これは嘘ではない
秋月忍
第1話
四月一日生まれで得したと思ったことは、あまりない。
私、
学年で一番『若い』と言えば、聞こえはいいが、幼いころは、同学年の子に比べてどうしてもトロかった。
もちろん、そんな発達の差は、大きくなればなくなるとされているけれど、あいにく幼いころのトラウマを覆すほどのものは何もなく、結局、不器用なまま大人になってしまった。
そして、何より哀しいのは、この日が『エイプリルフール』であり、年度の変わり目ということだ。
親と生活していたころは、ささやかな誕生日パーティなどを演出してはくれたが、社会人になって、一人暮らしになったらそれもなくなって久しい。
年度の変わり目ということで、友人たちも忙しい。彼氏もいたことがない。したがって誕生日は日常の日々と変わらない。周囲に誕生日と言ったところで、ジョークだと思われたりもする。
私は頭を振った。
昨年のことを思い出したのだ。
あの日も、残業だった。
家に帰ってから食事を作るのも面倒だし、かといって、ひとりでディナーを食べに行く気分にはなれず。私は会社の近くのラーメン屋に入った。ほんのちょっと照明が暗くて、掃除はしているんだろうし、清潔なんだろうけど、どこか店全体が油っぽいようなそんな店。
「チャーシューメン、あと、唐揚げください」
カウンターに座り、肉メイン推しの注文をする。誕生日だもの。女子っぽくないとか、野菜とかカロリーとか、そんなことを気にしない。そもそも、この店にそれを要求してはいけない。
店内には、座敷で飲んでいるサラリーマンが数名。カウンターは、私から離れた位置で、トラック運転手っぽい男性がラーメンを食べている。
「チャーシューメン、唐揚げね」
店員さんが、私の目の前に分厚いチャーシューののったラーメンと唐揚げの皿を持ってきてくれた。
「いただきます」
弾んだ気持ちで、箸を手にした時だった。
「あれ? 里山さん?」
声を掛けてきたのは、同じ会社の
「ど、どうも」
私はびくつきながら頭を下げる。
栗川は、とてもカッコイイ。もちろん、顔だけじゃなく仕事もできるし、人好きのする人物。当然、社の内外を問わず人気のある人だ。会社の飲み会とかでも、彼は女子にすごく人気があって、いつも取り囲まれている。
だから仕事以外で話をした記憶はそれまで、ほとんどなかった。
そんなひとに、声を掛けられたので私としては挙動不審に陥ってしまった。
「遅いね。残業?」
「ええ。まあ」
私は頷きながら、箸を割る。決して、苦手というわけではないが、何を話したらいいのかもわからない。
「あ、構わず、食べて。のびるから」
「はい。いただきます」
私は、栗川を気にせずに食べることにした。
こってりとしたスープに絡むラーメンと、分厚いチャーシュー。パリパリの唐揚げ。至福である。
「案外、よく食べるんだね」
栗川は、黙々と食べる私に言った。別に、馬鹿にしたりとかそういう意図ではないだろう。単純に驚いているようだった。
「今日は誕生日なので」
だから、別に祝ってほしいとか、そういう下心ではなくて、事実を告げたのだけど。
でも。
「誕生日?」
彼は思ってもみない言葉だったようで、驚いた顔をした。
「四月一日なんです」
私は、単純に、誕生日が四月一日、って言ったつもりだったのだけど。
「なーんだ。エイプリルフールね」
彼は、勝手に納得したようだった。
「はあ」
私はつい曖昧に笑う。
誕生日が嬉しいという年でもないし、ラーメンが自分のご褒美というのは、他人にわかってもらうのは難しいかもしれない。
「この店は、酢豚だよ」
彼は、注文した酢豚について語り出し、その話はそこまでになった。実際、少しもらった酢豚は激うまで、感動だった。
いつの間にか彼と隣り合う時間が楽しくて、そのあと私は誕生日のことはどうでもよくなったのを覚えている。
その日以来、あの店で何度も栗川と会った。どうやら、常連さんらしい。
もっとも、社内ではほぼ、接点のないままだったし、会うのはあくまで偶然だ。会ったところで、隣でラーメン待っている間に世間話をするだけ。
仲良くなったと思うのは、それまでとの比較にすぎない。天気と仕事以外の会話をするようになった、というだけ。
時々、その横顔を盗み見て、どきどきしちゃってるのは、相手が美形だから仕方ない。こっちは、おひとりさまが長くて、男性に免疫がないのだ。こっそり推すくらいは許してほしい。
ただ。
今年は、偶然を期待するのも無理っぽい。
そもそも誕生日に、ラーメン食べに行くのは、不急不要の用事にしていいものだろうか?
難しい問題だ。
新型のウイルス感染が広がって、外食は自粛ムード。
なんとなく帰りに寄っていくのは気が引ける。
うちのような零細企業は、テレワークができるような体力はないから、通常出社。今のところ、社内に感染者はないし、業務は通常通り行われているけれど、時々換気しなくてはと、窓が開けられるので、少しだけ寒い。あと、花粉が入ってくるから、花粉症の私には辛い。マスクをしていても、目はかゆいのだ。正直言えば、私の仕事はずっとパソコンに張り付いているので、やろうと思えば自宅で出来るんだけど。まあ、自宅にパソコンがある家庭っていうのも、限られているのかもしれない。
「里山さん、誕生日だね。おめでとう。これ、プレゼント」
ポンと、頭を叩かれた。
見上げると、私の直属の上司、
「ああ、ありがとうございます」
私は書類を受け取りながら頭を下げる。
「この量、ジョークと言ってください」
「西洋の慣習は苦手でね。夕方までに頼むね」
私は肩をすくめる。
全然嬉しくはないけれど、部下の誕生日を覚えてくれている上司は素直に尊敬だ。もっとも、覚えてるだけなのだが。
「誕生日?」
不思議そうな声に顔を上げると、栗川が立っていた。マスク姿でも美形である。思わず胸がときめいた。こんな時、マスクをしていて表情がごまかせるのはありがたい。今の会話、たまたま、通りかかって聞こえたようだ。
「ですよー。既にめでたくもなんともない、誕生日です」
答えながら、仕事を始める。
「飯でも一緒に食べに行く?」
一瞬、胸が大きく音を立てたけど。
周囲が耳をそばだてているのに気がついて、我に返った。そうだ。今日はエイプリルフール。
私と彼は、同じ店の馴染みではあるけれど、約束したことは一度もない。
そう考えると、友達ですらないのだろう。それに、このご時世。本気のはずがない。
「ダメですよ、本気にしますから。 そういうジョーク、非モテ女子に言わないでください」
周囲の空気がゆるむ。そりゃそうだ。私と、栗川じゃ釣り合わないもん。みんな、そう思うよね。
でもちょっと、期待してしまったから、胸が苦しい。
「四月一日だったね」
栗川が呟く。マスクで表情は読み取れないけれど。
私は無理やり笑顔をつくる。
そのジョークは、かなりきつくて。胸が痛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます