第130話.魔道具の秘密
(ああ、楽しかった……!)
その日の夜のこと。
食事を済ませ、自室に戻ったルイゼがうきうきと思い返すのは、もちろん今日の見学のことだ。
まだ見て回りたかったのだが、ぎょっとしたナイアグに止められてしまい、今日のところは帰ることにしたのだ。
(なんだか私、ふつうにこの生活を満喫してしまっている気が……)
「シャロン様。大公殿下よりご連絡がありました」
ソファに腰かけたルイゼに、今やすっかり顔なじみになった恰幅の良い侍女が話しかけてくる。
「明日の夜、ムシュア宮で行われる宴にパートナーとして参加するようにとのことです」
意外な言葉に、ルイゼは目をしばたたかせた。
「宴?」
「はい。少し遅くなったが、シャロン様を歓待したいとのことで」
そう言われると無下にはできない。
それにシャロンの名を借りている以上、フィアンマに対し失礼に当たる行動は控えたほうがいいだろう。
「分かりました、とお返事いただけますか?」
「承知しました。準備はこちらで担当しますので、おきになさらず」
満足した侍女が部屋を出て行くと、入れ違いにハイルがやって来た。
「カーマン様?」
突然ハイルが現れたことに、ルイゼは少し動揺する。
昼間は楽しい時間を過ごしたが、ハイルとはリーナとして面識がある。
まさか正体が露呈したのでは、と警戒するルイゼだったが、ハイルは素知らぬ顔で向かいのソファにどかりと腰を下ろした。
「ハイルでいい。お前のこと気に入ったから、見せてやろうと思ってな」
友人の部屋を訪ねに来たような気軽さである。
がさごそと、持参してきた大きなカバンの中身を漁っている。中が散らかっているようで、目当ての物が見つからないようだ。
そうしている間に侍女が戻ってきて、テーブルの上に匙が添えられたチャイが置かれる。夜半前の訪問であることは、あまり気にされていないようだ。
侍女が出て行ったので、手持ち無沙汰のルイゼはチャイに口をつけた。王国では慣れ親しんだ紅茶、その型落ちした茶葉が用いられている飲み物だ。
たっぷりと砂糖とミルクが加えられているので、舌触りが良く甘い。もともとの茶葉はひどく苦いそうだが、ミルクティーよりもずっと甘く感じられる。
「あった。これだ」
数分後、ようやくハイルがカバンから顔を上げた。
「古代遺跡で、発掘調査中に掘りだしたんだ」
古代遺跡とは、
アルヴェイン王国は、特に遺跡が多いとされている。しかし遺跡の調査には莫大な費用がかかる。魔法省の担当部署が発掘調査を行っているが、年間を通して大規模な調査は十回ほどしか行われていない。
「ハイル様」
「ハイル」
「ハイル、先生」
まぁそれでいいか、という顔をされる。
「ハイル先生、もしかして未発見の魔道具が見つかったのですか?」
「察しがいい。その通りだ。まだ大学にも報告してないからな、内緒だぞ?」
いろんな規則に抵触していそうだが、ルイゼが注意するようなことではない。
(それに正直なところ、興味があるわ)
ルイゼはこくこくと頷く。
共犯になるという意が伝わったのだろう。ハイルがよしと応じる。
長方形の箱の中から彼が取りだしたのは、なんの変哲もない首飾りだった。
だが垂れ飾りに使われる黒い水晶玉のようなそれには、よく見覚えがあって。
一気に顔から血の気が引く。
(暗黒魔道具……!)
それは、リーナが所持していたあの魔道具だった。
人の心を操り、やがて死へと導くおそろしい魔道具。そのせいでガーゴインもリーナも身体や精神を病んでしまった。数人の闇の魔術師も命を落とした。
ルイゼの身体は小刻みに震える。
ルキウスは、暗黒魔道具が
遺跡から見つかったということは、その仮説が証明されたということ。それ以上に、ハイルが何気なくその魔道具を手にぶら下げているのがおそろしかった。
「ハイル先生。それは……」
危険な魔道具だと、ルイゼは伝えようとした。
しかしその前に、ハイルが首を傾げていた。
「これ、どんな魔道具なんだろうな?」
「……え?」
(暗黒魔道具がどんな物なのか、まだハイル先生は気がついていない?)
だが、それも無理はない。何も丁寧に取扱説明書がついているわけではないのだ。
発掘された魔道具は、専門家たちによってどういった代物なのか調査が重ねられた末に、大々的に発表されるのが常だ。ハイルはこれから、魔道具の効果作用について調べていくつもりだったのだろう。
もちろん、ルイゼは彼が持つそれがどんな魔道具か知っている。
しかし暗黒魔道具については箝口令が敷かれている。この場でそれを打ち明けるわけにはいかない。
「見たところ装身具のようですから、主に女性が使う魔道具かもしれませんね」
「……脳が凝り固まってるな」
おもむろに溜め息を吐かれ、ルイゼは固まる。
「その分析はつまらん。実につまらん。投げやりで、お前らしくない」
ルイゼは息を呑む。
ハイルとは出会ったばかりだ。それでも、心の深い部分を見透かされたような気がした。
そしてそれが、決していやではない。がっかりしたハイルの声音の裏側には、ルイゼへの期待が覗いていたからだ。
「知ってるか? アルヴェイン王国の王宮には図書館がある。その地下に、
(小さな大学のこと……?)
「だが、それは正しくないとおれは思ってる」
「正しくない、ですか?」
「そういう物だと決めつけたのは、誰かって話だ」
ハイルがソファの背もたれに寄り掛かる。
「魔法大学にも珍しい魔道具がある。美しい人間だけが入れる部屋、って呼ばれてる部屋だ」
「……二つの部屋は似ていますね」
「そうだ。でも、おかしいだろう。古代の魔道具には魔術式がないっていうのに」
魔術式がないということは、魔道具にはなんらかの命令が与えられていないということ。
では、魔道具はどうやって賢い人間や美しい人間を判断しているのだろう。そもそも、それを判断しろという命令を下されていないのに。
そこまで考えたところで、頭の中にひとつの閃きが走った。
「……頭の中?」
その呟きに、ハイルが目を見開く。
「魔法と、同じで。私たちの頭の中だけに描かれた魔術式を、古代の魔道具は読み取ることができる?」
「それは、おれと同じ推論だ」
上半身を起こしたハイルが、ルイゼの双眸を覗き込む。
知識の欲望。その渦の中で踊るような瞳。顔はちっとも似ていないのに、その瞬間にルイゼはルキウスを思いだす。
「魔法は言霊を唱えることで発動する。自分の中にある魔力に命じるわけだ。炎を出せ、水を放て、光を灯せと」
「古代の魔道具が、それと同じだとしたら……美しい人間が入れる部屋と、賢い人間が入れる部屋は、同じ物だと先生はお考えなのですね?」
「そうだ」
「二つは、まったく同じ部屋。
口にしていて、手足が痺れるような感覚がした。
閉じていた目をこじ開けられていく。開けた視界の先に、答えを求めている。
「以前、ある方と図書館の地下に行ったことがあります」
ハイルが眼鏡の奥の目を細める。それが先ほど話題に出た部屋だと察したのだろう。
「私はそのとき、それがどんな部屋か知りませんでした。でも入ることができた」
「お前と一緒に入室した人間が、お前を賢い人間だと認識していたからだな」
知識欲がなければ、入ることができない部屋。
あのとき、ルキウスはそう言っていたはずだ。最初からルイゼが入れると思っていた、とも。
(私があの部屋に入れたのは、ルキウス様がそれに足ると認識していたから)
他の誰かと一緒であったなら、ルイゼは入室できなかった可能性もあるということだ。
「この仮説を実証したい。だが魔法大学の部屋は有名すぎるし、部外者は大学に入れられない」
「美しい人間が入れる部屋だ、という条件を知らない人物が、大学内に居ないんですね」
「お前は本当に話の理解が早い。おれの助手になるといい」
ルイゼは思わず微笑んだ。
学生時代、リーナの振りをするルイゼにハイルは似たような言葉をかけてくれたのだ。
「どうして、先生はそうお思いに?」
「【刻印筆】のせいだな。あのペンがあれば魔術式が書ける。だが【刻印筆】をはじめとする古代の魔道具に魔術式は使われていない。これはとんでもない矛盾だ」
「!」
言われてみればその通りだ。
古代魔道具の中で、ルイゼが解体したのは暗黒魔道具だけだ。だからその違和感を見逃していた。
しかし矛盾を突き詰めれば、答えが導かれる。
「【刻印筆】は、そもそも、魔術式を書くための道具ではなかった」
「そういうことだ」
「ただ、光を出して子どもを喜ばせるオモチャだったのかも。あるいは光る文字を空中に浮かせて、暗い海上に合図を送るとか」
「柔らかくなってきたな」
にやにやと笑うハイルはこれ以上なく楽しそうだ。
「おそらくいくつかの型がある。どんな条件でも適用されるわけじゃない。それは現代魔道具と同じはずだ」
たとえば、【眠りの指輪】に【炎花】の魔術式を刻んでも、指輪が光り輝いて夜空に打ち上がったりはしないように。
魔道具の形状と魔術式は密接に関連している。
だとしたら。
(暗黒魔道具は、人の心を操る魔道具だと思っていたけれど)
そしてやがて、術者と被術者を死に至らしめるおそろしい魔道具だと。
だが、その分析では足りない。
(型を、絞ることさえできれば)
暗黒魔道具の、真の能力が分かれば。
あるいはそれは、治療用魔道具を造る手掛かりになるのかもしれない。
「ハイル先生。もっと、先生のお話しを聞かせてください」
「望むところだ」
意気込むルイゼに、ハイルはケラケラと楽しそうに笑っていた。
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