催花 雨の中で

加茂

【二十八年十二月】雨は降らない

蒼い海に青い空。それらは何も現世の者たちだけの物ではない。現世に限りなく近い所に現世ではない場所……【道】と呼ばれるその場所に、人に望まれ人に想われて生じた【艦霊ふなだま】と呼ばれる神々。彼らは人と共に海に生き空に焦がれ暮らしている。そして、その歴史は古く今世まで途切れることなく続き、いつの世も出会いと別れがある。




 数ヶ月前、雨の中でとある練習艦が退役した。練習艦の名がペンキで塗りつぶされていく時、地に落ちる雨の中には彼の艦を愛した人の涙が混ざっていた。

「なあ、俺の名前が消えるときにお前は泣いてくれるか?」

 前哉せんやがボソリと呟くと、豊和ゆたかは目を丸め、その隣で紫煙を燻らせていた久哉ひさとしが代わりに怪訝そうな顔をしながら答えた。

「泣かないな、絶対。せんちゃんが退役したら次の年に俺も退役だしな」

 だから泣かなくてもいいんだと、久哉は不機嫌そうにタバコを灰皿に押し付けた。

「久哉……」

 豊和が何か言いかけていたが、久哉はそのままヒラヒラと手を振りながらどこかへいってしまった。

「豊和は泣いてくれるのか?」

 その様子を黙って見ていた前哉は愉快そうに豊和に問いかける。豊和は眉間に皺を寄せ少し考えてから小さな声で答える。

「わからない……」

「そうかまあ、そうだろうな」

 前哉は面白いものを見たと嬉しそうに笑った。豊和は前哉を奇妙なモノを見る目でじっと見つめている。

「竜宮には、和哉かずや兄さんたちもいるし、久もああ言ってるし退役自体は怖くないんだぜ。ただ……」

 竜宮……死後の世界についてあっけらかんと話す前哉の目に迷いは一切見受けられない。豊和は身じろぎ一つせずに、前哉の言葉を待つ。

「寂しくはあるな」


 風凍みる十二月。一隻のふねが死へと一歩踏み出した。

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