第114話.シャロンの元へ

 


 シャロンが眠っている部屋へと辿り着いたルイゼとエリオットは、呆然としていた。


 ベッドはもぬけの殻だった。

 そして部屋の前を見張っていた二人の騎士は、折り重なるようにして冷たい床に倒れていた。

 慌てて助け起こせば、大した怪我はないが気を失っている。至近距離から風魔法でもぶつけられたのだろうか。


「きっとカリラン様は、魔道具を隠し持っていたんですね」


 シャロンは魔力がないというから、おそらくそうだろう。

 直接繋がっている隣室を見に行ったエリオットも、すぐに引き返してくる。


「こっちは何人か神官が寝てるわ。特に怪我はしてないみたいだけど」

「治癒魔法を使いすぎて、魔力が枯渇したんだと思います」


 教会の神官といえども、魔力を使いすぎれば命の危険があるのだ。

 シャロンの治癒がうまくいかずに、疲労困憊のまま休んでいるのだろう。


(私も、まだ魔力は回復していないし……)


「こんな真似をして、シャロンはどこに行ったの?」


 エリオットの苦しげな呟きは、単なる独り言だったのだろう。

 だが、ルイゼには分かっていた。


(カリラン様が向かったのは、たぶん……)


「この町……ユニリアには、港がありますよね。外国行きの船も何隻も出ていると聞いたことがあります」

「え? そうだけど……第一便は早朝に出航するから、たぶんあと一時間後くらいには」


 エリオットが息を呑む。


「どういうこと? シャロンは船に乗ろうとしてるの?」

「…………」

「あの子、国外に逃げるつもりなの?」


 ルイゼは答えられなかった。

 苛立たしげに舌打ちをしたエリオットが、懐から小型の魔道具を取り出す。


「【通信鏡】でシャロンに連絡を取るわ」

「待ってください。それは危険かもしれません」

「危険って、どうして? シャロンに何が起こってるのよっ!?」


 ルイゼが彼女の動きを止めれば、エリオットが声を荒げる。

 それでもルイゼは言えなかった。


 ――ルキウスとエリオット。

 二人の話から見えてきたもの。

 まだ推測の域を出ないが、もしルイゼの考えが間違いなければ……ここから先に、エリオットや他の誰かを連れて行くわけにはいかない。


(特に、エニマ様だけは……)


 自分でも甘いのだろう、と思う。

 ルキウスがこのことを知ったら、ルイゼは叱られるかもしれない。

 取り返しのつかないことになってからでは遅いのだ。それでも、シャロンが傷つく選択肢を取りたくない。


「……いえ、私の考えすぎだったかもしれません」


 申し訳なさそうにルイゼが言えば、張り詰めていたエリオットの表情が僅かに和らぐ。


「エニマ様。ルキウス殿下かタミニール様……それか、他の騎士の方を捜してもらえますか?」

「あなたは?」

「もちろん私も捜します。でも別行動にしましょう。きっとそのほうが早く見つかりますから」

「分かった」


 素直に頷いたエリオットが、まず部屋を出る。

 彼女に続けて退室したルイゼは、反対方向の回廊を足早に進む。


「ルイゼ!」

「!」


 その直後。

 思わず、ルイゼは足を止めて振り返った。


 エリオットがそんな風に呼んでくれたのは、初めてのことだったから。

 薄暗がりの中でも分かるほどに、エリオットは切実な表情をしている。よく通る声で彼女は言い放った。


「あなたが暗黒魔法と関わる立場を手に入れるために、ルキウス殿下はいくつも手を打っていたわ。きっと近いうちに、とびきりの連絡だってあると思う。だから……」


 ルイゼはエリオットに微笑みを返した。


「楽しみにしています。ではまた、あとで」


 頭を下げて、駆け出す。

 騙しているようで気が引けたが、本当のことは伝えられなかった。




 ◇◇◇




 杞憂であるように、と祈りながら、ルイゼは息を切らせて港町への道を下っていた。


 空は紺碧色から、徐々にオレンジ色に変わりつつある。

 エリオットの言う通り、もう朝が近いのだと今さらのように気がついた。

 中央教会に来たときは、吞み込まれそうなほど暗い色をしていた海は、鮮やかに白く輝いている。


 港には、白い帆を張った大きな船や、いくつもの漁船が停まっていた。

 大きな鞄を抱えた旅行者たちや、荷を運ぶ漁師たちを追い抜かして、焦燥感を募らせながらチケット売りに話しかける。


「エ・ラグナ公国行きの船はありますかっ?」


 思った通り、最も大きな船が公国へと向かうものだった。

 鞄の中には、心許ない金額の硬貨が入った巾着袋が入っている。

 伯爵家の娘であるルイゼだが、研究所で働くようになってからは自分で硬貨を持ち歩くようになったのだ。


 二等客室のチケットを買ったルイゼは、それを手に大型客船へと乗り込んだ。


(船室をひとつひとつ、確認していく時間はない……)


 もたもたしていれば、船は出航の時間を迎えてしまうだろう。

 焦りながら、必死に考える。この広い船の中、彼女はどこに居るのか。


(……違う。考えるべきは……)


 首を横に振って、ルイゼは思考を改める。

 シャロンがやろうとしていることは、分かっている。

 それならば考えるべきは、シャロンの行きそうな場所ではないのだ。


 ルイゼは甲板へと出た。

 まばらに人の立つ中に、捜す人の姿はない。だが、見回しているうちに気がついた。


(血の跡!)


 木板の上に、血の跡が続いている。

 船員か客に踏まれたのか、掠れたそれをルイゼは懸命に追っていく。

 どんどんと人気のない区画に入っていく。木箱の積まれた中を、目を凝らして見つめて回り……ルイゼの双眸が、白いドレスの裾を見つけた。


 そこに駆け寄りながら、押し殺した声でルイゼは呼びかけた。


「カリラン様……!」


 ――はっと、シャロンが伏せていた顔を持ち上げる。

 蜂蜜色の瞳は、驚愕に染まっていた。


「ルイゼ……さん?」


 膝を抱えてしゃがみ込んでいたシャロンが、呆然とルイゼのことを見つめる。

 血で汚れた胸元を隠すためだろう、首元にスカーフを巻いた彼女の全身は震えていた。

 体力はとっくに限界を迎えているのだろう。暗黒魔法の後遺症が、シャロンのことを今この瞬間も蝕んでいるのだ。


「どうしてここに……」


 言いながらも咳き込んだシャロンが、口元に手巾を当てる。


「……ごめんなさい。あなたには、迷惑ばかりかけてしまった。でも自分の手で片は付けるから。だから……わたしのことは、放っておいて」

「放っておけません」


 ルイゼが強い語気で言い返したからか、シャロンが硬直する。


「エニマ様が待っています。カリラン様は、帰らないといけません」

「……エリちゃん……」


 シャロンの瞳に涙が滲む。

 汗で額に張りついた髪の毛を払ってやりながら、ルイゼは彼女に訊いた。


「カリラン様は、嘘を吐きましたね?」

「…………」

「エニマ様や、侍女のノーラさんを守るために、全部の罪を背負おうとした」


 そう問う間にも、後ろから足音が近づいてくる。


「カリラン様は、暗黒魔法を使っていなかった。逆だったんです」


 コツ、コツ、と靴音は迷わず接近してくる。


 ルイゼはここまで、血の跡を追ってきた。

 だから彼も、それを見逃したわけはない。シャロンを弄んで、わざとゆっくりとした足取りをしているだけだ。


 シャロンを庇いながら、ルイゼは背後を振り返る。




「カリラン様を暗黒魔法で操っていたのは、あなただったんですね」




 ブルージュの髪の青年。

 マシューが、微笑みを浮かべてそこに立っていた。



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