第十節 黄昏を暁と変えるために

 日が頂点から下り始める頃、遊月は運動場の方へ歩く。架純はついて行き、遊月がするように柵に寄りかかった。熱を吸った鉄の温度が肌を焼きそうなほど伝わる。

 授業も無く閑散とした運動場を眺める架純に、遊月は語りかけた。向こうの部室の屋根を見つめたまま。

「昔、俺には二人の仲間がいた。一人は海央日向って女。今のオーダーだ」

 腕の熱が引っ込む思いだった。驚愕、絶句、とにかく時計が止まった気分であった。だが、徐々に違和感が押し寄せてくる。

「『今の』ってどういう意味?」

 世襲制を敷いているわけではあるまい。G・A以前にレシーバーズは存在しない。つまり、遊月の発言は矛盾する。故に、そのことに考え至った架純は、すかさず問いかけた。

 すると、そうくると思っていたとでも言わんばかりに、遊月は薄く笑った。屋根を見つめる瞳の先が一層、遠くなる。

「もう一人は暁澪士(あかつきれいじ)。かつてのオーダー。今はもう…いない人間さ」

 湿った風が雨のように全身にまとわりつき、胸の芯を冷やす。自分の死を考えたことは数えるほども無いだろう。仁の死がよぎったこと数えきれないほどあるが。だからこそ冷える。死という言葉の響きが、血肉よりも内にある何かを凍らせているのがわかる。

「何で、死んだの?」

 静かに問う。細かに視線が震える。

 遊月は口を押さえ、目頭を押さえ、咳払いしてからようやく言った。

「長くなるぞ」

「いいよ、聞くから」

 再び薄く笑う。今度はほんの少しだけ明るかった。が、すぐさま沈痛な雰囲気に戻る。

「暁はな、命あるもの全てに核命(コア)があると言っていた。栄養を取り込むのも、息を吸うのも、コアにエネルギーを与えるためにしていることらしい。暁はそのコアを豊かにし、全生命の飢えを満たそうとした」

 頭を抱え、数秒押し黙る。静寂。

「三人でコアの研究をしたよ。俺が文献を見つけ解読、暁が理論を構築、日向が開発ってな具合にな。日向は賢かったから、すぐに暁の理論を実現させた。外からコアに莫大なエネルギーを授け、生体の在り方を変える。それをあいつは『授体』と呼んでいた」

 聞いたことのあるフレーズ。サイレントボーダーが言っていた。そう。G・A、黄金の渦から射し込む光を浴びた架純に対し、同じ単語を発していた。今の生命から逸脱してレシーバーズとなる。それが、授体。

「暁さんは知ってたんですか?授体の理論が…恐ろしい結果を生み出すことを」

 すると遊月は咄嗟に、

「んなわけあるか!」

 と怒鳴った。吐息の荒さから伝わる激情。やってしまったというような顔で、遊月は架純を申し訳なさそうに一瞥する。

「…授体は奥の手、最悪の手段。暁が絶対やりたがらなかった理論だった。だから真っ先に処分したはずだった。でも日向は理論の全てを頭に叩き込んでいた。きっと、開発の時に色々調べたんだろう。呼吸するみたいに造れた、なんて言っていたな、あいつ」

 遊月の目元に皺が寄る。瞳孔は鋭く、ほのかに紫の光を放っていた。

「そうやって出来た『リベレーター』を使って、あいつは暁と自分、そして俺をレシーバーズに変えた。素晴らしさを知ってほしかった、ってとこだろう。ま、あいつにとって予想外だったのは、暁が自分よりも何倍も強かったってことだな」

 ミストゲイルを瀕死に追い込んだサイレントボーダーやライトニングレイを統べる者さえ敵わぬ強さ。架純には想像もつかなかった。

「皮肉なこったよ。自分の考えをわからせるつもりでやったことが、逆に相手の考えを推し進めることになっちまったんだから」

 それから遊月は笑った。

「暁も大変だったろうな、問題児二人と一緒にいたんだからよ」

 あからさまな空元気だった。木の葉が一枚、広すぎる運動場に落ちる。

「メチャクチャ頑固でさ、三人で人助けをしようって言って聞かなかった。力を持った以上、持たない全ての命を救おうって。ヒーローかよってな!」

 けれど、一番大きな笑顔だった。何よりも大切な時間だったのだと聴く者に痛感させる、それほどの価値を持つ笑顔だった。

「そう、あいつは光だ。夜明けの太陽みてぇに、何でもかんでも照らしやがった。──だからかもしれねぇ」

 突然、かつてないほどの暗澹たる表情と声音を放った。

「人は恐れた、妬んだ。あいつの活躍全部揉み消して、抵抗しねぇとわかってあいつを殴った。…死ぬまで」

 憎悪、怨嗟、悔恨。様々な感情に汚濁された空気が嫌が応でも想像させる。醜さを露に拳を振るう大衆、飛び散る血、死を目前にしてもなお抵抗しない聖人の姿を。架純の胃袋が液体を押し上げそうになった。

 柵に手を叩きつけ、遊月は歯を軋ませる。口の中から血が滴る。

「許せなかった、復讐したかった!でもよ、あいつ、笑って言ったんだよ。『登る必要は無い。自然と昇る。朝日がそうであるように』って。無理にわからせようったって、何の意味もねぇ。精一杯、善く在ろうとするしかねぇんだ。少なくとも、俺はそう捉えた。じゃなきゃ、ダチに申し訳立たねぇよ…」

 遊月は顔を歪ませ、とめどなく涙をこぼした。片手で顔面を掴むようにして覆う。握られた皮膚は突っ張る。今にも皮が剥がれるのではないかと錯覚するほどに。

 そうか。架純は今知り得る遊月に関する全てに合点がいった。守りたくない人を守れ、独りよがりでいるな。全て、友人に報いるためだった。けれど、心では納得しきれなかった。何故、暁という男はそうまで善人であろうと、いや、善人でいられたのか。架純には理解の及ばない事だった。

 深呼吸し、遊月は先刻の調子を取り戻す。

「…だが、日向(あいつ)は違う解釈をしたらしい。リベレーターを改造し天に打ち上げて、この世の全てをレシーバーズで埋め尽くそうとした。理由はわかんねぇけど」

「同じになればいい」

 架純は口を挟んだ。

「その人と同じ苦しみを味わえばいい。そう思ったんじゃないかな」

 架純にはその行動が、暁という人の死よりも共感できた。決してオーダーにではない。日向という人物に共感したのだ。架純もまた、同じ思いを抱えているから。

「とにかくだ」

 陰惨な空気を突き破るように、遊月は言葉を切り出した。

「俺は止めるべく、あいつらと戦った。まぁ止めきれずにG・Aが起きちまったわけだがな。だが、収穫はあった」

 もたれかかっていた柵から離れ、架純を指さす。

「お前だよ」

 疾風に身体が押される。

「ミストゲイル。お前の在り方が、レシーバーズでありながらレシーバーズと戦う姿が、ライトニングレイの心を変えた。俺に希望をくれた。何より、人々に微かな光を照らしてくれた。自由に吹き抜ける風(おまえ)が、俺達の中の壁を壊してくれたんだ」

 その瞳は揺らぐことなく、架純の心身を捉えていた。遊月は肩を掴み、架純に告げた。

「でもな、責任のねぇ自由は暴力だ。他のレシーバーズと変わらねぇ。沈んじまった太陽を持ち上げる、お前はそんな風(かぜ)になれ。誰よりも高く昇れ。お前にはそれができる。そうする運命を背負った奴なんだ、ミストゲイルは」

 とてつもなく大きな使命。欲しくてもらった力じゃない。守りたくない人まで守れるだけの気概なんて、とてもじゃないけどあるとは言いきれない。それでも、架純を見る遊月の眼差し、悔しさを堪えて頼み込んだ男の期待を裏切れるだけ、架純は非情ではなかった。

 仁なら、ここで断らない。

「私、やるよ」

 髪が前に押し出される。頬にかかった毛をどかし、架純は毅然と言葉を述べた。

「照らすってことの意味は正直、よくわからない。けど、世界に私が必要だっていうのなら、私はやりたい」

 遊月は目を細め、優しく抱擁した。

「ありがとう」

 声は架純を通して、遥か上空の誰かに溶けていくような響き方をした。チャイムが鳴る。学校が終わろうとしていた。


 周囲を気にしつつ、教室に戻る。席を立ち駄弁る者もいれば、黙々と課題の確認をする者。既にホームルームの準備が行われていた。

「架純!」

 仁が呼ぶ。後ろの席に座る架純の顔を、心配そうに覗く。

「やっぱり体調良くないんじゃねぇか。午後全部休むなんて」

 そういえばそういう体(てい)だった。思い出したように架純は頭を抱え、苦笑いを作った。

「いけるかな~とか思ったんだけどね。いやぁ、参った参った」

 すると仁は表情を曇らせ、

「ちゃんと…言えよ?」

 と言った。時計の針の音が消える。架純は呼吸をし、念を押した。仁にも、自分にも。

「大丈夫だよ。…大丈夫だから」

 そう。これから守るのだ。仁を、この世界を。何があっても大丈夫。たとえ、壊れるほど傷ついたって。仁や皆が必要としてくれるから。疾走(はし)れ、疾走れ。太陽を持ち上げるほど昇るために。黄昏を暁へ変えるために。

 青空に飛行機雲がかかる。雲は地に対して水平線を描いていた。

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