5年務めたコンビニをクビになった。客との無駄話が多いからだと言われたが、愚痴を聞いてあげた客がコンビニ会社の役員だと後から判明。さようなら、私は接客力を買われて本社に引き抜かれます。

ただ巻き芳賀

短編 5年務めたコンビニをクビになった。客との無駄話が多いからだと言われたが……

「君の仕事ぶりは認める。だが、品出しでフロアへ出ているときの無駄話が多すぎる。駅前の店舗で培った効率的な運営をしたいから、態度を改めない君には辞めてもらいたい」


 昼勤の新店長は夕勤の準備でバックヤードに入った私のところに来ると、いきなりクビを言い渡してきた。


 新店長がこの直営店に来た際、最初の挨拶で「完璧な合理主義がモットー」と言った後「俺はこの店で実績を上げて本社入りを目指している。足を引っ張るなら覚悟する事」と自分勝手な事を言っていた。


 またエライ奴が来たなと思っていたけど、着任から1カ月目の今日、他のバイトへの見せしめで私をクビにしたのだ。


「いやいや態度を改めないって言いますけど、お客さんから話しかけてくるのに無視する訳にもいかないでしょ?」

「あんなに沢山の客に話し掛けられるなんておかしい。私も数年間駅前で働いていたが、ほとんど話し掛けられない。本当は君から話し掛けているだろう?」


「そんな事ないですよ。特に最近は無駄話を注意されて意識してますから。私からお客さんには話し掛けないようにしてます」

「どうだかね。そもそも話し掛けられても話を切り上げないのが問題だ。早々に客との会話を切り上げるようにこの1ヶ月間言っていただろう。あんなに話し込んで業務を疎かにされるのは店の損失だ」


 こいつの言う事も分からないでもない。


 確かに、ある特定のお客さんはわざわざ私がシフトに入っているときに来て、暇を見て長々と話し掛けてくるので、多少業務に支障が出ている。


 特によく話し掛けてくるそのお客さんの事を、私は心の中で「長さん」と呼んでいる。


 その長さんは、私が相手だと話しやすいのか一向に止めようとせず話を続けるのだ。


 私だって、少しぐらいの会話ならにこやかに相槌を打つくらいで済ませる。

 例えばパチンコで勝ったとか、飲み屋の女の子と仲良くなったとかなら、長話になる前にやんわりと切り上げているのだ。


 でも結構深刻な話も多いから困る。


 そういう話をされると話を打ち切りづらくなり、つい最後まで聞くことになってしまう。


 別に長さんは、私に解決手段を求めてくる訳ではないのだけど、たぶん誰かに話を聞いて欲しいのだと思う。

 想像するに、きっと上司と部下に挟まれた孤独な立場なんだろう。





 今日も長さんがやって来た。


 私は先ほど夕勤で出勤した際に、昼勤の店長からクビを言い渡されていたが、後1週間だけ働くことになっている。


 これは自分勝手なあの店長が、シフトの都合が付かないから退職は1週間後にしてくれと言い出したためだ。


 普通なら「お前のシフト管理の都合なんぞ知らん!」と無視して退職しているところだけど、5年も働いたおかげで朝勤のおばちゃんや夕勤の女子高生、夜勤の大学生など最後に挨拶したい人らがいるのだ。

 そして何より、愛想よく私に話しかけてくれた常連客たちに会いたいというのが大きい。


 私は不思議とお客さんから話し掛けられる事が多く、名前の知らない顔見知りが多くいるのだけど、一番話したかったのはこの「長さん」だ。


 年の頃は四十歳後半くらいだろうか。

 白髪交じりの頭髪を黒く染めているが、忙しいのか白髪染めの期間が開いているようで生え際にちらちらと白い部分が見えている。


 スーツ姿のときはオールバックでかっちり決めているのに、上下スエットで洗いざらしの髪のまま来店することもあって、店の近くに住んでいるに違いないと思う。


 まさに中間管理職といった様相だけど不思議なオーラがある感じで、単なるしょぼくれたサラリーマンという風でもない。


 長さんは一人で来店するときが殆どだけど、部下らしき若手を連れて来たことがある。


 その部下の人らは皆して、あのオールバックのお客さんを「長さん、長さん」と呼んでいたのだ。

 上司と部下の関係が都会の会社では考えられない距離間である。

 

 それもあのオールバックのお客さんが持っている頼れる人柄によるものなんだろう。

 そんなこともあって、私もあのお客さんの事をいつしか心の中で「長さん」と呼ばせて貰うようになったのだ。


「よう、いつもお疲れさん! ……どうしたアンちゃん? 元気ないみたいだな」


 クビを言い渡されたショックが顔に出ていたのかもしれない。

 いつも会っている長さんにすぐ突っ込まれてしまった。


 ちなみに私の事をアンちゃんと呼んでいるのは、私の名字が安藤だからだ。

 子供のころから友達にはアンちゃんと呼ばれているのだけど、長さんは私の名札を見て勝手にアンちゃんと呼ぶようになった。


「実はここの仕事を辞めることになったんです」

「そうか。アンちゃんはバイト卒業か。何処に就職するの?」

「就職先は決まっていないんです。実は……」


 不名誉な事なので小声で伝える。


「クビ!?」

「ちょっと、大きな声で言わないで下さいよ」

「ごめん、でも何でまた?」

「新店長がとてもお堅い人で、お客様とのこういう会話が気に食わないそうです」


「いやいや、コンビニ店員だって接客くらい必要でしょ?」

「新店長は効率主義で駅前のスタイルをこの郊外店にも導入させるのに、私がいると不都合だそうで……」


「……それってよく話し掛けていた俺のせい……だよな?」

「それも少しはあるかもですけど気にしないで下さい。私は妙にお客様に話し掛けられ易い体質みたいで、他にもいろんな人と会話してましたので」


 クビの原因を聞いた長さんは黙り込んでしまった。

 きっと私に話し掛けた責任を感じているんだろう。


「なあ、アンちゃん。アンちゃんはどうして就職しないでバイトしてんだ?」


 普通なら聞きにくい事のハズだけど、真剣な表情をした長さんから質問された。


「実は病気の母を看病するために実家に帰って来たんですけど、この辺は時間の融通が利く仕事が少なくて。母を病院に連れて行く日に休みを合わせられるのはコンビニバイトくらいしかなかったんですよ」

「お母さんは調子悪いのかい?」


「1年前に亡くなりました」

「……すまん」


「いいんです。もう気持ちの整理も付きましたし。本当はちゃんとした会社に就職した方がいいのは分かっているんですけど、バイト仲間やお客様がいい人ばかりで辞めずに続けていたんです」

「……そうなんだ」


「でも辞めるいい切っ掛けになりました。こんな形なのは悔しいですけど」

「……。……いつが、いつが最終日なの?」


「6日後が最終日です」

「6日後か……流石に無理かな」


「何がです?」

「あ、いや、何でもない……」


 そう言い残すと長さんは何か考え事をしながら何も買わずに帰ってしまった。

 どうせクビなんだから店長なんか気にせず長さんと話をしようと思っていたけど、私が詰まらない事を言ったせいで気にして帰ってしまったようだ。


 明日、また長さんが買い物に来たら話をしよう。





 翌日のバイトから同僚の態度が急変した。


 誰も全く私と話をしなくなったのだ。


 その日は夕勤だったので女子高生と一緒だったのだけど、話をしないし目も合わせてくれない。

 少し私から距離を取って離れている。

 

 もしかしたら、私に分からないように店長から連絡が回っているのかもしれない。

 しきりに監視カメラを気にしているので、私と接触する事で店長から指導されるのを恐れているのだろう。


 この近辺は店舗が少なくバイト先がほとんど無いので、私の巻き添えになって辞めるのは困るだろうから仕方がない事だ。

 高校生なら移動手段が乏しく、他の場所まで行くのは大変なのでなおの事だろう。


 彼女と会話しなくても、長年勤めていたので何をすればいいかは分かっており仕事に支障は無かった。

 

 それでも寂しい話だ。

 せっかく一緒に働いていた彼女とよもやま話ができると思っていたのに。


 23時になり深夜で入っている大学生二人に業務を引き継ぐ。

 そんなに客も多くなかったので、レジ誤差もゼロだ。


 着替えてバックヤードから出て来た大学生二人は女子高生と同じように私から目を逸らす。


 この狭いコンビニという世界で、店長という権力者から身を守るためには仕方のない事だと分かっているが、それでも情けなさと悲しみで落ち込む。


 女子高生は22時で先に上がっておりバックヤードには誰もいない。

 制服を脱いで帰り支度をしながら、女子高生と大学生が店長から何を言われたのか気になって、店舗の管理端末を見たが何も無いようだ。


 私が入店する前からバイト仲間で続けている申し送りノートはあるが「こんな物で馴れ合うと集団で業務を手抜きする事に繋がる」と店長が批判していたので、店長からの伝言などはきっと見当たらないだろう。

 

 今日は店に来たのが時間ギリギリでまだ目を通していないが、どうせ手掛かりはないだろう。

 それでも一応申し送りノートをめくった。


 記入の最後にはなんと店長からの記載があった。


――――――――

店長から皆さんへ

安藤さんは給料の発生している勤務時間を無駄話にいそしみ、店舗に損失を与えたので退職して貰う。

どうしてもあと1週間働かせて欲しいと頼み込まれたので、私の恩情で勤務の延長を許可したが、相手にして無駄話をしないこと。

皆さんは安藤さんのような愚かな行動をしないよう肝に銘じ、給料が発生している時間は店舗の実績が最大となるよう勤務すること。以上

――――――――


 な、な、なんて事だ……。


 こんな事が書いてあれば誰も私と会話しない訳だ……。


 それまであった情けなさと悲しみの感情はどこかに消え、やり場のない憤りが私の心の中を支配した。


 私がいつ1週間延長させて欲しいと頼んだ!

 頼んだのはあいつだろう!

 人の事をクビにしておいて自分のシフト管理の都合で1週間引き留めたのはあいつだろう!

 

 大体、コンビニだって接客業のはずだ。

 このコンビニは郊外型で近くに他の店舗が無い事もあって、お客さんの顔ぶれはいつもほとんど同じなんだ。

 地域に根差した愛されるコンビニでなければ、早番お客さんが離れて売り上げが落ちるのがなぜ分からないのか。


 郊外ならではの地元密着の恐ろしさが何もわかっていない。

 一度住民から不興を買って噂が蔓延したら、誰も近づかなくなる地方の恐ろしさを知らないのだろう。


 今までこんな郊外でもお客さんが頻繁に訪れてそこそこ売り上げを出していたのは、地域の人に愛されているからなのに。


 車で少し走れば大手ショッピングモールがあるし、向かいの空き地にもアウトレット施設を建設中でそろそろオープンが間近だ。


 地方は学生以外、車で移動するのでこのコンビニにこだわる必要なんて無いのだ。

 それにもかかわらず、お客さんが足を運んでくれるのは都会では薄れた人とのふれあいがあるからなのに。


 自分の信念を完全に否定された事で、5年間の頑張りを全て否定されたと感じた。


 コンビニは人と人が協力し合って運営していく場じゃなかったのか。


 店舗の実績を追求するのは当たり前だろうけど、自分が本社入りするために従業員の気持ちを蔑ろにして、人の気持ちを踏みにじって何が成し遂げられるのか。




 私の5年間は全て無駄だった。

 ただ安い時給で小銭を貰っただけ。




 途中から何も考えられなくなり帰路についた。


 帰宅途中の記憶は無い。


 母が亡くなり父も既に他界しているので家には誰もおらず中は暗い。


 畳敷きの居間に座ったが、とても食事をする気になれない。

 習慣であるノートパソコンでの動画視聴をする気にもなれず、暗い部屋に座ってただ悲しみに暮れた。


 靴を脱ぐときに点けた玄関の明かりだけが居間に射し込んで、涙で濡れた丸テーブルを照らした。





 あれから数日経ったが、出会うのを楽しみにしていた長さんは店に来なくなった。


 他のバイトは誰も口を利いてくれず、この年で学生同士の無視のような状態になっている。

 これも店の各所に設置された監視カメラのせいで、同僚たちの本意ではないと思いたい。

 そう思わないとやっていられない。


 まだ勤務日が残っているのにロッカーまで取り上げられた。

 新しく採用した人を迎える準備だそうだ。

 これが5年もの間、店に貢献した従業員への仕打ちなのか……。


 それでも、常連のお客さんたちは相変わらず挨拶してくれて、笑顔で近況を話してくれる。

 この楽しい時間もあと僅かだ。


 それにしても同じ仲間と思っていた同僚たちに無視されるのは、こんなにつらいとは思わなかった。

 よくいじめの一つとして、大勢が一人を無視するというのが小説なんかに出て来るが、こんなにつらい事だったんだ。


 いじめる事もいじめられる事もなかった私は本当に幸せだったんだ。

 ただ、同じ組織の連中に無視されるという事がこんなに精神をボロボロにするのか。


 仕事に行く足取りが重くなる。

 どうしてあいつの頼みを聞いて一週間も退職を遅らせてしまったのか。


 無断欠勤してやろうかと考えたが常連客たちの顔が浮かぶ。

 あの人たちにお礼を言いたい。


 ストレスで胃に強い痛みを感じるが、今日もロキソ○ンを飲んで職場に向かう。





 数日が経過して、とうとう明日が最終日。

 何の因果か最終日は店長と一緒の昼勤シフトだ。


 あの店長は人として最悪な奴だが、どうせ他の同僚とシフトに入っても無視されるのだ。

 店長が居ても空気の様に扱って、常連のお客さんに退職を伝えよう。

 もしかしたら最終日は長さんが来るかもしれない。

 長さんにただ一言、今まで優しくしてくれたお礼を言いたい。





 バイト最後の日、朝の8時から働くため店舗に入る。

 早朝勤務のおばさんから業務を引き継ぐがやはり無視された。


 このおばさんはちょっと個性が強いけど、楽しい人なのだ。

 私の次にお客さんとよく話す人だったのに、次は自分がクビにされると心配しているのか、常連さんに挨拶されても口を閉ざしたまま頷くだけだ。

 常連さんも怪訝な顔をしている。


 さあ、最後の仕事をしますか。





 店長は確かに効率よく働いていた。

 

 売れた品物があれば前方に移動させる前進立体陳列、いわゆる前陳なんかに余念なく対応して、昼時のピーク以外はレジを私に任せて品物の発注などをしていた。

 

 ただ、残念なのは私がお客さんに話し掛けられると舌打ちをするのだ。


 幸いお客さんに気付く人はいないので嫌な思いをさせずに済んでいるが、接客にあるまじき致命的な所業だ。


 この店長は、コンビニがお客さんに来店してもらい、商品を購入してもらう小売業だとは思っていないようなのだ。


 もしかしたら店舗を集金マシンくらいにしか思っていないのかもしれない。


 どんなにシステム化されて効率化されても、コンビニの原点は接客販売業なのに……。





 お昼のピークが過ぎて一息ついたころ、店から見える駐車スペースに黒塗りのセダンが止まった。


 常連さんの車ではない。

 

 助手席から髪の長いスーツ姿の女性が降りた後、運転手が後部座席のドアまで小走りで移動して丁寧にドアを開ける。


 杖を突いた背の低い白髪の老人がゆっくり出て来た。


 およそコンビニには似つかわしく無い連中だ。


 運転手は車内に戻ったようで、女性が老人を案内してこちらにやってくる。


 トイレでも借りたいのだろうか。


 老人は入店早々、近くで作業していた店長をつかまえた。


「安藤さんとやらはどちらかな?」

「お客様? どういった御用でしょう」

「安藤さんと話をしたいのだが」

「……安藤に代わり店長の私が伺います」

「ほうお主が店長か。長谷川から話を聞いているぞ」

「? すみませんが、業務中ですので失礼します」


 この店長筋金入りだな。

 この見るからにどこかの偉いさんぽい人の話を打ち切ってしまった。


 老人は店長の態度を気にも留めず、レジ横ケースの揚げ物を作っていた私を見つけるとこちらに来いと杖を持っていない左手で手招きした。


 丁度客が捌けていてレジを離れても平気なので、揚げ物を引き上げてから老人の元へ向かう。


「なんでしょう?」

「お主が安藤さんか?」

「はあ、そうですけど」

「長谷川から言われて視察のついでに寄ってみたが、フム……」


「あの、私の事を知っているのですか?」

「おおすまんすまん。このコンビニをよく利用する長谷川という奴がおるじゃろ」

「……いえお客様の名前を伺う事はほとんどないので分からないです」

「そうか……。ほれ、スーツ姿にオールバックの奴で年は50歳より若いんじゃが知らんか?」


 その風貌は長さんじゃないかな?


 長さん、長、……長谷川!

 ああ、それで一緒にいた人らが長さんと言っていたのか。


「たぶんその方を知っています。ただ最近いらっしゃらなくて」

「あ奴はな、うちの子会社が建設している向かいのアウトレットを私に視察させようと奔走していたからな」


 確か向かいのアウトレットはこのコンビニと同系列で別会社の事業だったよな……。


 そしてこの老人はアウトレットの建設状況を視察する偉い人であると……。


 ってことはこの白髪の老人、アウトレット会社の親会社の役員か何かかな?


 そんな人がいったい何の用だろう。


「長谷川が安藤さんについて面白い事を言っておった」

「な、何ですか?」

「安藤さんには不思議と何でも話をしてしまうと」

「確かにいろんな話を聞かせて貰いましたが」


「……」


 老人は急に黙ると品定めするような眼でじっと見てから口を開いた。


「お主は人の潜在ニーズを聞き出せる突出したヒアリング能力を持っておるかもしれん、と長谷川が言うのだ」

「はあ」

「顧客の潜在ニーズを知るのは存外難しい。顧客自身も自覚しておらんからな。それを聞き出せる人材は貴重だ」

「あ、ありがとうございます?」


 よく分からない事を言われた。

 今までで初めてだ。


「実は私にも人の潜在能力を見極める特技があってな。長谷川からお主を見極めて欲しいと言われて来たんのだ」

「……そうですか」


 潜在能力を見極める?

 急に何の話だろう。


「そこでな、私の前でお主のヒアリング能力を確かめさせて欲しい」


 急にそんなことを言われても、ヒアリング能力なんか意識したことは無いし……。


「まあ、お主が仮に誰かの潜在ニーズを明らかにして見せても、本人たちが自覚してないのだから正解かは誰にも分からんのだがな……」

「じゃあ、もしお見せ出来てもよく分からない結果で終わりますね」


 よかった。

 私にできるのはコンビニ業務くらいしか無いので、この老人の期待に応えられそうにないから正直ほっとした。


「そこでじゃ、私の秘書から何か聞き出してみてくれんか?」

 そう言いながら後ろを振り返った老人は、後方で控えている黒髪の美女を見た。


「私が居ては話しにくいだろうから、あの車で彼女と話をして欲しい。私は店内で5分ほど商品を見ておる」

「はあ……」


 どうしてこんな展開になったのだろう。

 これ、断っても構わないと思うんだけど。


 私が困惑していると秘書の女性が微笑んだ。


「安藤さんは今日が最後の勤務と伺いました。いつも通りに終わるのも良い事ですが、少しハプニングがある方がフィナーレは盛り上がるものですよ」


 確かにこのまま終了時間まで働いても店長には口を利いてもらえないし、大方の常連の人らとは会話ができている。

 ちょうど休憩時間になるから少しだけ付き合ってみるか。


 私は店長に休憩に入ることを伝えると、黒塗りの車の横に立つ秘書の女性の方まで歩いて行った。





「それは酷いですね」

「でしょう! こっちだって気を使っているのに我がままばかり言って周りの人を振り回すのよ。上に立つ人はもう少し部下に配慮してくれないと!」


 5分経ったので秘書の女性と話しながら店に戻る。


「どうだったかな? 彼女は人と距離を置くからたった5分では何も聞き出せないだろう?」


 私と秘書の女性は顔を見合わせて笑ってしまった。


「なんと! 彼女から何か聞き出せたのか!? そ、それは、凄いな……。では何が聞き出せたか教えてくれんか?」


 その言葉を聞いた秘書の女性が激しく顔を横に振っている。

 そりゃ話しの内容の殆どがこの老人への愚痴だからね、一緒に車に乗っていた運転手も気まずそうだったし。


「プライベートな事が多かったのでお伝えし難いのですけど、一番当たり障りのない事を一つだけ」

「ほうほう」

「彼女が今日のお昼で食べたかったのは、本当はカルビ焼肉ランチなんだそうです」

「……」

「毎回毎回、蕎麦ばかりで勘弁して欲しいそうです」

「!」


 老人は少し悲しそうな表情で固まり、秘書の女性は赤くした顔を両手で覆っている。


「お、お主の実力はよく分かった。5分で彼女から話を聞き出すだけでも凄いのに、本音を打ち明けさせるとは……。これは確かに長谷川が言った通りかもしれん……」


 この秘書の女性はそんなに人と話をしないのだろうか。

 私にはとてもそんな風に感じないのだけど。


「それにしても長谷川の奴、昼過ぎに来るように言っておいたのだが、何をやってるんだか……」


 ふと外を見ると店の前の道路を横断して、向かいで建設中のアウトレットから駆けてくる人が見えた。


 あのオールバック姿、長さんだ!


「す、すみません。遅れました」

「お主は我が社からこのコンビニ会社に移動になって、もう取締役なのだから自ら走り回らんでいいだろ。一体何をしとった?」

「ええ、丁度アウトレット会社の役員が来ていたので、このコンビニの土地の譲渡で打ち合わせをしていました。アウトレット完成の1カ月前までに譲渡が完了します」

「問題があっては困るぞ」

「ええ、大丈夫です」


 長さんってそんなに偉い人だったんだ。


 平静を取り戻した黒髪の秘書が時計を見てから老人に囁く。

「副社長、次の予定があるのであと5分です」

「本社に戻って定例会だな? このコンビニの奥を借りてWEBで出るから準備してくれ」

「かしこまりました」


「店長はおるかな?」

 副社長が店長に近づくと、店長が不愉快そうな顔で振り向く。

「お客様困ります! 店の中で騒がれては」

「すまんが店の奥を借して貰えんかね?」

「ダメに決まっているでしょう! 何なんですかあなた方はさっきから」

「……お主は察しが悪いみたいだな。ほれ、説明してやってくれ」


 黒髪の女性が店長のそばまで行くと小声で耳打ちしている。


 最初は怪訝そうにしていた店長は、途中から目を白黒させ始めて次第に野心に満ちた表情に変わる。


「は! ただちに場所を整えます。それと店を一時的に閉めて、今すぐ従業員を集めるとはいったいどういうことでしょうか」

「いいから言われたとおりにせい。集まったら話すから」


 なんと24時間開店のコンビニでありながら一時的に閉店することになった。

 こんな状況は業務用エアコンの交換工事や店舗改装以外にないだろう。

 

 1時間後、バイトの全員が集まった。

 奇跡的に皆、自宅やこの近辺にいたのだ。


 急に集められた同僚たちは、スーツ姿の3人と手もみする店長に不安そうな表情をしている。

 

「長谷川、説明を頼むぞ」

「皆さま、私は本社から来た長谷川です。この方はコンビニ事業をする我が社の株を保有しているラクショウ・ホールディングスから来られました」


 つまり、この老人はコンビニ運営会社の親会社から来た副社長って事か。


 めちゃくちゃ偉い人じゃないか!


 長さんがコンビニ会社の取締役でこの老人が親会社の副社長なら、あのお堅い店長が手のひら返しで従う訳だ。


「週明け、この店舗に本社から連絡が来ますが、この店舗がある一帯の土地を向かいのアウトレットを経営するグループ会社が買い取り、増設駐車場に致します」


 驚きの発表に皆ざわつく。


「従いまして、この直営店は来月末で終了します。それについては週明け本社から連絡があると思いますので詳細の確認をお願いします」


 つまりこのコンビニは潰されて駐車場になるというのだ。


 同僚の皆は、生活を支える収入源が無くなるので不安の表情を浮かべる。


「しかし、向かいのアウトレットでは各店舗とは別の直営エリアで従業員が不足しています。一度グループ会社のアウトレット採用説明会に参加して頂けないでしょうか」


 急な展開に皆は不安そうな顔をしたが、同僚同士で確認しあってようやく事態が飲み込めたのか一様に笑顔になった。


 よかった。

 これで私も無職にならずに済むとほっとしたの束の間。


「店長と安藤さんは別だぞ」


 まあ、店長はコンビニ会社の社員だから、単純にアウトレットで雇う訳にいかないのだろう。


「も、も、もしや、本社ですか!」


 望みの本社勤務が早くも訪れたと店長の興奮は最高潮に達している。


「お主の人事はお主の会社から言われるべきことだから、知っていても言えん」

「もしご存じでしたら今教えていただけないでしょうか!」


「しかしだなあ……」

「是非お願いします!」


 副社長の口角がにいっと上がった。


「では本人たっての希望でもあるし。長谷川、同じ会社のお主から伝えてくれ」

「はい、分かりました。ではこれは内示ということで私から伝えます」


 店長のごくりと生唾を飲む音が聞こえた。


「この店舗の店長は、前の駅前店舗に戻り店長補佐の従業員として接客の基本を学ぶこと」

「……駅前店舗の店長ですか?」

「店長補佐の従業員です」

「!!」


 想像とあまりにかけ離れていたのか、目を見開いて固まってしまった。


 くすくすと同僚たちから苦笑が漏れる。

 皆もかなりストレスが溜まってたみたいだ。


「して、安藤さん」

「はい」

「お主、次の就業が決まっていないのだな?」

「はい」


 副社長が長さんの方を見ると長さんが頷く。


「もしよければこの長谷川の下で働いてみんか?」

「そ、それって……」

「コンビニ運営会社の社員として長谷川の直下に付き、市場の潜在ニーズを探ってコンビニでの新しい取り扱い事業や企画を立案するマーケティング業務に参画して欲しい。検討してくれんかな?」

「つまりこのコンビニ会社の社員として本社に行く……ということでしょうか?」

「そういう事だな」


 今、もしかして凄いこと言われたんじゃないか!?


 同僚たちからは、わぁっと歓声が上がった。


「良かったわね! 安藤さん! あたしゃほっとしたわよ~」

「あー、もう、本当に良かったっすよ。すんません、安藤さん俺しょっぱい態度とって」

「ごめんね! あたし、バイト先が無くなると思うと店長が怖くて」


 よかった……。

 皆の態度は本心じゃなかったんだ……。

 心から本当に……、本当に嬉しい!


 年甲斐もなく皆の前で涙を流してしまった。


「これからもよろしくな! アンちゃん」


 長さんがいつもの調子で私に声を掛けてくれた。

 会社の取締役なのにとても気さくで、この人が上司なら新しい職場は働きやすそうだな。


 ふと皆の輪の外を見ると床に座り込んだ店長が、口を歪めて涙を流すのが目に入った。

 

 私は彼から受けた仕打ちを思い出しながらじっと見つめた


 さようなら店長、私はどうやら接客で身に付けたヒアリングスキルを買われたようで、社員として本社に引き抜かれます。


 声に出すのは流石に気が引けたので、心の中で店長に声を掛けた。


 了

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