第十六節 向き合う結果
事は嵐のように進んだ。金網の外で張っていた自衛隊員達に拘束され、搬送用のトラックに連れ込まれた。絶え間なく五感を刺激するフラッシュとシャッター音が脳に刻まれたまま、中で同じく拘束された皐姫と遊月、ケージに入れられた星牙に出会った。
二人の肌の隙間を埋めるように、包帯が巻かれていた。奥の傷を想像する。直視するのが憚られる有り様を思い浮かべた。星牙のスーツは見る影もなく、当人は折れた刀を握りしめたまま気絶していた。
「ジュンちゃんは?」
架純が問うと、皐姫は腫れた目元を隠し、微かに声を震わせて答えた。
「自衛隊の方々に保護されました。今は恐らく、警察側に引き渡されていらっしゃるかと」
トラックが揺れる。遊月は架純を睨む。
「それよりテメー、どこ行ってた」
日向が言っていたことを思い出す。無限樹に辿り着けるのはオーダーである自分と、ゾアと呼ばれる架純だけだと。つまり、遊月は知らない可能性がある。言って通じるのかどうか。とはいえ、睨まれたままでも居心地が悪い。ただでさえ混乱しているというのに。
「オーダーに無限樹って所へ連れていかれた」
遊月は眉を動かした。
「知ってるの?」
「…さぁな」
沈黙が流れるトラックの中を、雑音が行き来する。
張り詰めた空気に耐えかねてか、遊月は口を開いた。
「言い伝えだ、あいつの生まれた所の」
伝承に過ぎないはずのもの。しかし、それは現実だった。無限樹。混沌に生える世界の鍵。謎は深まるばかりである。
架純が不思議に思っていると、遊月は尋ねた。
「颯、さっき無限樹に連れていかれたって言っていたな。どういうことだ?」
こっちが聞きたいぐらいだ。その言葉を引っ込め、架純はあるがままを話した。
遊月は俯き、唸った。
「色んな辻褄は、合うわな…」
呼吸するための空気すら重苦しくて、身体が拒みそうになる。
「もし、その御話が本当だとすれば、私達に残された時間は僅か…」
もはやトラックの揺れる音すら入ってこなかった。四隅の箱の中、三人はただ座るのみである。
「後で考えようじゃねぇか。時間はたっぷりあるみてぇだしな」
斜に構えた遊月の言葉を最後に、完全に音は消え去った。薄暗さは混沌の中を思い出させ、架純は瞼を閉じようとした。けれど、無限樹の不気味さが瞼を開かせる。今は光も、闇も、架純の心を落ち着かせるものではなくなっていた。
ぬかった。自宅に戻って早々、零は壁に手を打ちつけた。埃が舞い、寂れた家具が軋んだ音を立てる。蜘蛛の巣の張られた割れ窓を睨み、脇腹を押さえる。痛みに顔が醜く歪む。
骨を砕いたはずだった。しかし、ヤマトタグルノミコによる邪魔が星牙を原点へと縛りつけていた力を緩ませ、折れかけの刀による居合斬りを喰らう羽目になった。
眼鏡を整える指に力が入る。中央からフレームが砕け、レンズは床に落ちてヒビが走った。
「なんて自覚の無い奴等なんだ…!」
歯軋り。変貌したサイレントボーダーは、薄汚れた部屋の各地に穴を空ける。閉塞した空気が外に吐き出され、苛立つほど清潔な風が吹き込む。
「持つ者が残り、持たざる者が淘汰される。生物の進化は常にそうだった。人間の番が回ってきただけじゃないか。何を血迷っているんだ、奴等は…!」
血眼で恨み言を連ねる。白金の身体に埃が被さる。
「随分荒れているな」
背後から呼びかけられる。勢いよく振り向くと、オーダーが立っていた。その姿を見るや否や、サイレントボーダーの心は安堵に満ちた。
咳き込み、全身をはたいてオーダーに向き直る。
「あなたの思想が理解されないことが気に食わず、つい取り乱してしまいました」
オーダーは視線を外した後、上辺だけの微笑を上げた。
「それは…嬉しいことだ」
言葉の濁りを意にも介さず、サイレントボーダーは、
「お褒めいただき光栄です」
と答えた。
「覚えているか」
唐突にオーダーは切り出した。神妙な口振りに関しては、さすがにサイレントボーダーも違和感を覚えた。
「君が生まれた日のことを。私は言葉をかけたね。『君には世界を統べる権利がある』と」
「もちろん。だから僕は先導者に道を示す者として、あなたの手となり足となっているのですよ。オーダー」
なるべく普段通りに努めるが、やはり奇妙な感覚が胸を突く。オーダーは何故いきなりこのような話をする?
「ミストゲイルに言われた。一人一人に向き合わねばならないと。君はどう思う?」
それが深刻な悩みであるかのように、オーダーはため息を交えた。しかし、サイレントボーダーには馬鹿馬鹿しい話に思えた。
「非現実的な思想ですね。人は絶え間なく数万と生まれ、死にます。一人一人に向き合っていてはキリが無い。総称とは統率のためにある。あなたの言葉ですよ、オーダー」
意気揚々と述べるが、オーダーの態度は尚も晴れる気配を見せなかった。穴の隙間から射し込む光と風が、オーダーの立つ窓際に影を生み、埃を押し込む。
煮え切らない主人を見て、サイレントボーダーは痺れを切らした。
「…奴が何と言おうと、正しいのはあなたです。目的が違うじゃないですか。奴等は今ある人間を守りたい。けれど、あなたは世界を護る方だ。どちらが崇高かなんて、ランク5の者でもわかります」
サイレントボーダーの足がオーダーの方向に伸びる。空の木箱を叩いたような音と共に、サイレントボーダーはオーダーの目の前に寄り、両腕で抱きしめた。そして、耳元で囁く。
「あなたは僕の全てだ。僕を導いてください、オーダー。いつものように。全ては我等が家族のために…」
オーダーが指で顎を叩こうとすると、サイレントボーダーが止める。
「その姿が一番です、オーダー」
微かに笑い、オーダーはサイレントボーダーの頬を撫でた。
「やはり、君は…」
それ以上は言わなかった。閑散とした廃屋で、二人はただ身を寄せ合って立つばかりだった。
曇り一つ無いガラス張りの、清潔な白い部屋の中に、架純達はそれぞれ一人ずつ隔離されていた。手錠は填められ、手錠に仕込まれた麻酔薬が変貌の妨げとなっていた。
「俺達には意思決定権がある。心をやられちまった奴等よりは話ができる。ってなわけで、せめて法廷ぐらいは出させてくれよ」
『独房』越しに、遊月が総理に話しかける。すると総理は無言で、手に持っていた新聞紙を独房のポストへ入れた。
「『レシーバーズは突然変異した人間か 政府の返答待たれる』ね…」
遊月はおおよそ予想通りといった風に、半ば呆れて呟いた。
「他には?」
架純の問いに対し、総理は躊躇いながらも、SNSの書き込みをまとめたタブレットの画面を見せた。『化け物が潜んでるってこと?映画みたい笑』『政府こんな秘密隠してたの?クソじゃん』『国民のことも考えられないクズ政権』『学校何してたん 焼かれて当然だよね』『あいつら人権ってあるのかな ていうかあれ人って言えるん?』『#レシーバーズを日本から追い出せ』
「苦しいものですね…」
皐姫が悲嘆を口にする。はっきりと弱音を聞いたのは初めてだ。緊急手術室で眠る星牙の容態が安定していないことも関係しているのだろう。シミも無い部屋が、どうにも居心地悪く感じられる。
架純は何も喋ることなく、部屋の隙間を見つめていた。
「世間は失敗に厳しい。そう簡単には覆せないだろう」
「それでこの仕打ちってわけかい、お偉いさんよ」
遊月の悪態も甘んじて受け入れ、総理は頷く。突然、皐姫の独房を挟んだ向かいの独房のガラスが激しく揺れた。
「何、認めちまってんだよ…!テメーらがあの時、おんなじことを暁にやってりゃあ…!」
瞳を逸らさず呻く怒号を受け止め、総理は頭を下げた。
「本当に…すまない」
荒い息づかいだけが耳に入る。しばらくしてから、総理はその場を去った。反響のせいなのか、足音が寂しく聞こえた。
架純は部屋に唯一設置されていたベットに身を投げた。心のどこかで大丈夫と思っていた。認めてくれるに違いないと考えていた。どうしてこの世に絶対があるなんて言えるだろう。風の行き先なんて、誰も知り得ないというのに。
それにしても、これは堪えた。正直、かなり堪えた。中学の頃のトラウマが抉られる。爪弾きにされた日々が甦る。まるで地中深くに埋めておいた腐敗物が、嵐や土砂崩れでまるごと掘り出されたような、そんな痛みが胸中を渦巻いた。
そうして空になった穴の中に、オーダーの言葉が入り込もうとする。人々は本当に信じるに値するのかどうか。一人一人に向き合う。そう言った。けれど、それは無敵の盾を得たということではない。むしろ、自分の周りにあったバリアを全て剥がして接するということなのだ。それを思い知った。
何度も自問する。戦う意味はあるのだろうか。仁を守るために。そこから始まったことだ。それを独りよがりと否定され、色んな事情を知り、今に至る。単純に考えられたあの頃とは違いすぎる。皆を守るために戦っても、世界は滅ぶらしい。世界のために戦うのなら、皆を滅ぼさねばならないらしい。皆には疎まれている。だが、滅ぼされる皆の中には仁がいる。自分の立つ意味がわからなくなっていた。
「ジュンちゃんなら、何て言うのかな」
虚しく呟く。音はぶつかる先もわからず、ただ漂うのみである。
見張りの自衛隊員が、上官と思われる隊員と忙しない様子で会話する。
「何かあったのですか?」
皐姫が尋ねる。
「それが…東京都心部に亀型他30体のレシーバーズが出現したって…」
架純は反射的に飛び起き、独房から出ようとした。しかし、オートロック機能付きの扉は手錠をかけられた両手で開けられるものではなかった。
「行かせて!止めないと!」
「ダメだ!君達はここにいるべきだ!下手に動けば取り返しがつかなくなる!」
「だからって何もしないのはおかしいよ!自衛隊でどうにもならなかったから百獣村(あそこ)に閉じ込めるしかなかったんでしょ?私達以外に誰がいるの!」
「あたしがいるだろ?」
閃光のごとく唐突に飛び込んできたその声の主を、架純は知っている。稲妻と共に、ガラスの前に駆けつけてきたその少女の名前を、架純は知っている。
「奏雨っち!」
「助けに来たよ、友達(かすみ)」
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