第60話.逃げ出した先は2
「――ハリーソンッ!」
リーナは声高に男の名を呼びながら、その場に進み出た。
すると同時に、ハリーソンとリーナ――にそっくりの格好をした女が、こちらを振り返る。
リーナ自身が今も着ている簡素なワンピース。
それとそっくりの衣服を纏ったリーナと同じ顔をした女を、思い切り睨みつけて指さした。
「その女はわたくしの振りをしたルイゼよ。分かるでしょうっ!?」
そう堂々と言ってやる。
ハリーソンは以前にもルイゼをリーナと誤解し、話しかけたそうだが……さすがに、ふたりを同時に目の前にすれば差異は明らかだ。自らの過ちをすぐに理解することになるだろう。
そう思ったのに。
それなのに何故かハリーソンは、リーナを横目で見て面白そうに口笛を吹いた。
「驚いたよ、リーナ。お前の言った通りルイゼ・レコットが来るなんて」
(――――はっ?)
一瞬、リーナの思考が完全に停止する。
その隙を突いたように、ハリーソンの隣に立つ女が下品に笑う。
「ね? しかも、台詞までわたくしの予想通りだわ」
「ハハ。さすが双子と言うべきか?」
「やめてよ気持ち悪い。こんな不様な女と双子だなんて、わたくしの人生最大の汚点なんだから」
蔑みの笑みを浮かべて、その女はリーナを眺めてくる。
リーナは自然と、一歩後ずさりかけて……寸前でそれを踏みとどまった。
(何を……何を気圧される必要があるの。わたくしは、わたくしこそがリーナなのよ!?)
「だ、騙されてるわハリーソン。そっちはルイゼよ、わたくしが本物のリーナ・レコットよ!」
声は裏返りかけたが、どうにか言い放つ。
しかしその反応はといえば、
「必死なのは認めるが、さすがにな」
(……なんなの、その苦笑いは)
我儘を言う子供を見るようなハリーソンの表情に、歯噛みする。
そして。
「………………ルイゼ」
呆れかえったような声だった。
実際に、頭痛を覚えているとでも言わんばかりにこめかみを押える女を前に、リーナは唖然とした。
「あまりにも恥ずかしくなるから、やめてくれない?」
「な、何をっ……」
「まぁ、アンタの気持ちは分からなくはないわ。わたくしのように優秀で、誰からも褒め称えられる才女に憧れる気持ちはね! ――でも本当にやめてちょうだい、アンタの猿真似は見ていてウンザリするから」
「ち、違う。わたくしこそが」
「だからやめてって言ってるでしょう!? ……ああそれとも、お馬鹿さんすぎて人の言葉も分からなくなっちゃったのかしら?」
くすくすっと声を立てて笑う女。
それにつられてか、ハリーソンまでもが噴き出しており……リーナは口をぱくぱくと開閉しながら、何も言えなくなっていく。
目の前の景色が、少しずつ歪んでいくような気がする。
(……わたくしの目の前に居るのは、本当にルイゼ?)
ぎこちなく見つめる先に、自信に溢れた、高慢な女の姿がある。
しかし本来は疑る必要なんて無いのだ。
リーナとまったく同じ顔をしている人間は、この世にひとりしか居ないのだから。
(ルイゼよね? ルイゼに決まっているわ。でも……これは、まるで……)
鳥肌が立ち、それを宥めるためにリーナは必死に腕を擦る。
(じゃあ……
――リーナは今まで、ルイゼが自分の替え玉を演じている姿を目にしたことは無かった。
それは当然のことだ。ルイゼにリーナの振りをさせるとき、リーナは自室でのんびりと過ごしていた。
誰にも悟られなかったのも、顔が似ているのだから当たり前だと思っていた。むしろ気づかない奴らを心の中で嘲笑っていたくらいだ。
それが今、リーナそのもののように。
鏡の中の自分自身のように振る舞う存在と相対して、初めて恐怖を覚えていた。
(だって、成りきるなんてレベルじゃないもの……)
「……や、やめてよ」
「は? 何か言った? ルイゼ」
「そ、そこは……だって、わたくしの居場所だもの!」
この十年間、大切にしてきた場所だ。
それをこんなにも呆気なく奪われるなんて、あってはならないことだ。
「やめてよ! 早く返してよ! わたくしの……」
「…………ねぇ」
しかしリーナに向かって、その女は。
うっすらと微笑みさえ浮かべて、小首を傾げてみせた。
「それを私に言うの?」
「――――、あ」
リーナの呼気が止まる。
同じだった。
今まで『もうやめて』と、何度ルイゼはリーナに懇願してきただろう。
でもその全てをリーナは撥ねつけた。嘲笑い、一蹴して、そうやって過ごしてきた。
ルイゼが得た魔法大学や魔法省への誘いの文言が載った書類は、ルイゼの目の前で破り捨ててやった。
(これは……わたくしへの復讐なの?)
動けずにいるリーナを放って、ハリーソンとその女は慣れた様子で会話をしている。
「それでリーナ。何故、お前の姉はここに来たんだ?」
「さぁね。誰かさんが魔道具のことでも漏らしたんじゃないの?」
途端に、ハリーソンの顔がギクリと強張る。
それを目にした女はにやりと嫌な笑みを浮かべた。
「ルイゼの杜撰なやり口を見るに、まだルキウスは関与してないようだけど――命拾いしたわね、ハリーソン?」
ハリーソンが露骨に溜め息を吐く。
「……で? ルイゼ・レコットはここで始末するってことでいいのか?」
「あら、野蛮だこと!」
「この場所をルキウス・アルヴェインに伝えられたらおしまいだろう」
何かを言いながらハリーソンが暗い目でリーナを見下ろす。
やり取りの意味はよく、理解できなかったが――リーナは思わず、後ろに引き下がった。
「な、何よっ……何なのっ!?」
すると整った顔に人懐っこい笑みを浮かべてみせて、ハリーソンが言う。
「何って……だから、今ここで死んでくれって話だよルイゼ・レコット」
「は……っ?」
(何? ……いったい何を言ってるの?)
リーナはそう言い返そうとした。
しかし頭上にゆっくりと、影が差して。
見上げた先に――口元を三日月のように歪めたハリーソンを見た瞬間に、喉奥から悲鳴が迸っていた。
「い――ッいやああああああっっっ!!」
リーナは力の限りハリーソンを突き飛ばした。
しかしフレッドのように甘くはない。鬼の形相のハリーソンは後ろに少しふらついただけで、すぐにリーナに手を伸ばしてくる。
その手をリーナは必死に叩き落とした。
よろめきつつもどうにか走り出せたのは奇跡に近かった。
「ちょっと! なに逃げられてるのよ!」
「っうるさいな、僕は暴力沙汰には慣れてないんだ」
リーナを追撃しようとしたハリーソンだが、その女に小突かれて立ち止まったようだった。
振り返ったリーナの目に、ほんの数瞬だけ女の表情が映し出される。
哀れむような――。
それでいて、何かを祈るような、そんな顔が。
「……っ」
だが、もはやリーナにそんなことに構っている余裕はない。
前を向き、全速力でリーナは走った。
そうしなければ殺される。その事実だけが足を動かしている。
「きゃっ」
しかしそのときだった。
木の根に足を取られ、派手に転んでしまった。
運の悪いことにちょうど岩にぶつけてしまったらしい。
見れば皮膚がめくれており、抉れた肉から真っ赤な血が滴っている。
「――――っ」
傷を自覚した途端、爆発的な痛みが右膝を中心に広がる。
反射的にリーナの目から涙がこぼれ落ちた。
「う、ううっ……」
擦ったのか、足だけではなく顎も、それに手のひらも断続的に鈍い痛みを放っている。
それでも背後が気になり、リーナは立ち上がり再び歩き出した。
だが当然、速度は出ない。ほとんど亀のような速さで、右足を引き摺って進んでいく。
(……痛い……痛い、痛い、痛い……)
膝からはどくどくと血が流れ続けている。
涙と鼻水が絶えず溢れ、頬を伝い続けていた。
(なんでわたくしが、こんな目に遭わなくちゃならないの!)
「……お父様……っ……」
嗚咽混じりの声で、呼ぶ。
向かう場所は、もうひとつしか無かった。
そこだけがもはや、リーナにとって唯一の味方の居る場所だから。
(……わたくしの家に、帰る)
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