第135話.大公と第一王子

 


 ルキウスと再会を果たした、その翌日。

 早朝から、ルイゼはフィアンマによって謁見の間へと呼ばれていた。


 ルイゼが初めてムシュア宮に来たときも案内された場所である。

 そこには既に、フィアンマとナイアグ、ルキウスとイザックが待ち受けていた。


「すみません。遅くなりました」

「これで役者が出揃ったな」


 思わせぶりな言葉と同時、フィアンマが玉座から立ち上がる。

 笑顔でルキウスの胸を指差すと、彼はこう言い放った。



「お前に決闘を申し込む、ルキウス」



 思いがけない言葉に、ルイゼは衝撃を受ける。


(エ・ラグナ公国での決闘は、申し込まれた時点で相手は断れない)


 アルヴェイン王国では手袋を投げつけ、相手がその手袋を拾い上げた場合に決闘が成立するのだが、公国にまどろこしいルールはない。


 しかしこの事態を予測していたか、事前に聞いていたのだろうか。ルイゼ以外の面々は顔に動揺もない。

 決闘を申し込まれた張本人であるルキウスも、それは同じだった。


「オレが勝ったら、こいつはオレのハレムに入れる」


 こいつ、と言ってフィアンマが見るのはルイゼだ。

 その視線から守るように、ルキウスがルイゼの前に立つ。


「そもそも保護したのはオレなんだから、その権利があるだろう?」

「微塵もありません」


 きっぱりと言うルキウスに、フィアンマが口角をつり上げる。


「ルキウス。いずれ王になるべき人間が、恋人を追いかけて他国にまで来てどうする」

「……!」


 ルイゼははっとした。フィアンマの言動の理由が理解できたからだ。


(大公として、ルキウス殿下の行動を窘めている……)


 ルイゼをハレムに入れるなんて、本気ではないのだろう。ただルキウスを挑発しているだけ。

 フィアンマはルキウスの行動を問題視して、諫めようとしているのだ。

 ルイゼに見せる姿は、威厳も何も感じられないものだったが、玉座から見下ろすフィアンマの笑みには慈愛がある。


 自国の民を導く、光りたる者。

 今のフィアンマは、上に立つ人間としての風格を感じさせる。


「お前の手足となって働く人間はいくらでも居る。自分の感情を優先して動くな」

「それを俺に言い聞かせたいがために、決闘を?」

「そうだ。剣で斬り合うでも、魔法をぶつけ合うでも構わないが、どうする?」


 ルキウスが眇めた目で、玉座のフィアンマを見やる。


「では、どちらも」

「いい覚悟だ、ルキウス・アルヴェイン」

「ただし俺が勝った場合、二度と彼女に近づかないでください」

「いいだろう」


 フィアンマたちに本当の名前を名乗らないように、とルキウスに言われたルイゼは口を噤んだままだ。

 侍女たちは今も詳細を知られていないようで、ルイゼのことをシャロンと呼ぶ。


(私の名前を大公殿下たちに隠すのに、どういう意味があるんだろう……)


 シャロンの【通信鏡】を持たされていたから――というだけでは、もはや理由としては成立していない。

 ルキウスの考えたことなのだから、必ず何か意味がある。しかしその理由はなんなのか。


 悩むルイゼには気がつかず、フィアンマが侍従長であるナイアグを見る。


「練武場を使うぞ。いいな、ナイアグ?」

「はい。準備は整っていますので」


 礼をとったナイアグ。

 フィアンマに先導され、一同は庭園の奥に設けられた練武場に向かうことになった。

 ルイゼは何度も話しかけようと思ったが、フィアンマの隣を歩くルキウスになかなか声がかけられない。


(もともと私が悪いのに)


 シャロンをマシューから助けたかった。

 苦しそうなエリオットにシャロンと再会してほしかった。

 間違ったことはしたとは思わない。だがルイゼの手際が良ければ、むざむざ公国行きの船に乗る羽目にはならなかったのだ。


 ルキウスの後ろを歩くイザックに、ルイゼはそっと声をかける。


「タミニール様。フィアンマ様はお強いのですか?」


 本当は明るく笑い返してほしかった。そんなことはない、と。

 しかしイザックさえも、このときばかりは眉を顰めている。


「……そうだな。さすがに、無傷では済まないと思う」


(そんな……)


 イザックがそんな反応を見せるということは、それほどフィアンマが強いということだ。


「決闘を止める方法はありませんか?」

「ない。とにかくオレたちは見守ろうぜ、ルイゼ嬢」


 そうイザックは取り成すように言うものの、ルイゼは頷くことなんてできない。

 ルキウスが傷つくのを黙って見ているなんてできないのだ。


 そんな会話が聞こえたのかどうか、ルキウスが後ろを振り返る。

 灰簾石の瞳と目が合ったとたん、ルイゼは我慢できず彼に駆け寄っていた。


「ルキウス様、ごめんなさい。私のせいで」

「ルイゼは何も悪くない」


 なんでもないように、ルキウスはそう言ってくれる。

 しかしルイゼの顔色が優れないのに気がついたのか、こう続けた。


「……伝えるのが遅れたが。シャロンは、君に感謝していた」

「カリラン様が?」

「本当なら自分が公国に向かい、直接謝りたいと。体調が優れないから、エリオット・エニマに止められていたが」


(二人は、ちゃんと再会できたんだわ)


 いろんな誤解があったけれど、強い絆で結ばれた二人だから、きっと大丈夫なはず。

 ルキウスが教えてくれた言葉は嬉しいものだった。だからといって、満面の笑みになれるはずもないのだが。


「大丈夫だよ、ルイゼ。俺は負けないから。だからそんな顔をするな」


 ルキウスは表情も変えずに言ってのけるが、彼だって本当は不安なはずだ。

 相手はフィアンマ。エ・ラグナ公国の頂点に立つ大公なのだ。

 金色の瞳を持つ彼には、ジャラ民族の血が流れているのだろう。ジャラ民族は特別に身体能力が高いとされる。いくらルキウスでも、無傷で済むはずがない――。


 そのときだった。

 ルキウスが無造作に、ルイゼの耳に顔を寄せる。


「肩の印が消えたら、もう一度更新しないといけないからな」


 ひっそりと、色っぽい声で囁かれて。


「…………っ!」


 一気に赤くなったルイゼは、ブラウスに包まれた肩を隠すように手のひらで覆う。

 服の下に隠れたその痣は、ルキウスが与えたものだ。


 湯浴みのときや着替えのとき、侍女に見つけられてどんなに恥ずかしかったことか。

 みんな「虫に刺されたのかも」と口々に言ったが、本気でそう思っているならば、にまにまとした笑みなんて浮かべなかったはず。


「い、いけません。こんな目立つところに」


 彼の独占欲が感じられて、嬉しくないと言えば嘘になる。

 しかしまた同じところに痕ができてしまえば、肩を露出する王国のドレスはほとんど着られなくなってしまう。


 恥ずかしがるルイゼの腰を、ルキウスがおもむろに抱き寄せる。


「目立たない場所ならいい?」

「っルキウス様!」


 今はそんなことを言っているときではないのに。


「俺は冗談は言わない」


 くすくすと笑うルキウスは、あるいはこんなやり取りで緊張を解しているのだろうか。

 そう思うと、ルイゼは何も言えなくなる。ルキウスがリラックスできる一助になれているかもしれないから。


 そのまま一行は練武場へと到着する。

 ナイアグの言う通り、人払いされた広い空間には人気がない。

 上着を脱いだルキウスが、兵から武器を受け取る。木刀ではなく真剣だ。

 フィアンマも同じものを手にしている。その光景を見ただけでルイゼの顔から血の気が引いた。


「大丈夫か、ルイゼ嬢」


 横に立つイザックが声をかけてくれるが、返事もできない。

 広い練武場の中央で、両者が向かい合う。


「覚悟はいいな、ルキウス」

「ええ」


 短く答えたルキウスが、剣を構える。

 フィアンマは誘うように剣の切っ先を揺らす。鋭い睨み合い。


 ルイゼたちが息を呑んで見守る中。



 ――勝負は、一瞬で決着した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る