第七節 風を手繰る姫

 仁と肩を並べて通学路を歩む道中、架純はずっと鞄の中のスマートフォンに目を向けていた。

 昨晩、遊月から電話を一本入れられたのだ。校内のレシーバーズを探してくれ、と。ライトニングレイ除き一人は目星がついているが、もう一人はわからないらしい。もちろん架純は尋ねた。

「それ、ゆっちゃんがやった方が早くない?『見える』んだし」

 しかし、遊月は疲れた様子で返した。

「ちょっと説得に手間取っていてな。もう一人の捜索まで見てやれねぇんだ」

ヒントぐらいは教えられると、遊月は自分の能力について説明した。遊月が『目視』できる範囲は、遊月を中点に円を描くとして、直径10メートルまで。つまり他の学年に潜んでいるということになる。

 とはいえだ。しらみ潰しにいくにしても、どう判別したものか。遊月のような目は持ち合わせていない。手当たり次第に聞くのは最悪だ。『あなたはレシーバーズですか?』なんて、いくら下から数えた方が早い成績を持つ女でも、絶対やってはいけないことだとわかる。

 仁に相談しようか。けれど、遊月が交渉に手間をかけているように、校内のレシーバーズが必ずしも自分達に好意的である保証はどこにもない。他のレシーバーズのような凶暴で狡猾な性格かもしれない。とすれば、仁を巻き込むのは危険すぎる。ミストゲイルの正体を明かしたのも、いわば事故だ。もう一切、さらけ出すわけにはいかない。

「その、直で保健室行くか?遊月には言っとくから無理すんなよ?」

 仁のフォローに薄く笑って応える。どうやら、体調不良か何かだと勘違いしているらしい。優しさが胸に刺さる。騙しているようで苦しい。それでも明かせない。仁にはもう、溺れてほしくないから。

 教室に入る。昨日、レシーバーズに襲われたとのことで欠席していた零が来ていた。仁が零の席まで駆け寄る。

「もう大丈夫なのか」

「おかげさまでね。いいものも見られたし、役得とさえ思っているよ」

 零は眼鏡を整えつつ、爽やかに返す。

「本当に好きなんだな。ミストゲイルのこと」

 仁の何気ない言葉に零は微笑む。

「大好きさ。なにせ、希望の風だからね」

 仁が誇らしげに架純へ視線を送る。架純は苦笑を浮かべた。素直に喜べない。ライトニングレイの言ったこと、遊月の激昂が胸につかえる。自分は守りたいものしか守っていない。それの何がいけないのかわからない。でも、言われっぱなしは癪に障る。だから遊月に『敢えて』手を貸した。

 そんな反抗心も、一晩経てば沈静化した。朝起きて、架純は考えた。なぜ二人は守りたくないものも守ろうとするのか。持つ者の責任、それが今の自分とどんな違いを生んでいるのか。二人の近くにいれば、答えを見つけられるかもしれない。そう思ったからこそ『希望の風』と呼ばれることに、いささか苦さを味わってしまう。

 授業中、架純はずっと集中できなかった。自分に欠けているものの正体もそうだが、何より校内のレシーバーズの存在が気が気でなかった。他学年のレシーバーズやライトニングレイ以外にも、もう一人レシーバーズがいる。仁とはもう接触したのだろうか。何か危害を加えていないだろうか。どのクラスにいるのか。

 ライトニングレイのことも信用しきれない。あんなことを言っていたが、二年前、奴は確かに仁を殺そうとした。架純にも攻撃を加えた。それが突然レシーバーズを倒すと言われても、すんなり呑み込む方が無理だ。何を考えている?

「架純、おい架純!」

 手の甲で頬を叩かれる。

「もうチャイム鳴ったぞ」

 仁の声、仁の手。我に返った架純は、なるべく自然に取り繕おうと努めた。

「夜更かししちゃったからかなぁ。ゲームも程々にしなきゃね」

 架純は押し入れで埃を被ったゲーム機や、限りなく100に近い容量のスマートフォンを思い、首を回してアピールする。それでも仁は憂慮の眼差しをやめない。だから突き放すような冷たさを孕んでしまった。

「本当に、何もないよ」

 ようやく仁は前を向いた。架純の胸が錐を刺したように痛む。何が悲しくてこんな嘘をつかねばならないのか。でも、つかねばならない嘘だった。守りたくないものも守るというのは、守りたいものを守らないということではないはずだから。

 昼休み、一人で食べたくなって、体育館の前で独りしゃがんだ。コッペパンを頬張る。味はあまり噛みしめなかった。腹以外の色んなものを満たしたくて堪らなかった。日除けの影が顔にかかる。こぼれたコッペパンの欠片を、鳩が啄みに来た。飛びたい。飛べたら、何か変わるかな。

 背後から、笛の音が反響してきた。気になって足を踏み入れる。金属製の扉をおもむろにスライドさせると、和装に身を包んだ麗かな女性が横笛を奏でていた。

 女性は架純に気づいたのか、演奏を止めて声をかけた。

「どなたでしょうか」

 体育館に染み渡る艶やかな音色。同じ女性なのかと疑ってしまうほどの、和服を着た天使がそこには立っていた。

「あの…」

 戸惑う女性に対し、架純は取り乱して応えた。

「は、颯架純です。あなたは?」

 それを聞いて女性は申し訳なさそうに、

「私から名乗るべきでした。御無礼をお許しくださいませ、架純様」

「いや、そんな…」

 沈黙。言葉を出しづらい。それを汲んでか、女性はより物腰柔らかに声を紡いだ。

「私(わたくし)、糸ヶ谷皐姫(いとがやさつき)と申します。これも運命の手繰り、仲良くいたしましょう」

 皐姫はコートに正座し、架純に座るよう手招きで催促した。所作の一つ一つが繊細で、まるで万物に溶け込むかのようだった。つい見とれてしまった架純も、咄嗟に音を立てつつ正座する。

「で、これから何をなさるので?」

 架純が尋ねると、

「お話です。御友人となる方の事は多少なりとも知りたいと思う性でございます故」

 そうしていざ話してみると、皐姫は実に心地の良い人物だった。話すことでいっぱいいっぱいの架純の話題を真摯に受け止め、巧みに切り返す。話し上手は聞き上手と言うが、まさにその言葉を体現したかのような人物だった。老舗の呉服屋の生娘だからなのだろうか。

 女子の話は時間を吹き飛ばすもので、あっという間に予鈴が鳴る。

「今日は楽しかったです。ありがとうございました」

 痺れる脚で立ち上がる。

「敬語で仰らなくても結構なのですよ?」

 余裕綽々。さすがに正座し慣れている。

「でも一つ上の先輩にタメ口っていうのは気が退けますし、皐姫先輩も敬語だし…」

「私のは染み着いたものですから。御友人には気を安くしていただきたいのです」

 微笑。同じ人間なのか?架純は皐姫の雅な有り様にすっかり感嘆した。

「じゃあ…また明日、皐姫先輩!」

 架純が踵を返した直後、思い出したように皐姫は言った。

「そうそう。架純さん、一つお尋ねしたいのですが」

 声の方向に振り向く。皐姫の手の平から、何本もの糸が伸びていた。

「貴女、同類(レシーバーズ)ですね?」

 腕に違和感を覚え、視線を落とす。糸が腕の皮を剥がし、黒く硬い肌を露にしていた。架純は目を見開く。

「まさか、校内のレシーバーズって…」

 心底驚愕する架純を見て皐姫は嬉しそうに、

「私を捜すおつもりだったのですか?やはり、運命の手繰りと呼ばざるを得ませんね」

 と声を弾ませ、繊維で出来た花の精に変貌した。桃色の肉体から細い糸が身をくねらせて顔を出す。架純もミストゲイルに変貌し、風を四肢に纏わせ身構える。

「何が狙いなの…?」

 ミストゲイルの問いに皐姫は一笑した。

「それはこちらの台詞ではありませんか?なぜ私をお捜しになったのです?」

 言うべきか否か。この場合、言ったところで標的になるのは遊月とライトニングレイだけ。よし、言おう。

「校内にいるレシーバーズを集めようとしている人がいて、私はその人に頼まれた。先輩に会ったのは本当に偶然」

 皐姫は唇に指を触れ、しばしの思考の後、

「御安心ください。元より、戦闘の意志はございません」

 吹き荒れる風が止む。皐姫はコートの下に糸を潜らせて続けた。

「『私には』ですけれど」

 コートの下から引き上げられたのは、一体のレシーバーズ。二足歩行の銀狼がミストゲイルに歩み寄る。咆哮。ミストゲイルのマフラーが靡く。

「糸姫饗宴花─ヤマトタグルノミコ─を連れる所存ならば、この子(しれん)を乗り越えてくださいまし。御友人の頼み事とはいえ、弱い者に手を貸すほど愚かではございませんので」

 銀狼は爪を重ね合わせ、研磨する。

「やってしまって構わんか?皐姫」

「死なぬ程度でお願い致します」

 ヤマトタグルノミコの声に従い、銀狼は身体を震わせる。刹那、ミストゲイルの懐に爪が立てられた。

「可愛がってやろう、死なない程度に」

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