第28話.恩師からの贈り物

 


 王宮図書館で本を読みふけっていたルイゼは時計を見て、約束の時間が近づいているのに気づいた。


(そろそろ行かないと)


 受付で本の貸し出し手続きを済ませると、東宮に向かう。

 会わせたい人が居る、とルキウスが言っていたのは昨日のこと。

 その相手が誰なのかはまだ聞いていなかったが、足取りは自然と軽くなる。


(また、ルキウス様と"小さな大学"にも行きたい……)


 ルキウスと共に王宮図書館で語らったあの日以降、ルイゼは地上の本を読むばかりで地下には行っていない。

 あの場所に行くならばルキウスと一緒がいいと思うからだ。


 警備の詰め所で挨拶をすると、昨日ほどの混乱は無く許可が得られた。

 おそらくルキウスが話を通してくれていたのだろう。


 そして騎士のひとりに誘導され応接室へと着くと、すでにルキウスは席に着いていた。

 それにおそらく――ルキウスが会わせたいと言っていた客人の後ろ姿も。


「申し訳ございません、遅くなりました」


 ルイゼが謝罪すると、こちらには背を向けていた客人が振り返った。


「構わないわ。あたしが早く着いてしまっただけだから」


 ルイゼは目を見開いた。

 それがあまりにも思いがけない人物だったからだ。


「アグネーゼ先生……」

「お久しぶり、ルイゼさん。会うのは三月以来ね」


 ルイゼを見つめ、アグネーゼは和やかに微笑んだ。




 ――アグネーゼ・ウィン。


 魔法学院の講師である彼女は、御年六十歳ながら優秀な魔法士のひとりと言われている。

 元は地方貴族の娘だったそうだが、現在は男爵夫人という立場だ。上品な白髪を頭の上でまとめた姿は、少女の頃の美貌を確かに感じさせる。


 ルイゼは学院ではアグネーゼから教えを受けていた。

 そして、アグネーゼはルキウスにとっても恩師だったという。


 ルキウスの隣席に腰かけ、ルイゼはそんなアグネーゼの話を聞いていた。


「ルキウス殿下は、あたしたちじゃ優等生だったから」


 微笑みながらアグネーゼが言うと、「言い誤りでは……?」とルキウスが首を捻る。


「同級生のタミニール君とも絶妙なバランスの良さでね。いつも物事の中心にはふたりの姿があったわ」

「ルキウス様とタミニール様は同級生でもあったんですね」

「あら、ルイゼさんはタミニール君とも知り合いなのね。彼、面白いでしょ?」

「はい。独特な雰囲気を持つ方で……楽しい方だなと思いました」


 うふふ、とアグネーゼがにこやかに笑う。笑い皺まで魅力的な人だ。


(それに二日連続で、私の知らないルキウス様の話が聞けるなんて)


 あまりの幸運に思わずルイゼの表情も綻ぶ。いつまでも話を聞いていたいと思うくらいだ。


「それにね、ふたりともバツグンに格好良いでしょ? だから本当に女生徒に大人気で……というか、生徒どころか教師にも」

「ウィン先生、本題を」


 ルキウスが咳払いをする。「あら、そうでした」とアグネーゼが手を合わせた。


「ルイゼさん、今日はあなたに話があってきたのよ」

「私に、ですか?」

「ルイゼも知っていると思うが、ウィン先生は魔道具研究所の特別顧問に任じられている」


 ルイゼはルキウスの言葉に頷く。

 その特殊な立場も、アグネーゼ・ウィンの名を広く知らしめる要因になったと言えるだろう。


 そうしてアグネーゼが荷物の中から取りだしたのは、一枚の緑色のカードだった。

 机の上に載せられたそれを、ルイゼは唖然と見つめる。


 何故なら――そのカードには、ルイゼ・レコットの名前が刻印されていたから。



「――魔道具研究所特別補助観察員の認定証。これをあなたに差し上げるわ、ルイゼさん」




 +++




 応接室を退室したルイゼは、そのまま帰る気になれず……かといって行く当てもなく、東宮のテラスから庭を眺めていた。

 色鮮やかな夏の花々が咲き誇る情景を、ぼんやりと見下ろす。


(突然、退出したりして――ルキウス様もアグネーゼ先生も、不快に思われたかしら)


 魔道具研究所といえば、魔道具専用の代表的な製作所だ。

 基本的に魔道具自体の開発は魔法大学を主体として行われているが、製造能力で言えば魔道具研究所の右に出る組織はない。


 もちろん、ルイゼにとっても憧れの場所のひとつだ。

 子どもの頃から、ルイゼはずっと魔法や魔道具に関わる場所で働きたいと思っていたのだから。


(――うれしい。とてもうれしい。……けれど)


 でもそれ以上に重く肩にのしかかっているのは戸惑いだった。

 そうして身体を震わすルイゼに……背後から声が掛かった。


「ルイゼさん。ちょっといい?」


 ぎこちなく振り返ると、予想通り――そこに立っていたのはアグネーゼだった。

 優雅な笑みを浮かべてルイゼの隣に並び立つ。しかしルイゼの表情は曇ったままだ。


「魔道具研究所に行くのは、あまり気が進まない?」


 アグネーゼの問いは直球だった。

 逃げ場がない気持ちになりながらも、ルイゼは首を横に振る。


「いえ、そんなことは……」

「それなら何か、引っかかっていることがあるのかしら」


 ルイゼは唇を噛んだ。それが図星だったから。

 だってどうしても、考えてしまうのだ。自分にその資格があるのかと。


 決して露見してはいけないと言い含められていたから、ルイゼはリーナの替え玉を演じるとき、手足の先からリーナに成りきって振る舞っていた。

 リーナらしく話し、リーナらしく笑い、リーナらしく演じきった。


 そうすることで、ルイゼ・レコットを――自分自身の心をも守ったつもりでいた。


 ……でも、と思う。


(結果的に、リーナと一緒になって……私もたくさんの人たちを騙してしまった)


 その中には、学院の教師や生徒たちだけではない……父や、ルイゼの婚約者であったフレッドも含まれている。


(それにいまも私は、ルキウス様に本当のことを言えないでいる)


「学院の廊下で、すれ違ったときのことを覚えてる?」

「……ええ。忘れたことはありません」


 アグネーゼの問いかけに、ルイゼは静かに頷く。


 それは、学院に入学して半年ほどが過ぎた頃だった。

 あの日のルイゼは、リーナのいいなりになって替え玉をし続けて精神が疲弊しきっていた。

 フレッドに公衆の面前で罵倒され、生徒たちから陰口を叩かれ、教師からも呼び出しを受け……そんなときにアグネーゼだけが、すれ違いざまにルイゼにそっと訊いてくれたのだ。



 ――『ルイゼさん、苦しくは無い?』、と。



 その日のことを思い返しているのか、庭園を見下ろすアグネーゼの眼差しはどこか遠い。


「あのとき、あなたは……『平気です』って泣きそうな顔で笑って、去って行ってしまったけど……あたしはあの日のことを、ずっと後悔しているのよ」

「……アグネーゼ先生?」

「……本当はね。


 ――ひゅ、とルイゼの呼気が止まる。


(気づかれていた……? 私と、リーナの秘密に……)


「アタシの他にも何人かの先生たちはね。でも……誰もあなたを、救えはしなかったわ」


 それきり、アグネーゼは苦しげな表情で沈黙する。

 しかし、さらに蒼白な表情でルイゼが黙っているのに気がついてか――安心させるように微笑みかけた。


「安心して、殿下にはそこまでお話していないわ。あたしが話すべきことじゃないでしょうから」


 何も言えず見つめ返すルイゼを、アグネーゼは労わるような視線で見やる。


「ルイゼさん。事情も知らないおばさんのくせにって思うかもしれないけれど、敢えて言わせてちょうだい」

「…………?」

「もっと軽い気持ちで考えていいものだと思うわ」

「え……」


 ぽかんとするルイゼに、アグネーゼが口元を緩める。

 それから彼女は、ルイゼの両手を取り……そっと、その手に認定証を握らせた。


「これは、あのときあなたを救えなかったあたしからの贈り物。けれど、あなたにこそ相応しいと思って用意したものよ。……あなたは勘違いしているかもしれないけど、ルキウス殿下から打診があったわけじゃないの。あたしから申し出た話なのよ」

「そう……だったんですか?」

「帰国した殿下が、可愛らしいお嬢さんを連れて王都を歩き回ってる、なんて話があたしの耳にまで入ってきたんだもの」


 アグネーゼにウィンクされ、ルイゼは恥ずかしくなった。


(ルキウス様。【認識阻害グラス】、ぜんぜん機能していません……!)


「それにあなたには――ルキウス殿下にも負けないような、光り輝く才能がある。こんなところで立ち止まっているのは、勿体ないと思うのよ」


 手を離す直前に、ぎゅうっと強くアグネーゼに手を握られる。

 その手は温かく、安心して……ルイゼはようやく、笑うことができた。


「ありがとうございます、アグネーゼ先生」


 アグネーゼの話を聞いただけで、迷いがきれいさっぱりと消えたわけでもない。

 それでも、前に進みたいと思うのは。


(……追いつきたい人が居るから)


 背中を見ているだけじゃなく、隣に並んで恥ずかしくない自分で在りたいから。


 ルイゼは決然と言い放った。



「私、魔道具研究所に行きます」



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