第100話.祭りの始まり

 


 その日の朝早く、アビーは母親に起こされた。


「アビー、今日はお出かけよ。顔を洗って、ごはんを食べたら支度してね」

「んー……」


 早起きが苦手なアビーは欠伸をしながらも、どうにか寝台から起き上がった。


 支度を済ませたあとは両親に連れられ、最寄りの駅で駅馬車に乗る。

 アビーの住む街から王都に向かう馬車の、一度の乗車人数は八人で、いつもはその二倍くらいしか並んでいない列が、なぜだか今日はずっと長い。


 今日は何か特別なことがあるのだろうか?

 母から昨夜、何か聞いたような気もするがよく覚えていない。


「やっぱり、今日は魔道具祭に行く人が多いのかしら」

「ここらでも、いろんな店で宣伝されてるからなぁ」

「あっ、ほら。お隣のジョアンナもめかし込んで並んでる。彼女、ルキウス殿下に会えると思ってるに違いないわ……!」

「いや、君こそ今日はかなり念入りに化粧しているような……」


 両親が何事か話している間に、挟まるようにして寄りかかるアビー。

 父は毎日、夜遅くまで仕事しているから、休日をこうして一緒に過ごせるだけで幸せだ。

 六歳になり、そうそう寂しくて泣くようなことはなくなったけれど。


 寝ぼけ眼でうとうとしているうちに、馬車は王都に到着していた。

 アビーの住む場所とは比べものにならない華やかな街並みに心が躍り、目もすっかり覚める。

 しかし、なぜか馬車は大通りを駆け抜けても失速しなかった。


 あれ? とアビーは首を傾げた。

 前に王都に来たときは、このあたりで下ろされたはずなのに。


「ねぇ。今日はどこ行くの?」

「王都の外れにある魔道具研究所よ」


(まどうぐ……けんきゅうじょ?)


 左右を森に覆われた煉瓦の舗装路を、のんびりと馬車は進んでいく。

 父に抱きかかえられながら身を乗り出したアビーは、思わず目を丸くした。


「パパ! 何か見えるよ!」


 ――目の前に見えたのは、白くて大きな建物。

 しかしアビーが注目したのは、背景にある建物ではなく……開かれた正門の後ろに鎮座する、見たこともないほど巨大な球体にだった。


 馬車が停止すると、アビーは一番乗りで下りる。

 人混みで大層賑わっている中、走るアビーに後ろから両親が何か叫んでいる。


 でもアビーは立ち止まらない。

 そのまま球体の前にやって来ると――息を止めて、その偉容に見入った。


 見上げるほど大きな水晶玉が、こちらもまた巨大な台座の上に配置されていた。

 アビーの家の天井と、同じくらいの高さだろうか? その水晶は、表面が水色に淡く光っているようだ。


「……なぁに、これ?」


 こんなものを見るのは、生まれて初めてである。

 魅せられたように、アビーは瞬きも忘れてじっと目の前の水晶を見つめ続けた。


「まさか自分たちの考えた魔道具が、こうして日の目を見ることになるなんて……!」

「ハーバーせんぱぁい。良かったスね、ほんとに良かったっスね……!」

「まぁレコットさんが、実用的に改良してくれたおかげだけど……!」

「それはそれ、これはこれっスー!」


 そこに雑音が聞こえてきて、ん? とアビーは視線を移動させた。

 見れば白衣姿の男性二人がひしと抱き合って、何事か叫んでいる。


 たぶん、ここで働く人たちなのだろう。

 わりと人の視線が集まっているが、本人たちは気づいていないらしい。


 そしてその近くには、大きな四足歩行のぬいぐるみたちが歩いていて――。


(……ぬいぐるみ?)


 アビーはまじまじとぬいぐるみたちを目で追う。

 アビーの父より背の高い熊や犬、ウサギのぬいぐるみたちが、のしのしとそのあたりを歩き回っている。

 その周りには、同年代くらいの子どもたちが集まっていて、なんだかとても楽しそうで。


 遊びに行きたくて、アビーもうずうずしてきた。


「ママ、パパ、あたしもあっち……」


 いつものように隣を見上げて。

 そこでアビーはようやく、近くに両親の姿がないことに気がついた。


(……えっ?)


「ママ? パパッ?」


 慌てて周囲に目を凝らすが、アビーを取り囲むのは知らない顔ばかりで。

 さぁっと顔を青くして、それでも必死にアビーは探す。


 次第に、瞳には涙が浮かんでくる。

 知らない場所にたったひとりで居るのが、心細くて、怖くて仕方がなくて。


「ママ……!」

「こんにちは」


 ふと、すぐ傍から落ち着いた声がした。

 振り向いたアビーは、泣きかけていたのも忘れて惚けてしまう。


(きれい……)


 おっかなびっくりしながら、アビーは挨拶を返した。


「……こ、こんにちは」


 目の前にしゃがみこんでいたのは、絵本から抜け出してきたような女の子だった。


 頭の上でひとつに結った赤みのある茶髪に、瞳は宝石みたいに輝く紫の色。

 睫毛がびっくりするくらい長くて、さくらんぼ色の唇もつやつやしていて――ドキドキしながら、問いかけた。


「お姉さん、だれ?……お姫さま?」


 女の子は目を丸くして、それから笑って首を横に振る。

 その人の胸元にぶら下がる木製のカードケースに、アビーはじっと目を凝らした。

 最近は母に教わって、少しずつ文字も読めるようになってきたのだ。


「ル、イ、ゼ。……ちゃん?」

「ええ。あなたは?」


 優しく訊かれ、アビーはなんとか答える。


「あたし、アビー……」

「アビーちゃんね。今日はママとパパと、一緒に遊びに来てくれたの?」


 こくん、とアビーは頷く。


「そうなのね。ママとパパ、今日はどんなお洋服だったかな?」

「えっとね……ママはお気に入りの青いスカートだったな。パパとお出かけのときはよく着てるの。パパは白いシャツと、ベルトしてたのと、あと……けっこう格好良いの」


 眠かったのもあり、二人の格好をよく覚えていないのが恥ずかしくて、次第にアビーの声は小さくなっていく。

 でもルイゼは、アビーの言葉に何度も熱心に頷いてくれて。


「アビーちゃんは、ママとパパのこと好き?」

「……うん。うん、大好き!」


 ルイゼはにっこりとして頷く。

 それから後ろに立っていた、白衣の男たち――先ほど何やら泣き叫んでいた人たち――に、声をかけた。


「アルフさん、ハーバーさん。この子のご両親を見つけてもらえますか? 特徴は……」


 手早くルイゼが説明すると、二人が動き出す。

 立ち上がったルイゼは、ぽかんとするアビーの右手をそっと握ってくれた。


「もう少ししたらママたち、アビーちゃんのところに戻ってくるからね」

「……ほんとう?」

「うん。あのお兄さんたちが見つけてくれるから。それまでこの水晶玉、一緒に見てようか」

「……うん!」


 ルイゼの提案に、アビーは目を輝かせた。

 不思議と、すぐに両親が戻ってきてくれるようなそんな気がして。


 つい先ほどまで、不安で泣きそうだったのに……いつのまに、涙はすっかり引っ込んでいる。


「ルイゼちゃん。これ、にじいろすいしょう……っていうの?」


 台座に書いてある名前を読むと、ルイゼが「そう」と頷く。


「でも、にじいろじゃなくて水色に光ってるよ?」

「よく見てて、アビーちゃん」


 ルイゼが指さすほうを見ると、水晶玉の中で変化が起きていた。


「……おみず?」


 どうやら中身が空洞らしい水晶の中を、ぐんぐんと下から湧いてきた水が満たしていく。

 やがて水晶玉全体が、たっぷりの水で満ちていって――そこで驚くべき変化が起きた。


「……にじいろ」


 水色に光っていたはずの表面が、気がつけばピカピカと虹色に点滅しているのだ。

 だが、変化はそれで終わりではなかった。


 水晶玉のてっぺんだけは、小さく切り取られていたらしい。

 そこから次々と外の世界に勢いよく飛び出してくるのは、大量の――シャボン玉だった。

 晴れ晴れとした青空の下を、シャボン玉たちが覆うようにふわふわと流れていく。


「わぁ…………!」


 夢のような光景だった。

 思わずアビーは口を開けたまま、たくさんのシャボン玉の行方を追う。

 虹色の水晶から飛び出していくシャボン玉は、日光を浴びてそれぞれが虹色にキラキラしていて。


 この水晶玉が、いったいどんな仕組みで動いているのか。

 どうやってシャボン玉をいっぱい出しているのか。そんなことはアビーにはちっとも分からない。

 分からないけれど――ただ、その景色を心からきれいだと思ったのだ。


 見上げるアビーの茶色の瞳も、その美しい虹色を反射して同じ色に輝く。

 そして、地上に降ってきたシャボン玉のひとつが、思わず差し出したアビーの両手の上でぱちんと弾けると。


「アビー!」


 よく知った声に名前を呼ばれ、アビーははっとした。


「ママ! パパ!」


 焦った顔で駆け寄ってきているのは、アビーの両親で。

 そんな二人に思いっきりアビーは抱きついた。


「いきなり走り出すものだから、もう!」

「心配かけて、ごめんなさい……!」


 引っ込んでいた涙がまた帰ってきて、アビーは一粒だけ涙をこぼす。

 そのとき、後ろで軽やかな声が聞こえた。



「――ようこそ、魔道具研究所へ。楽しんでいってね」



 はっとして振り向くと、ルイゼが笑顔で手を振っていた。


「うん! ありがとう、ルイゼちゃん!」


 アビーもまた手を振り返し、それから両親に意気込んで言う。


「パパ、ママ! あたし、にじいろすいしょう欲しい!」


 唐突にそんなことを言い出した娘に、二人は揃って目を丸くする。


「どうしても欲しいの! だって、ルイゼちゃんが教えてくれたんだもん!」

「ええ? こんな大きな魔道具、持ち帰れないだろう?」

「――うふふ。これは魔道具祭の象徴シンボルとして、ドドンと特大サイズで製作した物ですから」


 そこにススッと白衣の女性が寄ってきた。

 手の中に小さなサイズの【虹色水晶】を持っている。それを見たアビーの気持ちはますます高まった。


「でも……私たちは見ての通り平民ですから、生活魔道具以外のものを買う余裕はあまりなくて」

「【虹色水晶】は魔道具研究所で開発した魔道具なので、諸々の経費をかなり抑えられておりまして……ですので、お手頃価格でご提供できますわ」

「そうなんですか?」

「ええ! さっ、どうぞこちらに」


 そのまま三人は女性に導かれ、設けられた屋台のほうに去って行った。

 一部始終を見守っていたハーバーは、良かったと安堵の溜め息を吐きつつも一抹の不安を覚える。


「自分、イネスさんみたいにレベルの高い接客できそうもないんだけど……」

「ほら、みんな! 水晶から泡がいっぱい出てるっスよ、あれはどこに行くんスかねっ?」

「……あれっ、アルフ!? て、手慣れてる……?!」


 接客慣れしたパン屋の息子に置いてけぼりを喰らい、慌てるハーバーだった。



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