第151話.光の花嫁

 


 それは、冬の足音が着々と迫る日だった。

 不思議と穏やかな秋の木漏れ日が、頭上から射し込んでいる。


 鳶色の髪が、風に柔らかく揺れている。

 草の香りと、土のにおい。すぅすぅ、と小さな寝息を立てていたルイゼの耳元に、その囁きは秘やかに落とされた。


「……ルイゼ」


 まだ夢の中に居るルイゼの意識が、その声に引き寄せられる。

 むっと眉を寄せて、小さく唸ったルイゼは、おずおずと目を開いていった。


 その姿を確認するよりも早く、ルイゼは名前を呼んでいた。


「……ルキウス様?」


 呼んだ唇に、そっと押し当てられる。

 熱を帯びた感触が、何を意味するか知っている。ルイゼは頬を染めつつ、今度こそ顔を上げる。


 そこには、微笑むルキウスの姿があった。


「おはよう、ルイゼ」

「……おはようございます、ルキウス様」


 起き抜けに口づけを落としたその人が、悪戯が成功した子どもの顔をしている。


「ルイゼは寝顔も可愛いな」

「……もう」


 片方の頬を膨らませるルイゼの隣に、ルキウスが腰かけた。


「少し、外は冷えるな」


 そう呟いたルキウスに、優しく肩を抱き寄せられる。

 彼の体温を感じていれば、丸く膨らんでいた頬はすぐにしぼんで、代わりにルイゼには笑顔が戻る。


 頭上の樹冠が風に揺れ、梢がさやさやと鳴る。

 ルイゼがうたた寝していたのは、魔道具研究所の裏庭である。

 緑に溢れる庭を見回していたら、王宮の庭園を思い出さずにいられなかった。


 六歳のルイゼと、十六歳のルキウスが再会した場所。

 あの日のことを思い出すと、不眠気味のルイゼの目蓋は重くなって、気がつけば木にもたれかかって眠っていたのだった。


「何か夢を見ていたのか?」

「え?」

「幸せそうな寝顔だったから」


 やはりルキウスには、なんでもお見通しらしい。

 ルイゼは頷いて、ゆっくりと話し出した。


「エラ地方を離れる前に、父と……母の話をしたんです」


 暗黒魔法の後遺症に苦しんでいたリーナとガーゴインだが、彼らの症状はすべてが取り除かれた。

 同じくロレンツやシャロン、そして拘束されているマシューにも命の別状はない。


 リーナたちはもうしばらく、経過観察のためにロレンツの客館で過ごすことになった。

 しかしそれも問題なければ、伯爵家の屋敷へと帰ってくる。ルイゼは今から、その日が待ち遠しくて仕方がなかった。


 王都に戻る前日に、ルイゼとリーナはガーゴインに呼び出された。

 長年、魔法に侵され続けて痩せ細ったガーゴインだが、その目には以前よりも活力が戻ってきていた。


 ガーゴインは二人の娘に、訥々と語ってくれた。

 その話は、天真爛漫なティアとの出会いに始まり、彼女との結婚式の話に終わった。

 今まで一度も聞いたことのない両親の恋の話である。年頃の娘らしくはしゃぐルイゼたちに、ガーゴインは気恥ずかしそうにしていたが、彼の口ぶりから、亡き妻を今も想っていることが伝わってきて。


「その話を聞いたからか、夢を見ました。父と母の、結婚式の夢です」


 ルイゼが生まれるより前のことだから、その光景を、実際に目にしたわけではない。

 けれど目蓋を閉じると、ルイゼの眼裏に浮かび上がるのだ。


「ウェディングドレス姿の母は……とても、きれいでした」


 赤い花弁が、青空を覆い尽くすように舞う中。

 純白のドレスをまとうティアが、嬉しそうに赤い唇を緩ませる。彼女の手にした花束のブーケには、とりどりの花が咲いている。


 誰もが、目を奪われずにはいられない美しい花嫁。

 その姿は、まるで――光り輝く妖精が、天から舞い降りてきたかのようで。


 家族に、人々に祝福されて、そうして恋人たちは夫婦になっていく。

 夢の中で、ルイゼは、確かにその光景を知ったのだ。


(……母は、幸せだったんだわ)


 若くして身罷ったティアだけれど、きっと、後悔はしていなかったはずだ。

 だってルイゼは、ティアと一緒に居られて幸せだった。優しいティアに抱き上げられるとき、いつも、幸福だったから。


 ルイゼの手を、ルキウスが握る。

 その温もりに、ルイゼは口角を緩めたけれど。


「つまり、ルイゼ」

「はい」

「ルイゼは、俺と早く結婚したいってこと?」

「……そ、」


 出し抜けの言葉に、めまぐるしく、ルイゼの頭が回る。

 そういえば――、と思い返したと知ったなら、ルキウスは怒るかもしれないが。



(私、ルキウス様の告白プロポーズを、保留にしていたんだわ……!)



 と、今日いちばんの衝撃に、まどろんでいたルイゼの意識が覚醒していた。



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