第十四節 開戦

 四方を金網に囲まれた集落。東京都郊外にある盆地。そこがレシーバーズの跋扈する百獣村である。

 架純達四人は金網の付近まで来ていた。

「協力できれば嬉しいのですがね」

 扉に構える隊員を見て、皐姫がため息をこぼす。

「何の実績も無い俺達が下手に接触するのは危険すぎる。行動で示すしかねぇって言ってたろ、総理(あいつ)も」

 遊月が毒づく。

 確かに、いくら以前からレシーバーズを倒していたからといっても、明確な討伐意識を感じさせなければ意味が無い。野犬同士が争ったところで、勝者がステータスを得られるわけでもないように。現状では野犬がするような生存競争と同じなのだ。説得力が無い。

 だから総理は百獣村を選んだ。明確な意志で封鎖された土地のレシーバーズを、明確な意志で討伐する。これでしか信用を勝ち取れない。

 そんな総理との間に、遊月は確執がある。暁澪士の死。議事堂でのやり取りで理解した。あれには政府が関係している。親友と呼ぶほどの人間の死を隠蔽されたとすれば、しかしオーダーに対抗する以上それなりの機関と協力せざるを得ないとすれば、複雑な心境にもなるだろう。架純には記憶に新しいジレンマだ。

 とはいえ、子供じみた態度を取る遊月に、仁は呆れ果てた。

「仮にも教師が総理大臣をあいつとか呼ぶなよ」

 仁は暁澪士のことを知らない。話そうとはした。けれど、遊月に止められた。できれば他言はしてほしくないと。仁は気負いすぎるきらいがあるから、かえって仁のためにならないと。

 しかし、後ろめたさが残る。

「ジュンちゃんには嘘つきたくないよ。隠し事も嫌だ」

 すると遊月は怒気を込めて、

「テメーのことはそれでいいかもしんねぇ。けどな、これは他人(おれ)の話だ。あんまりズケズケ話されっと、虫の居所がワリィんだよ」

 固唾を呑んだ。凄まじい迫力に気圧される他なかった。けれど、その声が哀愁を孕んでいたことは確かに伝わった。

「そういう事も、これから覚えていかねぇとな」

 そして遊月は架純の頭を軽く叩き、百獣村に向かうトラックの積み荷側へ乗った。架純は白昼の影に覆われながら、積み荷に乗り込む遊月の背中を見て、寂しさを感じた。

 百獣村に来る前のことを思い返し、金網を見据える架純の胸中は様々に渦巻いていた。過去を乗り越えねば、乗り越えられないかもしれない、オーダーに証明してやる、証明できないかもしれない。

 雑念を払うように、架純は首を横に振った。それから両手で頬を叩き、大股で一歩を踏み出した。

「…行こう、皆」

 足跡は靴の形をしておらず、代わりに風が撫でたような擦り跡が出来ていた。その擦り跡の一歩前を、架純は黒い脚で歩く。三人が続く。そして一陣の風が扉を開き、百獣の棲む村に入っていった。夜が更けようとしていた。


 寂れた家屋が点々としている。住人は全員、はるか前に新たな家主、レシーバーズの養分と化した。

 通常、生物はタンパク質や糖質といった栄養を取り込み、運動などの生命活動を通して自らの血肉とする。

 だが、レシーバーズは異なる。命の核が変質した彼らにとっての栄養は、ビタミンや脂質ではなく、他者のコアなのである。そして、コアは摂取した数と質だけレシーバーズの血肉を優れたものにする。つまり、生物として著しい進化を遂げた人間のコアを多く摂取するだけ、レシーバーズは強く、賢くなるのだ。拍子抜けするほど単純な理屈である。

「通常のランク1は裕に超えているでしょうね」

 家屋の並ぶ場から少し離れた木の下、サイレントボーダーは屋外で力を持て余している野獣達を見て、オーダーに話しかけた。

「でなければ、今回の作戦は考えんよ」

 昨晩、オーダーは百獣村のレシーバーズを集め、作戦を語った。百獣進攻。百獣村の金網を破り、都心部に進出しようというものである。

 レシーバーズ達は皆、元は通常の生物として生きてきた。森に棲むレシーバーズはかつての忌まわしい名残のために、人工物もしくは人間そのものに無用な恐怖を抱いている者も少なくない。

 オーダーの作戦に異を唱えた者、シャットシェルもその一人であった。

「わしらを人間との喧騒に巻き込まんでくれ。もう疲れた。飲み食いせずとも生きられるのだ、これ以上何を望む?」

 カミツキガメ。特定外来生物に指定されており、侵略的外来種として人間の駆除活動に追われている。外から無理矢理連れられ、挙げ句悪者扱いで命を狙われる。そんな過去の記憶が、シャットシェルの中にもある。

「授かった命を無駄にはしたくない」

 すると、オーダーはシャットシェルの太い脚に刻まれた傷痕を指でなぞり、ため息をついた。

「だから現実から目を背けるのか?閉じ込められ、押さえつけられ、惨めに生きることをよしとするのか?」

 自分の倍以上の体躯を持つシャットシェルを睨みつけ、オーダーは鋭い剣幕で叫んだ。百獣村全てのレシーバーズに訴えかけるように。

「欲を止め、己を縛り、無為に生きる。それこそが命への冒涜と知れ!我々は授かったのだ。ならば戦え!賜物(ギフト)は使われるためにある。無駄にするな!」

 声は全て金網の内側、原点(シャットシェル)へ収束されていく。それに伴い音が反響する。全身を打ち震わすその音に、シャットシェルはしばしの沈黙を挟んで尋ねた。

「捧げても良いのだな?」

 兜の中で、オーダーは口角を上げた。

「善きに計らえ」

 レシーバーズの群れの中央に立つシャットシェルを眺め、サイレントボーダーは昨日の出来事を思い出していた。

「やはり素敵な方だ」

 ため息交じりに呟く。刹那、風がざわめく。瞬く間に数体のレシーバーズが蹴散らされた。サイレントボーダーは脈拍を高鳴らし、透明の槍を作り出して構えた。

「すべては我等が家族のために」


 突風の勢いを受けて喰らわせた殴打は、数多のレシーバーズの内、わずか二、三体程度を吹き飛ばしたのみだった。

「相手、どうです?」

「ハリケーンと同等の風圧を受けても陣形が崩れない程度の力量ですね」

 手製の通信機越しに仁とヤマトタグルノミコが会話する。動作に影響の出ない骨由来の特殊な糸を介し、一言一句聞き漏らすことなく情報が伝わる。

「大丈夫ですか?俺、自衛隊の人達呼びましょうか?」

 仁の心慮を杞憂と言わんばかりに、ヤマトタグルノミコは微笑んだ。

「いえ、その必要はありません。先生!」

「あいよ!」

 絶え間なく吹き荒れる風に、瞼を閉じる隙を得られないレシーバーズ達の瞳に、紫の光が飛び込む。

「ワリィな、おとなしくボコボコにされてくれ!」

 変質したコアの機能を抑制する瞳は、自然に生きることで力を増したレシーバーズ達といえども抗えるものではない。いくら地の馬力が強化されていたとしても、天災にも迫るミストゲイルの力には及ばない。次々とレシーバーズは戦闘不能状態に追い込まれた。

 いける、できている。ミストゲイルは思った。夜空に舞うレシーバーズの身体は、ミストゲイルの不安を振り払うには十分な光景であった。

「これで終わりだ!」

 地面に拳を叩きつける。激しい衝撃波が百獣村のレシーバーズを飛ばした直後、押し寄せる波のようにミストゲイルの下に戻っていく。そして、月を抉りそうなほど高い竜巻が巻き起こった。無事で済むレシーバーズはいないだろう。そう思った瞬間だった。

 激しい地鳴りがミストゲイル達の体勢を崩す。膝をつき、ミストゲイルは地鳴りの根源を見つめた。巨大な亀。シャットシェル。

「わしらの家を荒らすな、人間擬きめ!」

 憎悪に燃える目がミストゲイルに刺さる。気迫に呑まれそうになる。第二波が襲いかかる。大地にヒビが走る。

「先生、何とかなりませんか?」

 振動で震えつつ、ヤマトタグルノミコがフェイトスコープに頼む。

「ありゃ元々馬鹿力ってパターンだ。見たってしょうがねぇよ」

「自力で災害を起こしているとでも言うのですか!?」

「そうなるね」

 透明の槍がヤマトタグルノミコの頬をかすめる。地表から数センチ離れた虚空を歩き、サイレントボーダーが近寄る。

「ご足労いただいてありがたいけど、正直に言ってミストゲイル以外は必要無いんだ。特に…」

 サイレントボーダーは彼方に顔を向け、磁石が引き合うように、金網を飛び越えて素早く仁の傍に移動した。

「君はね」

 槍が仁の胸を貫きかけたその時、一本の刃がサイレントボーダーを退けた。仁の前に立つスーツを着た獣は、

「相手が違うのではないか?」

 不敵に笑み、大きな手でサイレントボーダーの顔面を握り、林の深い方へ駆けていった。しかし、

「そうだな、相手にならないからな、君じゃあ!」

 サイレントボーダーは星牙の手を掴み返し、再び百獣村内部へ星牙ごと自身を引き寄せた。背中から落ちた星牙の束縛から抜け出したサイレントボーダーは手の平をかざして、今度は星牙の身体を縛った。

「僕としても家族は殺したくないんだがね」

 その言葉を聞いて、星牙はサイレントボーダーに問いかけた。

「お前、家族が何なのか知っているのか?」

 サイレントボーダーは鼻で笑って言った。

「家族と呼ばれる共同体は普遍的に、同種で構成される群れだ。強い者は強い者同士、弱い者は弱い者同士。そこに例外は無い。家族が生きるためなら例外は切り捨てる。全ての種はそうして生きてきた。君が一番知っていることだろう?」

 傲慢を目の当たりにした星牙は、呆れた口調で喋った。

「あいにく、そこまで野蛮な動物を見たことが無い。お前を除いて」

 束縛が強くなる。骨の軋む音が聞こえてくる。それでも星牙は苦痛に耐え、言葉を続けた。

「物心ついた頃から、家族と呼べるものは無かった。信じるものも無かった。腐肉を食って生きてきた。だが、そんな俺にも皐姫は分け隔てなく接してくれた。家族と呼んでくれた。種も異なる俺をだ」

 星牙は幼い狼であった頃を思い返す。山中であてもなく、生きるために生き、飢えに苦しんでいた星牙に餌を与え家を与えた。それが糸ヶ谷皐姫なのだ。

「故に言おう。家族とは、壁を越えて手を取り合える者達のことだ。命を賭して愛し抜ける者のことだ!お前にはいるのか、家族が!」

「知った口を…!」

 高貴な白金をしたサイレントボーダーの腕に、醜いほどに脈打つ血管が浮き出る。

「いなきゃダメなのか?いたらいいのか?なら心配無用だ、僕にはいるからね、家族が!」

 透明の槍が投げられる。鋭利な一撃が星牙の腹を貫く。おびただしいほどの血が噴き出る。断末魔が夜空に轟いた。


 その数分前、日向は無限に光る樹の幹に触れ、密かに微笑んでいた。

「開戦、ね」

 聖書ほどの分厚さを持つ書物を片手に日向は踵を返し、鎧を纏った。

「あなたは命を運ぶ先導者でなければならないの、架純。『ゾア』である、あなたが世界を…」

 顎を指で叩き、兜を装着した。書物が宙に舞う。

「護るのよ」

 風にめくられた書物のページは章の始まりを示していた。題名は──『救世の章 ゾアズ・オーダー』

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