【二月七日0819~0836】


 本日の天気は快晴。風も弱く波も穏やかで絶好の航海日和である。これから始まるのはHバースからFバースに移動するだけの短い航海。この短い航海が俺の最期の航海だ。

少しだけ軽くなった艇に乗員が乗り込み慣れた手つきで俺を岸壁から離す準備を始めた。放たれた一つの号令が乗員たちによって反復され末端に伝わり、俺の心臓たる機関が動き、足であるスクリューが回る。最期の出航ラッパが鳴り、俺を岸壁につなぎ止めていたもやいが外される。艇が海面を静かに滑り三年間慣れ親しんだ岸壁との間がゆっくりと大きくなっていく。艦首が少し右に振れると、正面には見慣れた総監府が見える。葉の落ちた木々の間から見える緑青の屋根も見納めだ。自分よりもはるかに大きな未完成のコンテナ船。いつもの風景であるそれは今日をもって日常ではなくなるのだ。ぼんやりしているうちにこれまた大きなDDHや、輸送艦を追い越して我らが掃海母艦の真後ろを通る。その飛行甲板に目をやれば豊和の姿があった。豊和は何もせず俺の姿をじっと見つめていた。野郎同士で見つめ合うなんとも気不味いゾーンを過ぎれば、あっという間に昨年兄がいた場所の反対側へたどり着く。手際よくもやいが岸壁の者に渡されビットに引っ掛けられる。俺が岸壁に寄るたびに防舷物が岸壁と擦れ不快な音を立て存在を主張した。スクリューが止まり、完全に停止する。それと同時に距離や時間など【くめじま】の全てを記録していた物が止まる。それは【艇】としての俺の役目が終わったことを表していた。

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