【三月二十七日 2330】
部屋の中で背を丸め兄弟とダラダラと過ごす。最後の晩餐も豪華で言うことなしであったし、あとはこのダラダラとした時間を堪能しつくすばかりだ。
「さむう……」
「……」
「前ちゃん、暖房上げる?」
寒い寒いと愚痴を言えば、長哉は無言で俺の背にひっつき弓哉は暖房の温度を上げてくれる。自分たちはもう暑いくらいだろうに、余命三十分足らずの兄に気を使ってくれる。
「久ちゃんも引っ付けばいいのに」
弓哉がそう言いながら俺の横を陣取る。
「おっさんが三人引っ付いてるだけで、俺はもうお腹いっぱい。ああ、むさい」
久哉は茶化しはするものの側にはやってこなかった。昼間もなんやかんやで距離を取られていたので、少し寂しい。どうしたものかと、思っていると部屋の襖が音もなく開くと、【げんかい】が顔を出した。
「前哉、ニシノが呼んでる。そろそろだって」
「分かった」
俺の返事を聞くと【げんかい】はスッとひっこみ、弓哉と長哉はしぶしぶといった体で離れた。二人の熱がなくなり、急に体が冷える。もったいないが仕方がない。最後に部屋を振り返ると、久哉が泣いてしまいそうな顔をしていた。ふいに三か月前の言葉が頭をよぎった。久哉は泣かないのだ、絶対に。
「久、また来年な」
「おう、またな」
お互いに示し合わせたように口角をあげ笑えば、弓哉も長哉もニヤリと笑う。こういう顔は皆、長兄和哉にそっくりだ。その顔のまま襖を閉め、廊下に向き直る。電灯はついているが廊下は薄暗い。どんな景色も、今これ限りだと思うとなんだか切ないような気がする。広い玄関までくれば、黒い人影……【げんかい】が待っていた。
「わざわざ降りてこなくても、上で待ってたらよかったのに」
「桜が咲いてたからな。ちょっと気になってたんだ」
それだけだと、【げんかい】は樹を見上げる。咲いたばかりの花は散る気配など見せずに、凛とした表情で夜空に佇んでいる。花に別れを告げ、夜の【道】を【げんかい】と連れ立って歩く。
「どこまで行くんだ?」
「もうすぐだ」
通常ならば室内で行う魂抜きだが、今回は【ニシノ】の気まぐれで野外でするのだという。どこでするのだろうと不思議に思っていると、げんかいが立ち止まった。まっすぐ前を見ると得意顔の【ニシノ】が居た。【ニシノ】は俺を見るなりため息をつき、げんかいに目配せをする。そうして口を開いた。
「……前哉、靴下とジャージは脱ぎなさい」
「えーー」
【ニシノ】に言われてしまえば脱がざるを得ない。素直に脱げば脚が冷風に晒されてスースーする。ちょっと泣きたかったがグッと堪えて、脱ぎたての靴下とジャージを【げんかい】に渡す。明らかに笑いを堪えているが今日だけは許してやろう。
「久哉にやってくれ。来年いると思うから」
「……分かった」
「じゃあ、はじめるか」
一部始終を見守っていた【ニシノ】の一声でその場の空気がピンと張り詰める。【ニシノ】の前に俺が座ればいよいよ魂抜きが始まる。座ろうと膝を曲げた時だった、目の前に舞い落ちる一枚の薄紅の花弁。見上げるとそこには見事な満開の桜。
「こいつだけな、気が早かったみたいでな……」
誰も気づいてなかっただろ? と【ニシノ】は笑った。
「二三五八(フタサンゴオハチ)」
【げんかい】が時刻を伝える。俺の命もあと六十秒だ。【ニシノ】の前に改めて座りそのときを待つ。【げんかい】の時刻を読み上げる声だけがやたら大きく聞こえた。
「……五、四、三」
その時、一陣の風が戦ぐ。薄紅の花弁が前哉の周りに渦巻いて、視界を白く染める。風が収まるとそこには白い単だけが残されていた。
二十三年九ヵ月。地球十一周分の先へ。
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