第62話.リーナ・レコット

 


「な、なんでアンタがここに居るのよ、ルキウスっ……!」



 ガーゴインの書斎の方から、裏返ったような悲鳴が聞こえてきて。


 ルイゼはイザックと顔を見合わせる。

 彼の腕にズリズリ、と雑に引きずられているハリーソンは白目を剥きかけている。だが彼に構っている余裕はなかった。



「お父様はどこ!? ここは――わたくしとお父様の家だわっ!!」



 廊下を歩く最中にも、そんな声が聞こえてきた。

 気遣わしげに振り返ってくるイザックに、首を横に振る。


(……リーナの言葉は、いつも私を抉る刃のようだけれど)


 でも今日のリーナの声には、空元気しか宿っていない。


「わ、わたくしには魔道具があるものっ! お父様はこれを使えば、すぐにわたくしのことを好きになってくれるんだから!」


 悲鳴に近いそんな言葉と同時に、ルイゼとイザックは書斎へと踏み込んだ。


 ルキウスを前に注意力が疎かになっていたのだろう。

 振り返ったリーナはかなり驚いたらしく、こぼれ落ちそうなほど大きく瞳を見開いていた。


「ルイゼ……」

「……リーナ」


(……本当にあなたが、仕組んだことだったのね)


 今の言葉だけで、もう充分すぎるほどに痛感していた。

 それでも足掻くように、口にしてしまう。


「……お父様のことも。ケイトのことも、リーナが全部」

「――そうよ! 今さら気がつくなんて本当にバッカみたいね!」


 涙の跡がこびりついた顔を拭いもせず、リーナが気を取り直したようにケラケラと笑う。

 ハリーソンから逃げる最中に転んだのか、その右膝にはひどい擦り傷もできていた。

 痛々しい無惨な姿だったが、リーナはどこまでも高圧的に笑ってみせた。


「お父様は魔道具の力で、ずうっと前からわたくしの言いなりだったわ! ほら認めてやったわこれで満足!? わたくしを高みから引きずり下ろすことができて、清々したってワケ?!」

「……リーナ・レコット」


 しかし低く地を這うような声音でルキウスが呼びかけると、リーナは肩を震わせた。

 ルキウスの威圧感は、ルイゼすら呑み込まれてしまいそうなもので――けれどその怒気を、彼が他ならぬルイゼのために放ってくれていることを知っている。


「お前は今まで散々、ルイゼの振りをして彼女を陥れたそうだな」

「……それが? わたくしがルイゼに成りすまして使用人をぶったり、この女の取り巻きに水を掛けてやったからって、それが何だって言うの?」

「……それなら何故、お前は気づかない?」

「は? だから何――」

「お前の振りをしてお前を陥れることなど、ルイゼには簡単だった」


 リーナが息を呑む。

 何か、信じられないものを見るような目を向けてくるのを……ルイゼは唇を噛み締め、無言で見つめ返した。


(本当は、リーナ自身に気づいてほしかった)


 どこか祈るような気持ちで、そう願っていた。

 だからリーナの振りをして、ひどく残酷な振る舞いをしたのだ。

 もしも気づいてくれたなら――やり直す機会はあるはずだと、信じて。


 けれどそれは、やはり叶わなかった。

 そう悟った上でルキウスは口を開いてくれたのだ。


「同じ双子のお前にそれが出来たんだ。いつだってルイゼにはそれが出来ただろう」

「じゃ、じゃあ……何でルイゼはそうしなかったのよ!?」


 叫ぶリーナに、ルキウスはあくまで淡々と言う。



「決まっている。ルイゼはお前の居場所を奪いたくなかったんだ」



(…………やっぱり)


 ルイゼは泣きそうになって、小さく俯く。

 リーナの替え玉を自ら演じたいと志願したとき、ルキウスは危険だと反対した。


 理由も満足に説明しなかったのだから当然だ。

 真実を知ってすぐのルイゼが、うまく自分の感情を言葉にできなかったから。


(リーナを許せない気持ち。リーナを恨む気持ち。それでもリーナに――必要以上に傷ついて欲しくない、気持ち)


 それでも最後には頷いてくれた。

 それは、彼がルイゼ自身よりもずっと、ルイゼのことを信じてくれたからだ。


(あなたには、分かってしまうんですね。……ルキウス様)


 ルキウスの言葉を聞いたリーナは、


「い、い、いっつもアンタはそう……綺麗事ばっかり言って、みんなに愛されて!」


 ブルブルブル、と痙攣するように身体を震わせていた。


「小さい頃だってそうよ! 見せつけるみたいに魔法を使って、ちやほやされて! わたくしをどれだけ惨めにすれば気が済むの!?」


 だから今。

 リーナが怒鳴り散らすように叫んでも、何も恐ろしいことはなく……ルイゼは言葉を返すことができた。


「だって本当にリーナが言う通り、私があなたから魔法を奪ったのだとしたら――私は、もっと強くならなきゃいけなかったから」

「何言ってるの!? だから、それが――」

「生半可な自分ではとても、居られなかったもの!」


 ルイゼが声を荒げると、リーナが目を見開く。


「お父様もお母様も、いつも言っていたわ。『リーナが何か不便な思いをするときは、ルイゼが助けになってあげなさい』、『ルイゼには魔法の力があるのだから』って」

「…………」

「二人とも可愛くて大好きだよって、大切な娘たちだよって、ふたりはいつも言っていた……リーナはそれも、忘れちゃったの……?」

「……あ…………」


 リーナがその場に力なく座り込む。

 ルイゼを見る目には、いつもの高慢な光は宿ってはいなかった。


 今のリーナは、たったひとりで取り残された幼子のようにルイゼには思えた。


「せ、セオドリクおじさまが言ったんだもの……だから、わたくしは、おじさまに言われたとおりにしただけで……」


「ムゴーッ! ムゴゴッ!」と変な音が聞こえたので振り向くと、床に転がされたハリーソンがジタバタと手足を動かしていた。


 ルキウスに目線で指示され、イザックがハリーソンの猿ぐつわを外す。

 彼はゴホゴホと咳き込みながら、「おい!」と叫んだ。


「リーナ! 父の名前を出すなんて裏切り行為だぞ!」


 リーナがビクッと震えるが、ルキウスは呆れたように溜め息を吐く。


「安心しろ。お前の父親が関与しているのはとっくの昔に知れている」


 憎々しげにハリーソンがルキウスを睨みつける。

 しかし床にある彼の顔を見返すルキウスには、真実を追究しようとする鋭さだけがあった。


「ハリーソン。リーナ・レコットに魔道具を渡したのは、お前とその父親だな?」

「だったら何だって言うんだ!」

「押収した魔道具を調べた」


 そうしてルキウスが懐から取り出したのは、リーナから押収したという壊れかけの魔道具だった。

 それを見たリーナが呆然とする。地下で取り返した魔道具がただの模造品だったと、今になって気づいたのだろう。


「お前達の造った魔道具には、魔術式が無い」


 ハリーソンが唾を呑み込む音が、やたらにはっきりとルイゼの耳にも聞こえた。


「そして魔石も使われていなかった。そしてこの数週間の間に、王都では合計十一名の闇の魔術師が命を失っている。……彼らを、魔道具の動力として利用したな?」


 問い質すルキウスに。




「…………それがどうした?」




 どこか開き直ったように。

 ハリーソンは整った顔に、歪んだ笑みを載せて返した。



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