第27話.キャンドルに照らされて

 


 ルイゼがついていきたい、と口にしたときは、ルキウスはさすがに驚いたようだった。


 仮眠室ともなれば、食堂のような公的な場所とは異なる、プライベートな空間であることは間違いない。


(でも、このを受け取って貰うには絶好の機会だわ!)


 辿り着いたのは、がらんとした一室だった。


 窓際には遮光性の強いベルベット素材のカーテンが使われている。

 家具はといえば上着掛け。それに寝台と、脇台の上にランプがひとつだけ。

 本当に眠りを取るためだけの場所なのだろう。落ち着きがあり、シンプルな内装だ。


 ルキウスが部屋の明かりをつける前に、ルイゼは手元のバスケットを探って中身を取り出した。


「ルキウス様。よろしければお休みの際にこれをお使いください」

「これは?」

「アロマキャンドルです。私が作りました」


 今回手作りしたのはラベンダーの香りが楽しめるキャンドルだ。

 普段は蝋にクレヨンを溶かしたり、ドライフラワーを入れて見た目も楽しんでいるが、ルキウスのイメージにはそぐわない気がしたので黄色がかったビーズワックスのみで蝋は仕上げた。

 入れ物には雑貨屋で迷いに迷って選んだ硝子製の容器を使った。深い青の波模様が彫刻で施されていて、素敵だと思ったから。


 それにラベンダーには安眠効果があると言われている。不眠症気味のルイゼはそれにあやかり、その他にもジャスミンやアロエの成分を使ってキャンドルを作ったこともあった。


 ……が、しばらくルキウスが何も言わなかったので、ルイゼは慌てて付け加える。


「大したものではありませんが素敵な花束のお礼にと思って。ラベンダーには安眠効果や、それに心を落ち着かせる鎮静作用があると言われていて……あ、でも、もし香りがお嫌いでしたら無理にとは」

「――いや。ありがとう、ルイゼ」


 ルイゼの両手にちょこんと載ったキャンドルを、そっとルキウスが受け取る。

 その弾みに、少し手と手が触れた。それだけでルイゼの心臓は跳ね上がったようだった。


「君の気遣いがうれしい。さっそく使わせてもらってもいいか?」

「……はい、もちろん」


 ルキウスの声音に笑みの気配が滲んでいたので、ルイゼも彼を見上げて笑顔を返す。


 どうやら贈り物は無事に喜んでもらえたようだ。

 言葉通りルキウスは脇台にキャンドルを置くと、その上にそっと手をかざした。

 手の影から揺らめきが生まれる。


「あ……」


(炎魔法……ルキウス様が使えるのは風魔法だけじゃないのね)


 部屋に柔らかく小さな光が灯る。


 キャンドルの炎は、蝋燭や【光の洋燈ランプ】よりもどこか炎が優しく感じる。

 それを見つめるルキウスの瞳にも炎が揺れていて……その様は、いつまでも見つめていたいと思うほど美しかったが、ルイゼはそんな気持ちを抑えて声を掛けた。


「ではルキウス様。私はこれで失礼しますね」

「……今さらだが、贈り物までもらっておいて客人を返すというのは心苦しいな」


(私にとっては、ルキウス様にお会いできただけで充分ですが……)


 躊躇いがちなルキウスに、それならとルイゼは思いついたことを口にした。


「あの……膝枕をするというのはどうでしょうか」

「……え?」



 ――そして口にしてから、遅れて羞恥がやって来た。



(わ、私ったら、唐突に何を……! ルキウス様も呆気にとられているし!)


 だがこの口が動いてしまった以上は撤回できない。

 ルイゼはまるで何も気にしていないように、整ったシーツの端にちょこんと座る。


(こんな大胆な真似、今まで一度もしたこと無いけれど……!)


 ポンポン、とルイゼは自分の太ももを軽く叩いてみせた。

 立ち尽くしたままのルキウスが目を瞠る。どういう意味か、その仕草で気がついたのだろう。


「……ルイゼ、ちゃんと覚えているのか?」


 首を傾げると、ルキウスはどこか試すような声音で呟いた。



「俺は君のことが好きだと言った男だぞ。そんな男に、無防備に膝を貸していいのか?」



 ――今度こそ、心臓が止まるかと思ってしまった。


 それでもルイゼは、平静を装って返事をした。

 そうしなければ、動揺を悟られてしまうと思ったから。


「……いいです。ルキウス様ですから」

「ルイゼ」


 咎めるようにルキウスが呼ぶ。

 困りに困った末に――ルイゼは去り際にイザックが残した言葉のことを思い出す。


(『ここぞという場面で、ルイゼ嬢自身がアイツのことをそう呼んでみたらどうだ? 案外、面白い反応が返ってくるかもしれないぜ』……だったかしら)


 スゥ、と呼吸して、その呼び名を。




「……ルーくんだから、いいんです」




 反応は劇的だった。


 ルキウスの美しい双眸は見開かれていた。

 口元は僅かに呆け――信じられないものを見るような目で、ルイゼのことを食い入るように見つめている。


 ルキウスは床に膝をつくと、ルイゼの表情を覗き込むようにかがみ込んだ。


「…………思い出したのか?」

「え?」


(思い、出した……?)


 どういう意味だろう。

 沈黙するルイゼに、ルキウスは答えを察したのか――。


 立ち上がると、急に上着を脱ぎだした。


「る、ルキウス様?」


 戸惑うルイゼの前で、上着掛けに制服を引っかける。


 ぎし、とスプリングが軋む。

 気がつけばルキウスは、シーツの上に寝そべっていて――その頭は、ルイゼの太ももへと載っていた。


「る、ルキウス様っ?」

「……いいと言ったのは君だ」


 慌てて口元を抑えるルイゼに、ルキウスが鼻を鳴らす。


「……今回ばかりは、君が悪いからな」


 そう言われては、ルイゼとしては為す術がない。


 収まりの良い位置を探っているのか、もぞもぞとルキウスが小さく動く。

 柔らかな髪がドレス越しに擦れる感覚は、何とも言えず――ルイゼは頬を染めながら、おとなしくしておくことにする。


 そうしながらも――頭の中では、先ほどのルキウスの言葉が反響していた。



(私は。……私は、十年前よりもさらに前に、ルキウス様に会ったことがある……?)



 どうしてそう思ったのかは、自分でも分からない。

 けれど『思い出したのか』とルキウスは言った。眼差しには明らかな期待があった。


(でも。きっと問うても、応えてはもらえない)


 ルイゼが自らそれを思い出すことを、ルキウスは望んでいるようだったから。


 アロマキャンドルからはラベンダーの香りが漂っている。

 ごろんと転がったルキウスは瞳を閉じている。その横顔があまりにも綺麗で、ドキドキした。


 ――そっと、ルイゼはルキウスの頭を撫でる。


(私が小さい頃は、よくお母様がこんな風に撫でてくれた……)


 母がしていたように、髪を梳かすような柔らかさで手のひら全体で撫でていると、ルキウスの表情が何となく和らいだように感じられた。


「……ルイゼ。明日なんだが、もう一度東宮に来てくれるか?」


 眠気が出てきたのだろう。どこか夢見心地な口調で、ルキウスが囁く。


「俺のところに客人が来るから……君にも会って欲しいんだ」

「はい」


 ルイゼは頷いた。

 ルキウスが手配したならば、それはルイゼを思ってのことなのだと疑いなく信じられるから。


 ……やがて、ルキウスの静かな寝息がきこえ始めた。

 ルイゼは彼の頭を撫でながらも……目蓋が重くなってきたような気がしてきて、首を傾げる。


(ふしぎ。……いつもはほとんど眠れないのに、どうして)


 本当に、不思議なほどに。

 どうしてこの人の傍は――こんなにも安心するのだろう。



 静かに水の中に吸い込まれるようなまどろみの中、ルイゼはそっと目を閉じた。



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