第10話 永劫の影は死
参加国総数は前回2016年に開催されたリオデジャネイロ大会の207ヵ国から大幅に減じ、67の国と地域に限定された小規模な大会となってしまった。
参考までに2018年に開催された冬季オリンピックである平昌大会の参加国総数が、92ヵ国であった事実から勘案するに……非常に寂しくも盛り上がりに欠ける状況であった。
参加選手数にしても上記リオデジャネイロ大会では約11,200名であったものが、2021東京大会の参加選手数も半数以下の4,500名足らずとなってしまったのだ。
これは1952年ヘルシンキ大会を下回る規模のオリンピックであり、世界的な
ただ単に参加国および地域、それに参加選手数のみが少なかったと云うだけの大会であれば……過去を振り返ることで『あの時はCOVID-19の影響で大変であったことよなぁ』などと思い出話に花を咲かせる程度のことで済んだのであろうが、2020東京大会については
通常であれば日程的な都合で、
当初の日程で組まれた大会の予定であったが、上記の如くあらゆる競技において参加国の減少に伴う日程の短縮を余儀なくされた。
大人の事情と国威発揚の狭間に翻弄された形の、非アスリートファーストを地で行く……恐るべき大会の端緒は開会式の情景からも見て取れた。
そう各国のプラカードと国旗を掲げて、参加した国と地域の選手たちが希望とこれから始まる大会への期待に満ちた表情で行進する筈であった入場行進も……無観客と全選手が着用を義務付けられたマスクによって、咳き一つない静寂と鬱屈した風情を漂わせる葬送の行進が如き物へと変異してしまったのだ。
そして大会は競技を開始した訳だが、こちらについても想定外の事態が引き起こされた。
大会運営の安全性を担保するためにIOCが用意した、安価で大量に確保できた某国製の抗ウィルスワクチンが更なる想定外の非常事態を巻き起こしてしまった。
全参加選手および関係者が接種した不活性化されたワクチンであったが、そのワクチンが様々な副反応を発生させてしまったのだ。
接種当初よりワクチンによる副反応として倦怠感や軽い発熱、更には種々の体調不良は見受けられたのだが……競技の開始とともに恐ろしい光景が競技会場のあちこちで散見された。
そもそも見切り発車的に各国のアスリート達を受け入れた事により、あらゆる国家地域で蔓延している風土病的な
世界規模のスポーツの祭典は、そのまま世界規模の
競技中に副反応と同時に、ワクチン効果外となる変異株ウィルスの病態を発症させたアスリート達が、顔色を白い紙のように変転させ……のたうちまわりながらその場に倒れ伏し痙攣と共に絶命して行く。
全世界に衛生中継される日本が誇る8Kの高解像度画像には、鍛え抜かれた肉体を誇る各種目のアスリート達が血反吐を撒き散らし、糞便を垂れ流しながら……その生命を喪って行く様が、臨場感たっぷりと美麗な画像で事細かにライブ放送されて行った。
流石に国際中継へと駆り出された撮影クルー達とても、一部の衝撃的な映像をカメラワークで乗り切ろうと会場内の別箇所へ被写体を切り替えるものの……そのカメラが映し出す会場内の別場面でも同様の惨状が繰り広げられる始末。
その決死のカメラワークを駆使する熟練のカメラマン達であったが、彼らすらも抗ウィルスワクチンの副反応と
競技者も関係者も、審判団も撮影クルーも報道関係者すらも……全ての生命体を短時間で根こそぎ殲滅した劇症変異型
競技会場から各国言語の特設スタジオへと中継画像は強制的に切り替えられたのだが、そのスタジオ内においても競技会場と同様の衝撃的な映像が記録されていた。
各国の花形とも云うべきアナウンサーや、解説者として招聘された各競技の過去大会におけるメダリスト達、そしてスタジオ内で祖国への中継を担っていたテレビマン達……その全ての人々が血みどろで汚物に塗れた姿となって、バタバタと絶命して行ったのだ。
中継映像を打ち切るスイッチャーすらも喪われた中継画像は、スタジオ内の生者なき静止画……死の静寂に包まれた静物画を永劫に映し続けるのみであった。
そしてその同時多発
その様は真冬の乾燥した枯れ野原に襲い掛かる、制御されずに放たれた野火の如くであった。
瞬く間に関係者を殺戮した劇症変異型
結果的に日本では死者数が5千万人を計上され、世界においても総死者数は12億人を超えた。
そして全世界の国交および人々の往来は完全に断絶され、2021年における人類最大の危機
結果的に世界を平和に導くスポーツの祭典であったオリンピックは、2020東京大会を最後にして、2031年7月現在において再開される兆しを未だ見出せずにいるのだ。
【Last Olympic:完】
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『タイトルの設定について(解説)』
オリンピックのネタとして、外せなかったこのタイトル……字面はどう見ても陰々鬱々とした様相を呈しているのだが、実は別の意図を含ませていることを記しておきたい。
2004年8月16日……日本時間で午前5時39分。
アテネオリンピック体操男子団体総合決勝において、日本が28年ぶりの金メダルを決めた瞬間の事だ。
日本のスポーツアナウンス史上に刻まれるであろうその名実況は、NHKの刈谷富士雄アナウンサーにより発せられた。
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」
それは鉄棒の最終競技者であった冨田洋之選手の肉体が、文字通り伸身の新月面宙返りで着地に向かうまでの時間…… 刈谷富士雄アナウンサーの興奮を抑え込んだ老練かつ精緻なな実況に後押しされるように、冨田選手もまた精密機械のように完璧な着地を決めて金メダルを獲得した。
そう……NHKのアテネオリンピックにおけるテーマソング『栄光の架橋』になぞらえ、前もって用意されていた台詞なのか……それとも完全なるアドリブで発せられたか未だに不明ではあるが……素晴らしい名実況である。
その『えいこうのかけはし』を濁らせた言葉である『えいごうのかげはし』と云うタイトル、ここに含まれる意図は『栄光の架橋』の歌詞に内包される大いなる挫折とその挫折からの復活を目的とするものであり、日本が……そして世界が挫折に打ちひしがれている現況への叱咤激励を込めたものであると理解していただきたい。
※なお……私自身は東京オリンピックの開催に否定的とも肯定的な立場であるとも言わないが、もし開催されるのであれば、作中のような事象が発生せぬよう平穏無事に大会日程を消化して戴きたいと願う。
そして
2021.6.1
澤田啓 拝
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