輩は、わざとらしく視線を逸らす。

「えっ、えっ、えっ、えっ、えっ、えっ⁉」

 ただでさえ混乱していた思考がさらにかき乱される。今これはどういう状況なんだ⁉。

 そんな僕を置いてきぼりにして先輩達は話を進めていく。

「な、何であかりが告白するのっ⁉」

「何か問題でも?私は自分の権利を行使しただけだよ?」

「権利の行使って…………私にくれるんじゃなかったのっ⁉」

「いや、そんな訳ないじゃん」

「な、何でっ⁉」

「そんなズルしちゃダメよ、お姉。私が航平君に告白したんだから」

「で、でもっ……私が航平君のこと大好きなんだよっ⁉」

「もしかしてお姉、航平君を私にとられたくないの?」

「こっ、航平君は私の航平君なのっ‼」

 すごい勢いで応酬が繰り広げられるが。

 先輩の言葉を聞いたあかりさんは、さっきみたいに口角をニヤッと上げて一瞬黙り込むと、まるで罠にかかった獲物を見るような目で先輩を見据えておもむろに口を開いた。

「お姉、こうでもしないと自分の気持ち伝えられないでしょ?」

「えっ…………ふぇぇええぇえええっっっ⁉」

 その一言にほのか先輩は固まった。そして、紅潮・爆発。

自分がのせられて何を言ったのか、言ってしまったのかをこの時理解したようだった。扱いやすいとでも言うように、あかりさんは声を出して笑っている。

両手で頬を押さえた先輩は、ロボットのようにカクカクと首をこちらに向けた。

「せ、先輩……」

「こ、航平君っ…………」

 やってしまった、という顔で見つめる先輩。

「こ、これはねっ……あ、あかりって私の双子の妹で今言った私の言葉って、そ、その恋人っていうかね、そのね…………?」

 必死に弁明を図ろうとするが、何を言いたいのか全然まとまっていない。瞳はグルグルと回っていて、頭が正常に働いていないのは明らかだ。

 唯一分かったのは、あかりさんが先輩の双子の妹ということだけ。

「……せ、先輩って僕の事、お、男の子として好きなんですか……?」

 このままでは埒が明かないので、勇気を振り絞って先輩に尋ねる。

「そ、それはね…………………………うん」

 しばらく瞳を泳がせた後、先輩はひときわ小さな声になって僕の言葉を肯定する。

「でも、このままじゃ、航平君私のモノになるよ、お姉?」

 肯定した後、再び無言になった先輩にあかりさんが追い打ちをかける。すると先輩は涙目であかりさんを恨めしそうに睨みつけた。だけどあかりさんの方は楽しそうにケラケラ笑っている。

「……こ、航平君。い、嫌なら全然いいんだよ?ほ、ホントに嫌だったら全然いいからね?」

 震えた声で、何度も僕に確認を取る。絡み合う視線の先の先輩はこれまでに見たことがないくらいに緊張していて――――美しかった。

「私の恋人になってくれない………………かな?」

 先輩からの告白。

 入学式で一目惚れして以来、僕には彼女しか見えていなかった。おっちょこちょいなところには最初驚いたし戸惑ったけれど、それも必死にやっている故の結果であって。そんなところも含めて彼女の事がこの一年でさらに好きになっていた。

 僕は小さく息を吸い込んで。

「もちろんです。むしろ、僕の方からお願いします」

 即答した。

 この一年間をかみしめるように、彼女に返事をした。

「よ、良かった~…………」

 僕からの返事にホッとしたような表情が、先輩の精緻な顔に浮かび上がる。途端、相当緊張していたのか、先輩はヘナヘナ~と体の力が抜けたようにこちらの方に倒れてきた。焦った僕は腕を広げて、先輩を受け止めるような体勢を取るが。


 瞬間。

 抱きかかえようとした僕の唇に、彼女の小ぶりな唇が柔らかく重なった。

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