第十三節 それぞれの始まり

 十分も経たない内に、消防車がやって来た。消火活動、瓦礫の撤去、それらが速やかに行われた。幸い、死者はいなかったものの、負傷者は二桁を下らない結果となった。中間テストを控えた時期だったのがいけなかった。

 焼け野原で行われた校長の長い謝罪の後、パトカーのサイレンが聞こえてきた。瞬く間に校舎は封鎖され、おびただしい数の警官達がせわしなく動く。立入禁止と書かれたテープを挟んで、架純はその光景を眺めていた。

 隣で奏雨が俯く。架純は尋ねた。

「どうして、こんなことしたの?」

 知りたい。仁を殺そうとしたライトニングレイと、クラスのまとめ役の田宮奏雨、どちらが本当なのか。どちらで在りたいのか。

「空気読まないね、相変わらず」

 半ば呆れた口調で返される。

「聞かなきゃわかんないよ」

 仁には聞かれても誤魔化した自分を責めるように、できるだけ堪えるように、架純はその言葉を選んだ。

 奏雨はため息をつき、

「言えてる」

 そう吐き捨てた後、手の平で上向きの顔を覆った。

「熱に浮かされたんだよ、あたしは。それでゼロにしちゃった。今までやってきたこと、全部」

 しばらく奏雨は天を仰いだままだった。光は手の甲に妨げられる。

 架純は直感的に礼閃零、サイレントボーダーを思い浮かべた。女の勘と呼ぶものが実在するのなら、まさに今働いたものがそうなのだろう。あの時、二人は一緒にいた。放火した現場で共に立ち、自分と対峙した。それだけで十分伝わった。奏雨は零に惹かれている。

「いや、マイナスかな。ゼロとか言っちゃダメだよね。こんなことしといて」

 崩壊した学校の跡に目を向ける。生徒は架純達を置いて全員帰宅した。しばらくは休校とのことだ。反応は様々だった。校舎が壊され泣く者もいれば、テストが無くなったと能天気に喜ぶ者もいた。

 けれど、全員が胸に抱いたものは同じだった。レシーバーズは恐怖の対象だ。ただ一人、ミストゲイルを除いて。それが何を意味するのか、架純は朧気に理解していた。だからこそ強く思い抱いた。独りよがりじゃない生き方を選ばねばと。

「じゃあプラスにしようよ。一緒に」

「どうやって?」

 立入禁止のテープの向こうを指さす。その先には、大勢の警察官がいた。

「皆で力を合わせよう」

 架純の意図を察したのか、奏雨は息を呑んだ。そして、深刻な面持ちで架純を見つめた。

「確かに言ったよ。あんたは自分しか見ちゃいないって。…そのケジメ?」

 架純は首を横に振る。

「オーダーは人が死ななきゃいけない存在だと思ってる。正直…私も否定しきれない。嫌な思い、たくさんしてきたし」

 嫌な記憶が甦る。好きなことを奪われた。おそらく、零やオーダーの言う持たざる者の中に、あの人達もいるだろう。

「でも、だからって皆がダメダメだなんて思えない。その人達のこと、ちゃんと知ってるわけじゃない。この目で見なきゃ何もわからないはずだから」

 他でもない奏雨が気づかせてくれた。殺したいほど憎んだ相手でも、視線を届ければ和解できると。あの時伸ばした手はきっと、一つの真理のはずだから。

「それに、見てもらわなきゃ。私達のことも。皆に見てもらって、判断してもらう。私がどう生きるべきなのか、その答えを知りたい」

 同時に、真実の善悪を見定める機会は与えられるべきだと思う。 幻ではいられない。霞に隠れたままでは、草木は腐ってしまう。霞も真実も、いつかは晴れて然るものなのだ。

「皆の出した答えに、私は向き合いたい。だからこれはケジメなんかじゃない。私の選んだ戦い方だよ」

 突風が髪をさらう。

「奏雨っちと一緒にやりたい。ダメかな」

 空気が揺れる。現実から切り離されたかのように、二人は静止し続けた。

 ようやく奏雨が口を開く。

「…ごめん。やっぱりっていうか、尚更無理」

 瞳を逸らさず返ってきた言葉は、どこか固い意志を感じさせるものだった。

「言ったろ?あたしはマイナスだって。まずゼロにしなきゃね。虫が良すぎるもの。誰にも知られていないからって、いいことして名声だけもらうなんてさ」

「でも、ゼロってどうするの?」

 すると奏雨は悪戯に微笑んだ。

「また、あんたの尻拭いから始めるとするさ」

 公(みんな)の力になって戦い、自らの目で判断し、判断してもらう。それが架純の腹積もりだ。意図は伝わっている。そのうえで尻拭いと言った。

 数秒の思考を経て、架純は悟った。奏雨は法(みんな)の外から戦うつもりなのだ。

「厳しいね」

 まるで光のような生き方。瞬くように照らして去る。誰からも感謝を得ることは無い。労いも、理解も無い。

 それでも奏雨は、

「甘ったれだよ、あたしは」

 と言い、音の無い閃光と共にその場から消えた。まだ少女の像が目に残る虚空を見つめ、架純は誓った。

「私達の持つモノ、できること、見つけよう。私達のこと、わかってもらえるように」

 忌まわしい記憶が甦る。思い出さないようにしてきた過去。オーダーも同じ、あるいはそれ以上に苦しい思いをしたのだろう。仲間が殺されたのだから。

 だからこそ、止めなくては。大切なものを奪われる悲しみを知る人が、奪う側に立たないようにするために。もう何も奪われないようにするために。そのために見る。見ようとしてこなかった世間(もの)に目を向ける。

「架純!」

 後ろから声がする。仁だ。振り返って近づく。まずは目の前の大切なものから。

「大丈夫だったか!?その、パトカーが学校の方向にメチャクチャ走っていってて、煙も上がってて、」

 仁は息を切らし、手を膝に乗せて早口で説明する。俯く顔から滝のように汗が滴る。それが架純には嬉しく感じられた。

「…心配したんだからな」

「…ごめん」

 申し訳なく薄く微笑み、架純は仁の手に自分の手を添えた。大きく、凹凸の激しい手。その熱を感じつつ、静かに語った。

「ゆっちゃんに色々話を聞いて、とんでもない事になったんだなって思って。だからこれ以上、危ないことに巻き込みたくなかったの」

 すると仁は悔しそうに、

「ごめんな。俺に力が無いばっかりに…」

「そんなこと無いよ」

 架純は首を横に振った。

「自分が情けなくて、俺、八つ当たりしちまった。架純は何にも悪くないのに」

「私こそ、ジュンちゃんの気持ち、ちゃんと考えてなかった。自分だけだった。ホント…ごめんね」

 昼下がりの陽光が影を作る。静かな暗さに目を落とす。奏雨に、遊月に言われたことを反芻していた。自分が正しいと思ったことしかしていなかった。仁がどう思っているかなんて、考えたことも無かった。独りよがりだった。オーダーと同じだったのだ。

「おかしいよね。幼馴染なのにさ」

 そんな情けなさを自ら嘲る。

「幼馴染だからじゃないか?」

 仁は顔を赤くして、不器用に言葉を引き出した。

「何ていうか、俺達、気を置かなさすぎたんだと思う。あいつならこう考えるとか、そういうの、勝手に期待しちまってた。俺はそうだった。難しいことなのにな、本当は」

 その通りだ。架純は共感せずにいられなかった。相手を見ないのはきっと、相手がこうだと信じすぎるから。相手を自分の中だけで考えすぎるから。相手を理解するなんて、本当はキリがないほど難しいはずなのに。中学の頃、痛いほど思い知ったはずなのに。

 だから伝えよう。今度はちゃんと、相手を見る。

「ジュンちゃん」

 木がざわめく。

「自分のこと、力が無いって言ったよね?でも、ジュンちゃんから私はパワーをたくさん貰ったよ。勇気も、諦めたくない気持ちも…生きたいって思いも」

 架純は仁の手を握り、固唾を呑んで言った。

「私達の力になってほしいの。皆を守るために」

 木の葉が彼方に飛ばされた。


 後日。架純、皐姫、遊月、仁、以上四名は議事堂に足を運んだ。皐姫のコネクションが功を奏し、総理大臣との交渉に漕ぎ着けられた。老舗の呉服屋は凄いものだと架純は感嘆した。

 総理の前で、架純は自分の『すべきこと』の旨を伝えた。警察や自衛隊のような公的な防衛手段として、自分達を認めてほしいと。人を襲うレシーバーズを討伐する、いわば特殊部隊として自分達を配備してほしいと。

 総理は唸った。実際、レシーバーズの討伐は警察および自衛隊で完遂できたのがわずか24%、およそ45%がミストゲイル、13%がライトニングレイ、残りは未解決のままなのだ。ネット上でも、政府の芳しくない態度に苦言を醸す連中は多い。故に、ミストゲイルのような正体不明のレシーバーズを祭り上げる風潮まで出ている。

 とはいえ、発生する箇所は都心が7、8割を占め、残りは偶発的な害獣被害と大差ない水準に留まっている。その都心部のレシーバーズも、前述の活躍で飽和状態が起きる程度に被害は抑えられているのだ。迂闊に架純達の存在を公にすれば、徒に騒動を生む可能性を増やすだけである。自分達の生活を脅かす化け物が人間の姿をしているとなれば、下手すればアナーキー状態になってもおかしくない。誰も信じられないという最悪の展開。

 しかし、その懸念に対し、皐姫は切り札を切った。校舎襲撃。これがもし事故ではなく、レシーバーズの仕業だとしたら?意思を持つ怪物による組織的行為だとすれば?対応を急かない方が、むしろ最悪の展開を呼ぶことになる。敵による無意識の侵食。誰にも気づかれぬまま、オーダーが種の淘汰を完遂させてしまう。

「暁澪士。総理なら知っているはずです。あなた方が殺したようなものだ。敵のボスは彼の死に怒ってこんなバカなことをしている。他の野良も賛同するでしょう、同族なんですから。総理、これは種族の争いです。ツケを払うなら今しかないでしょ」

 遊月の圧が決め手となった。総理は架純達を公的にレシーバーズ討伐隊として認可することにした。一つの条件を満たせるなら。

「東京郊外にレシーバーズの群れが住む秘匿区域、通称『百獣村(ひゃくじゅうそん)』がある。自衛隊に駐留させて何とか外に出さずに済んでいるが、いつまでもこんな状況ではいられない。彼らと協力して、レシーバーズを全て討伐してくれ」

 こうして、架純の『初めての』戦いが始まった。


 深夜の百獣村では、様々なレシーバーズが蠢いていた。数個の小隊と金網に囲まれた区画。それらを断崖絶壁から見下ろす影が二つありき。

「知っているか?異臭は蓋程度では防げない。むしろ、発酵して余計に強さを増す」

 オーダーの含んだ物言いを察し、サイレントボーダーは笑みをこぼした。

「彼らは力を蓄えている、と」

「自然からの授かり物─コア─は自然でこそ育まれる。皮肉なものだよ。人々を守っているつもりが、敵を養っているのだから」

 オーダーは魑魅魍魎を俯瞰し、

「彼らが溢れ出たら一体どんな臭いを醸し出すか、興味は無いか?」

 嬉々として質問する。サイレントボーダーは高揚を露に頷いた。

「持たざる者共に届けましょう。甘美なる香りを」

 サイレントボーダーを抱き寄せ顎を撫でるオーダーの目は、烈火のごとく滾っていた。

「百獣進攻の始まりだ」

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