催花 月の下で

加茂

【二十九年六月六日】

 蒼い海に青い空。それらは何も現世の者たちだけの物ではない。現世に限りなく近い所に現世ではない場所……【道】と呼ばれるその場所に、人に望まれ人に想われて生じた【艦霊ふなだま】と呼ばれる神々。彼らは人と共に海に生き空に焦がれ暮らしている。そして、いつか訪れる別れの日に涙を流すのだ。



 掃海屋敷の玄関前でその【艦霊】は一人でタバコをふかしていた。

「【はちじょう】」

「おっ、久哉か」

呼びかければ【はちじょう】は嬉しそうにこちらを見た。

「何時から?」

「んー、あとちょっと」

淡雪あわゆきとは話したか?」

「まあまあかな」

「そうか」

腕時計を見たり、足元の土を動かしたりしながら他愛のない会話をかわすうちに、ふと【はちじょう】が切なそうに目を細めてよく晴れた空を見た。

「本当はもっと、ついててやりたかった」

【はちじょう】の後継である淡雪こと【あわじ】は今年の春に就役したばかりで、経験は言うまでもなく浅い。

「後は頼んだぞ」

気にかけてやってくれと言外に【はちじょう】は俺に告げタバコを地面でもみ消す。

「もう時間だ。じゃあな【くめじま】」

「おう、おつかれ【はちじょう】」

そう言うと【はちじょう】は振り返ることなく現世へ出て行った。あの【艦霊】が再びこの【道】に足を踏み入れるときには、もう【はちじょう】ではなくなっている。旗を降ろしたただの丈喜ともきは一体どんな顔をしているのだろう。梅雨独特の重たい風が吹く。思い出話を聞いてくれる友がまた一人俺を置いて逝く。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る