第四節 礼閃零という男

 電子黒板にG・A (ギフテッド・エイプリルフール)の映像が流れる。突如、青空が黄金の渦に包まれ、渦から光が何本も射す。架純は机に突っ伏しながら、ミストゲイルになった日のことを思い出していた。

 レシーバーズ。あの激痛を味わい、超常的な力に目覚め、徒党を組むようになった種族。奴等は自分達が世界の頂点に君臨するために持たざる者、つまり仁のようなレシーバーズに目覚めなかった人間を根絶やしにしようと考えている。しかし何故人間ばかりを狙うのか。持たざる者を絶やしたいのなら、人間以外を襲ってもおかしくないはず。なのにこの二年間、襲撃の報告があったのは人間のものばかり。何か目的でもあるのだろうか?そもそもレシーバーズが出現した原因は?あの黄金の渦と、サイレントボーダーが『オーダー』と呼んだ存在と何か関係があるのだろうか?

「おい颯!」

 架純が思案していると、耳から爆音が飛び込んできた。身体を起こす。教壇の上で、先生がこめかみに力を入れていた。

「俺の授業で寝るとはいい度胸だな、ん?」

 歴史の授業を担当するのは、架純のクラスを担任する山路遊月(やまじゆづき)という男である。

 架純は額を赤くしたまま、首を振って必死に弁明した。

「寝てない寝てない!G・Aヤバかったなぁって考えてただけだよ!信じてよゆっちゃん!」

 遊月は30手前と教師にしては若いだけあって、先生というよりは生徒のような感覚で接する者が校内には大勢いる。特に架純のような人間からすれば格好の弄り相手となるわけだ。

「額の痣やらはさておき、まず『ゆっちゃん』って呼び方やめようか」

 慣れた態度で架純をいなす。架純は口を尖らせ、

「ホントなのに」

 と拗ねた。ぶつくさと架純が文句を垂れていると、口を挟んだ。

「いいじゃないですか先生。少しくらい抜けている方が、可愛げがあるというものですよ」

 爽やかな口調、珍しく尊敬してくれる生徒の発言とあって遊月は絆されたのか、

「礼閃(あやさき)がそう言うなら、そうなのかもしれんな…」

 と言って納得しかけた。が、架純が便乗して零の言葉に続くと、

「そうだよゆっちゃん!厳しすぎるとモテないんだよ、知ってた?」

「お前はもう少し厳しくなれ自分に…!」

 許す方向に傾きかけていたであろう遊月の心境は完全に変わってしまった。架純の後ろの席で一連の光景を見ていた仁は、架純を指で突っつき小声で咎めた。

「諦めろ。今回お前に勝ち目は無い」

 架純は背を向け、仁に不満をぶちまけ始めた。

「ジュンちゃんまで私の敵するんだ!鬼、悪魔、ガーゴイル!」

「ガーゴイルも悪魔だよ、善い方の」(余談だが、ガーゴイルは雨どいの彫刻を指す言葉で、決して悪魔の種類などではない)

 架純はむくれ、

「屁理屈ばっか言ってると女の子に嫌われるよ!」

 と言い返した。仁もこれには少したじろぐ。すると突然、遠くの席の零が仁の方を向いて言った。

「その通りだよ、志藤君。寛容に扱わないと彼女が可哀想じゃないか」

 頷く架純の頭を押さえ、仁は反論する。

「甘やかしすぎだろ。こんくらいでちょうどいいんだよこいつは」

 零は涼しげな顔で首を横に振り、席についた。仁は眉間に皺を寄せて零の席を横目で睨む。そのプレッシャーは架純の席にも伝わるほどであった。

「怖いよジュンちゃん」

 仁に囁いて訴えかけるも、仁は警戒心を込めた口調で返した。

「変な虫が寄りついたら困るだろ」

「お父さんみたい」

 不意な言葉に吹き出した架純の背後、教壇から物凄い圧が押し寄せてきた。座り直すと、目の前で遊月が仁王立ちで構えていた。遊月は架純を見下ろし、宣告した。

「颯、お前補習な」


 放課後、仁は架純に、

「先、デパート行ってるから。遊月の機嫌、ちゃんと取れよ?」

 一言伝えてから席を立った。扉の境を越える寸前、背後から零に呼び止められる。

「志藤君。今日、一緒に帰ってもいいかな?」

「構わねぇけど…家、こっち方面だったか?」

 戸惑う仁に対し、零は眼鏡を整え微笑んだ。

「たまには寄り道も悪くないかなってね」

 仁はその微笑みがどうにも胡散臭く感じられた。先刻の一悶着もある。そう単純に仲良くしましょうとなるのはおかしい。何かある、仁は思った。

 しかし思考は、向こうで零を睨む奏雨の視線に遮られた。約束でもあったのだろうか。それをほっぽり出して大丈夫なのか?そんなことが気になり始めていた。

「さ、行こう」

 零は圧力の凄まじい視線に反応すらせず、仁に笑みを送った。こういう男の方が女子には嫌われるのではないか?仁は教室を出ながら、机で気だるそうにしている架純へ目配せした。

 校門を抜け、唐突に零は仁に問いかけた。

「君はレシーバーズのこと、どう思っている?」

「そりゃあ、迷惑だなぁと…」

 仁は言い淀んだ。幼馴染がそのレシーバーズです、なんて言えるわけもない。かといって、レシーバーズにも善良な個体がいます、なんて言えばカルト教団の信者か何かと思われそうで嫌だ。なので仁はそよ風のような、当たり障りの無い反応をする他なかった。

 そんな仁を見て、零はため息をついた。

「やはり、浅薄」

「どうも」

 仁は眉を潜め、声を荒げた。

「で?いきなり何だよ。喧嘩売りに寄り道したってのか?」

 零は笑い、違うとばかりに手を振った。キザな振る舞いは仁の機嫌を更に損ねる。直後、零の表情は険しくなり、仁に詰め寄った。

「君は颯さんの隣に相応しくない。そう言いに来た」

 声は小さかったが、その語気には相手の背筋を凍らせる程の迫力があった。だが、仁は物怖じず、皮肉混じりに対抗した。

「優等生ってのは随分暇なんだな。ネットって知ってるか?」

 零は眼鏡を外し、首筋を浮き上がらせかけたが、深呼吸して眼鏡をかけ直した。

「僕は、ミストゲイルが好きだ」

 いきなり話の方向が転換して困惑する仁をよそに、零は冷静に続けた。

「G・Aは確かに日本をレシーバーズの巣窟にした忌まわしい事件だ。けれど、ミストゲイルのような光も生み出した。人類の守護神ミストゲイル。僕は同じ光を颯さんに感じたんだ。G・Aのような話題でさえ、人を明るくする力に変えてしまうような彼女に、ミストゲイルと同じものを感じたんだ」

 脳内で突っ込みたいことはあった。架純は多分そんなこと意図していないだろうし、ミストゲイルは神なんかじゃない。他人の血を見て怖がれる程度には人間なんだ、と。しかしそれ以上に、零の真摯な態度は仁の心を引き込んだ。

 仁は思った。きっと、真剣なだけだったのだ。零にしてみれば、架純はG・Aに対して敢えておどけた。しかしそれを仁が咎めた。神とさえ表現するミストゲイルと架純を重ねているのなら、仁の行動に少なからず不満を抱いても仕方ないのかもしれない。

「その、ごめんな。俺、知らなかったとはいえ、お前の気持ちを踏みにじったんだよな。G・Aは全員にとってつらい出来事ってわけじゃない。それくらい、考えればわかることなのに」

 仁が頭を下げると、零は慌てて返した。

「君が謝ることなんて無いよ。僕も、熱くなりすぎた。すまない」

 頭を上げ、仁は頬を緩めた。その時、何かが空を切る音が聞こえた。

「何だ、あれは!?」

 零が見上げた先には、大翼を羽ばたかせる雀の化け物がいた。

「レシーバーズ…!」

 仁がスマートフォンを取り出し、アラートを鳴らそうとするも、直前で雀の化け物が降り立ち、翼の繰り出す風圧でスマートフォンを吹き飛ばした。

「アラアラ、矮小な力だこと。このメイファンを満足させてくださいな、坊や」

 雀の化け物は妖しく笑い、突進の構えを取った。仁は固唾を呑み、防御の姿勢を取った。

 零は仁のスマートフォンを拾い上げ、か細い声で呟いた。

「ヒーローには来てもらわないと」


 掃除の終わった教室で遊月と二人きり、架純は補習を受けていた。頬杖をついて遊月を見る。

「補習って何すんの?早くしてよね」

「何でそんな偉そうなんだよ…」

 遊月は呆れ顔を浮かべる。それから周囲をつぶさに確認し、架純に面と向かってしゃがんだ。

「どったのゆっちゃん?おしっこ?」

「んなわけあるかい!」

 咳払いをし、遊月は神妙な語り口で言葉を紡ぎ始めた。

「補習は方便。実はな、先生はお前に頼みたいことがあって──」

 アラートが割り込む。近辺にレシーバーズ。仁。架純は目の色を変え、席を立った。

「ごめんゆっちゃん、また今度!」

 架純は扉を勢いよく閉め、廊下を全速力で走った。ロッカーには目もくれず、校門を出て、人目のつかない路地裏に隠れてミストゲイルに変貌した。

 疾風はアラートの示す先へ駆けつけた。そこには2mはする巨大な雀の化け物と、仁と零がいた。雀の化け物、メイファンは今にも仁に衝突しようとしていた。ミストゲイルはその間に割って入り、メイファンの嘴を握りしめた。

 嘴を蹴り上げ、追撃に移る。しかし、メイファンは羽ばたき、空へ回避した。家々のガラスが砕ける。

「ここはアナタのフィールドじゃない、ワタクシの独壇場よ!」

 立地を駆使し、縦横無尽に飛び交うメイファンを捉えきれない。立ち往生するミストゲイルに、仁が呼びかけた。

「ミストゲイル、光を使え!」

 目に夕陽が射し込み、眩む。これだ。ミストゲイルは仁に頷き、跳ねた。

「アラアラ、わざわざ餌になってくれたの?ご苦労様!」

 メイファンが激突する寸前、ミストゲイルは身を翻した。メイファンの瞳を夕陽が照らす。目が眩み、メイファンは羽の動きを止めた。墜落するメイファンの真下に入り、ミストゲイルは腹を蹴り上げた。血飛沫が舞う。

 死体を下ろしたミストゲイルの瞳に、親指を立てる仁の姿が映った。ミストゲイルは血を払い、その場を去った。数秒後、ミストゲイルの立っていた所から仁に、架純の声が届いた。

「デパートは明日にしよう」

 仁は吹き出し、落ちたスマートフォンを拾い上げて帰路へついた。風が仁の首筋をくすぐった。


 星が見え始めた頃、零はメイファンの死体に近づいて微笑んだ。

「遊戯は順調かな?」

 零の背後からオーダーが現れる。オーダーに一礼をする。

「もちろんですとも。ランク3を狩るまでに至り、我ながら教育に向いているものだと悦に入っております」

 すると、オーダーは笑い始めた。

「いや、すまない。君が冗談を言うとは思わなくて。改めて、君の周到さには感服するばかりだよ、境界に咲く暗夜─サイレントボーダー─」

 オーダーの言葉に零は頬を緩ませ、眼鏡を外して首筋に力を入れ、姿を変貌させた。白金の高貴な賢者、それが礼閃零の、否、サイレントボーダーの本来の形。星よりも眩い光を纏い、サイレントボーダーはオーダーに言った。

「全ては我等が家族のために」

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