第六節 誰がために風は吹く

 職員室、遊月の机の前で架純は立たされていた。椅子に腰かけた遊月が架純に問いかける。

「颯、どうして自分が職員室に連れて来られたか、わかるよな?」

 力なく頷く。昼休み、購買のパンを一番乗りで買いたいがために廊下を走ったからだ。

「つっても、廊下を走る云々程度で呼び出しは普通あり得ない話だ。さて、ここからが本題」

 遊月の顔つきがいつになく真剣になる。

「普段は心優しい俺がどうしてそんな些事でお前を捕まえたかだ」

 いつも叱ってくるくせに心優しいって?架純の心を見透かしたかのように、遊月が釘を刺す。

「なに怪訝な顔してんだ。お前がしっかりしてりゃあいい話だろうが」

「それも、そう、かも」

「かもじゃなくて確定だよ。ったく」

 調子を崩された遊月は気を取り直し、架純に耳を貸すよう催促してきた。他の教師たちの咀嚼音や作業の音が聞こえる。遊月は耳元で囁いた。

「颯、ミストゲイルなんだろ?」

 架純は心臓が止まりそうになった。突拍子も無くかけられたその言葉は妙な説得力を持っていた。なぜ知っているのか、どうやって知ったのか、色々な思考が脳内を巡る。ともかく、ここは誤魔化さねば。何故か正体を知る者、油断はできない。

「何言ってんですか先生。そんなわけないでしょ?私がミストゲイルに見えます?」

 遊月は三本の指を立て、得体の知れない笑みをこぼした。架純の肌がざわつく。

「一つ、G・Aの映像を見せた時、お前だけが寝ていた。あの後苦情が入ったんだぜ?当然だ、忌まわしい話だものな。寝られるような話題じゃない」

 指が一つ折り畳まれる。架純の額に冷や汗が溜まる。

「二つ、お前は嘘をつくのが下手すぎる。今だって口調がおかしい。言ってみろよ、『ゆっちゃん』ってさ」

 ゆ、から先が出てこない。ここで言えなければ自白も同然だというのに。喉の筋肉が強張って、思うように声を出せない。

 そして一本余った指をスローモーションで折り曲げ、遊月は確かに言った。

「三つ、俺はよく見えるんだ。特に、レシーバーズのことはな」

 遊月の左眼が紫に染まった。瞳の奥に映るのは、ミストゲイル。言い逃れなど、初めから意味を成さなかったのだ。

 架純は固唾を呑み、周囲を確認してから慎重に言葉を引き出した。

「どうするつもりなの」

 瞳の色を変えぬまま、遊月は架純に問いかけた。

「もしこの学校に、俺達以外のレシーバーズがいると言ったら?」

 戦慄を覚えた。人に化けて潜伏するレシーバーズ。仁が危ない。

「俺はそいつらを探すためにこの学校へ来た。お前を入れて四人、いや三人のクラス1レシーバーズを集めるために」

 遊月の言葉に眉を潜める。サイレントボーダーが頭をよぎる。まさかサイレントボーダー本人ではなかろうか。しかし、二年前のサイレントボーダーの口振りからして、わざわざ潜伏するなんて回りくどいことをやりたがる奴とは思えない。とはいえ、この勧誘に懐疑的なことには変わりない。いくらなんでも怪しすぎる。集めてどうしようと言うのか。

 それに、エイトと名乗るレシーバーズが語っていたクラスという単語を知っている。オーダーとかいう奴の仲間なのだろうか。なら、集めるとはそういう意味を含んでいるのか?つまり、オーダーと一緒に人間を殺そうと。

 架純は遊月に尋ねた。

「一つ確認したいことがある。オーダーって知ってる?」

 オーダー。その言葉に反応し、遊月は目を伏せた。古い蛍光灯が点滅する。

「今は…敵、かな」

 突如、職員室全体からアラートが鳴り響いた。生徒達の喧騒が混ざる。ミストゲイルが何とかしてくれると口では言っても、いざ近隣にレシーバーズが出没したとなればこんなものである。恐怖が消えたわけではないのだ。

 架純がアラートの示す先へ向かおうとすると、遊月が架純の手を掴んだ。

「まだ聞いてなかったな。で、結局どうする。俺に協力してくれるか?」

 言ってる場合じゃないだろう。架純は思ったが、そう言って素直に手を離してくれるとも思えない。この握力はそういう意味だ。ならばと架純は、

「私は大切な人を守りたいだけ。それ以上のことはやるつもり無いよ」

 と、手を振りほどいて職員室を出た。廊下はパニックを起こした生徒達で溢れ返っている。架純は軽やかに人混みの間をすり抜け、ロッカーへ飛び出した。誰もいないことを確認し、全身に風を纏う。架純はたちまちミストゲイルへと変貌した。

 風の声を辿り、公園のある方向へと走る。血に染まった遊具、抉れた地面、倒木と死体、そして二体のレシーバーズが見えた。巨大なレシーバーズは死んでいる。もう片方は人型のレシーバーズ。透き通る身体に電気を内包している。G・Aで出会った光を操るレシーバーズ、ライトニングレイの姿が重なった。背丈もほとんど同じ。

 反射的に、攻撃へ転じていた。自身を疾風の弾丸に見立て、ライトニングレイに突進を仕掛けた。突進はかわされ、ライトニングレイに向き合う形で着地する。二年ぶりに会う異形。ミストゲイルは怒りを露にした。

「久しぶりだな、化け物」

 反応せず。二人の間に竜巻が吹き荒れる。

「人だけじゃ飽き足りないか」

 竜巻はライトニングレイを縛り上げる。尚も反応は無い。

「何とか言ったらどうなんだよ!」

 ミストゲイルは空気に、竜巻に溶け込み、中にいるライトニングレイへ攻撃した。全方位からの猛襲。それでもライトニングレイは静閑と呟く。

「届いただろ、それだけ速いならさ」

 雷光閃き、風の層に穴を空けた。ミストゲイルは分子の電荷単位で傷つけられ、満足に身動きを取れない。電荷が正常に戻るまで、疾風は地に伏せるしかなかった。

 しかしミストゲイルは青い瞳でライトニングレイを睨み続ける。殺気と執念、それがかろうじてミストゲイルの目を動かした。

 だが、腹の底から沸き起こる激情空しく、ライトニングレイの手の平がミストゲイルの顔に突きつけられる。

「終わりだね、化け物」

 ライトニングレイの言葉に、動かぬ口を無理矢理に動かして反論する。

「私は…違う…!」

「342件」

 唐突に口走ったその数字の意味を処理するには、脳の機能が低下しすぎていた。それを察してか、ライトニングレイは説明を始めた。何かに怒るようにして。

「ここ二年の、レシーバーズによる未解決殺人事件の件数だ。これだけの命、いや、この何倍もの命が消えたんだ」

 手の平に電気が集約する。周辺の電荷を少しずつ、影響の出ない程度で集めているのだ。ミストゲイルにはわからないことであったが。

「掲示板で持ち上げられていい気分だったか?でも、お前が倒したレシーバーズなんてほんのわずかしかいない。結局、守りたいものしか守っちゃいないんだ、お前は」

 物憂げに語るライトニングレイを見上げ、ミストゲイルは唸った。

「何が…言いたい…!」

「同じだよ。お前も、私も。化け物なんだよ。もらったモノで暴れ散らすしか能が無いのさ」

 雷の玉が照射する寸前、

「そこまで!」

 と、声が轟いた。電荷が正常になり始め、ミストゲイルはライトニングレイの足を払って身体を起こした。声の主は、鎖に巻かれた橙のレシーバーズであった。紫の瞳を光らせ、雷の玉を消失させる。ライトニングレイは振り向き、橙のレシーバーズに言った。

「やっと来たね、黄昏を視る者─フェイトスコープ─」

 フェイトスコープと呼ばれたそのレシーバーズはライトニングレイに近寄り、いつの間にか出来た上腕のヒビをなぞった。

「そろそろタイムリミットみたいだが、大丈夫か?」

「お暇するよ、大丈夫じゃないからね」

 そう言ってライトニングレイは閃光と共に姿を消した。二人のやり取りを見ていたミストゲイルは身構える。春の昼間に似つかわぬ突風がフェイトスコープに吹きつけられる。

「やっぱりグルか」

 しかし、風は呆気なく止んだ。不思議に思うミストゲイルに対し、フェイトスコープは自分の目を指さしながら語った。

「グルと言えばグルだな、反オーダーの」

 頭が混乱してきた。ライトニングレイは二年前、サイレントボーダーと一緒に仁を殺そうとした。それが何故か反ボーダーを掲げる目の前のレシーバーズと手を組んでいる。嘘と考えるのが自然だ。しかし、もし嘘だとして、相手に素性を割るメリットがまるで無い。とすれば本当なのだろう。何故?

「話が長くなるし、あいつのプライバシーに関わるから端的に言うぞ、颯。要は俺達、オーダーの裏切り者なんだよ」

 元の姿に戻りつつ、遊月はミストゲイルに説明した。尚も架純の脳内は混沌としていた。許せない相手に会って、そいつが自分と同じことをしている。意味がわからない。

「そういうわけで同好の士を集めているってわけだな。どうだ、仲間になってくれるか?」

──同じだよ。お前も、私も。

 同じ?仁を殺そうとした奴と、同じ?

「…言ったはずだよ。私は大切な人以外、守る気はない」

 すると遊月は架純の両肩を掴み、激昂した。

「聞いたよな?342件、お前が無視してきた数だ!それを誰が尻拭いしたと思っている?あいつだ!お前は何だ?あいつの手柄全部横取りしといて、守りたいもの以外守りたくないなんてワガママ言って!ふざけるのも大概にしろ、飽和社会の象徴!」

 荒い呼吸。拳が振り上げられる。しかし、宙で震えた後、拳は納められた。肩を離し、遊月は踵を返した。

「守りたくないものも守れ。それが、持つ者の運命(さだめ)だ」

 架純は膝から崩れ落ちた。仁を守りたくて、二年間戦ってきた。守りたいものなんて、仁ぐらいしかいなかった。その在り方を否定された。また、否定された。もう嫌だ。持っているだけで否定される。どうして?何がいけない?

──俺は架純が諦める方が悔しいし、怖いんだよ。

 仁の言葉。あの時の顔は忘れられない。悔恨に満ちた表情。架純の中で、小さな風が巻き上がった。言われっぱなしで終われるか。

 架純は走り、遊月の肩を引っ張って振り向かせた。そして、顔面を一発殴った。

「いいよ、やるよ。私が一番だってとこ、見せてあげるから!」

 殴られた頬をさすり、遊月はニヤつく。

「おう、見せてみろ。誰よりも速く疾走(はし)ってみせろ、ミストゲイル!」

 五時限目の終了を知らせるチャイムが聞こえた。

「あっ、現国サボっちゃった!中間自信無いのに!」

 架純は慌てて走り出した。遊月はその背中を見て微笑み、呟いた。

「始まったぞ、日向。お前を止めてやる」


「始まったよ、フェイトスコープ」

 オーダーは暗がりの中、玉座に腰掛ける。その瞳の向こうに立つサイレントボーダーは、どこかの宗教の聖書をめくり薄く笑った。

「順風満帆、といったところかな」

 愉悦に浸るサイレントボーダーを見て、オーダーも笑みを浮かべた。

「僕は進む。全ては我等が家族のために」

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