第19話.ファースト・ダンス

 


 骨張った男の人の手と、自分のそれを重ねる。


 ワルツの主題が始まり、爽やかなヴァイオリンの弦の音が気分を高鳴らせていく。


 広々としたホールの中央にルキウスとルイゼが躍り出る。

 最初に踊るのは主賓のルキウスと、その相手役のルイゼだけだ。

 周囲から、数え切れないほどの視線と注目を浴びながらも――ルイゼは、落ち着いてステップを踏んでいた。


(ウィンナ・ワルツ『息吹く風』……耳に馴染んだ曲で良かった)


 王妃教育の一環としても、最も練習する曲のひとつだ。

 動きを刻み込まれた身体はキチンと動いてくれる。

 相手役のルキウスが、ルイゼが動きやすいように誘導してくれているのも大きかった。


(リードがとてもお上手……)


 本当に初めてなのか疑ってしまうほど、ルキウスの動きは優雅で、気品さえ感じられる。

 周りの令嬢たちのみならず、年若い男性たちまでルキウスに気を取られてポーッと頬を染めているくらいだ。

 これほどまでの美形となると、男女関係なく魅了してしまうらしい。


(あれ? そういえば……先ほどルキウス様が、何か不思議なことを仰ったような)


 くるり、とドレスの裾を翻して回転しながら、考え込むルイゼ。

 ジャライア語のことに夢中で、あのときは考えている猶予がなかったのだ。



(そうだわ、確か私のことを――、って……)



 その瞬間だった。

 ――ぼそり、と耳元に吐息が吹き込まれた。


「……こんなときにまで考え事か?」

「……っ!」


 驚きのあまりルイゼの肩がびくりと跳ねる。


(ち、近いっ。踊っているから当たり前なんだけれど……!)


 今さらながら、腰に当てられた大きな腕に意識がいってしまう。

 初心な反応に、ルキウスはおかしそうに微笑んだ。


「それにしても、君はダンスも得意なんだな。本当に俺が初めてか?」


 身体同士が密着するタイミングを見計らって、ルキウスが話しかけてくる。

 妙に色っぽい吐息で頭上から囁かれるので、ルイゼはそれだけでドキドキしてしまった。


「……お伝えした通りです。ルキウス様こそ、初めてとは思えないくらいリードがお上手ですけれど」


(やっぱり先ほどの発言は、私を気遣って?)


 しかしルキウスは、ルイゼの言葉には「そうか」と眉を下げて笑うだけだった。


 次第にワルツのテンポが速まって、オーケストラの演奏の勢いが高まっていく。

 曲の終わりが近い合図だ。ルイゼもルキウスと呼吸を合わせ、くるりと身体を回転させる。


 そうして、一曲目のワルツが終わりを迎える。



(良かった……ちゃんと、最後まで踊り切れた)



 ふぅ、とようやく一息を吐くルイゼ。

 手を取り合い向かい合ったままの体勢で、ルキウスがほのかに笑う。


「楽しかったな」

「……! 私も――私も、楽しかったです」


 離れる手が、ほんの少しだけ名残惜しかったが。

 万感の思いで、ルイゼはルキウスに告げる。


「こんなに楽しい夜会は、本当に――初めてです、ルキウス様」


 それを聞いたルキウスは、「そうか」と嬉しそうに口端を緩めた。


 今まで、ルイゼにとってパーティーの類いはすべて苦痛でしかなかった。

 フレッドに蔑ろにされ、リーナには嘲笑われる、そんな惨めな晒し者にされる舞台でしかなかった。


 それなのに、ルキウスはそんな思い出もぜんぶ、塗り替えてしまったのだ。


(ふわふわ、夢心地な感じがする……)


 そのせいか、足元が少し覚束ない。

 それさえも幸せの証のように思い、幸せな気分に浸るルイゼだったが……やがて、周囲の様子が少しおかしいのに気がついた。


 というのも、


(ど、どうしてだろう。やたらと周りの方から視線を感じるような……)


 しかも、つい先ほどまでの異端なものを見る目とはどこか違う。

 なにか、キラキラした眼差しというか。浮ついたような気配というか。


(気がつかないうちに、何か失態を犯してしまった……!?)


 助けを求めているのを察知したのだろうか。

 じっとルイゼが困った顔で見上げていると、ルキウスがすぐに気がついた。


 自意識過剰かもしれないが、ルキウスに訊けば分かるかもしれない。

 そう思いルイゼは口を開いた。


「あの、ルキウス様。妙に他の方々から、視線を感じるような気がして……」


 するとルキウスは、なぜだか嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ああ、それはだな――」


 しかしそのときだった。



 閉まっていたはずのホールの扉が、バン! と大きな音を立てて開かれる。



 何事かと周囲の人々が目を向ける。それから、大きなざわつきが波のように広がった。

 そんな中、ルイゼもどうしたのかと目を向けて――それから、唖然としてしまった。



(どうして…………?)



 視線の先。

 入場口に立っていたのは――リーナとフレッドだった。



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