これは嘘ではない

秋月忍

第1話

 四月一日生まれで得したと思ったことは、あまりない。

 私、里山美紀さとやまみきは、本日、三十歳の誕生日を迎えた。

 学年で一番『若い』と言えば、聞こえはいいが、幼いころは、同学年の子に比べてどうしてもトロかった。

 もちろん、そんな発達の差は、大きくなればなくなるとされているけれど、あいにく幼いころのトラウマを覆すほどのものは何もなく、結局、不器用なまま大人になってしまった。

 そして、何より哀しいのは、この日が『エイプリルフール』であり、年度の変わり目ということだ。

 親と生活していたころは、ささやかな誕生日パーティなどを演出してはくれたが、社会人になって、一人暮らしになったらそれもなくなって久しい。

 年度の変わり目ということで、友人たちも忙しい。彼氏もいたことがない。したがって誕生日は日常の日々と変わらない。周囲に誕生日と言ったところで、ジョークだと思われたりもする。

 私は頭を振った。

 昨年のことを思い出したのだ。

 あの日も、残業だった。

 家に帰ってから食事を作るのも面倒だし、かといって、ひとりでディナーを食べに行く気分にはなれず。私は会社の近くのラーメン屋に入った。ほんのちょっと照明が暗くて、掃除はしているんだろうし、清潔なんだろうけど、どこか店全体が油っぽいようなそんな店。

「チャーシューメン、あと、唐揚げください」

 カウンターに座り、肉メイン推しの注文をする。誕生日だもの。女子っぽくないとか、野菜とかカロリーとか、そんなことを気にしない。そもそも、この店にそれを要求してはいけない。

 店内には、座敷で飲んでいるサラリーマンが数名。カウンターは、私から離れた位置で、トラック運転手っぽい男性がラーメンを食べている。

「チャーシューメン、唐揚げね」

 店員さんが、私の目の前に分厚いチャーシューののったラーメンと唐揚げの皿を持ってきてくれた。

「いただきます」

 弾んだ気持ちで、箸を手にした時だった。

「あれ? 里山さん?」

 声を掛けてきたのは、同じ会社の栗川誠くりかわまことだった。

「ど、どうも」

 私はびくつきながら頭を下げる。

 栗川は、とてもカッコイイ。もちろん、顔だけじゃなく仕事もできるし、人好きのする人物。当然、社の内外を問わず人気のある人だ。会社の飲み会とかでも、彼は女子にすごく人気があって、いつも取り囲まれている。

 だから仕事以外で話をした記憶はそれまで、ほとんどなかった。

 そんなひとに、声を掛けられたので私としては挙動不審に陥ってしまった。

「遅いね。残業?」

「ええ。まあ」

 私は頷きながら、箸を割る。決して、苦手というわけではないが、何を話したらいいのかもわからない。

「あ、構わず、食べて。のびるから」

「はい。いただきます」

 私は、栗川を気にせずに食べることにした。

 こってりとしたスープに絡むラーメンと、分厚いチャーシュー。パリパリの唐揚げ。至福である。

「案外、よく食べるんだね」

 栗川は、黙々と食べる私に言った。別に、馬鹿にしたりとかそういう意図ではないだろう。単純に驚いているようだった。

「今日は誕生日なので」

 だから、別に祝ってほしいとか、そういう下心ではなくて、事実を告げたのだけど。

 でも。

「誕生日?」

 彼は思ってもみない言葉だったようで、驚いた顔をした。

「四月一日なんです」

 私は、単純に、誕生日が四月一日、って言ったつもりだったのだけど。

「なーんだ。エイプリルフールね」

 彼は、勝手に納得したようだった。

「はあ」

 私はつい曖昧に笑う。

 誕生日が嬉しいという年でもないし、ラーメンが自分のご褒美というのは、他人にわかってもらうのは難しいかもしれない。

「この店は、酢豚だよ」

 彼は、注文した酢豚について語り出し、その話はそこまでになった。実際、少しもらった酢豚は激うまで、感動だった。

 いつの間にか彼と隣り合う時間が楽しくて、そのあと私は誕生日のことはどうでもよくなったのを覚えている。

 その日以来、あの店で何度も栗川と会った。どうやら、常連さんらしい。

 もっとも、社内ではほぼ、接点のないままだったし、会うのはあくまで偶然だ。会ったところで、隣でラーメン待っている間に世間話をするだけ。

 仲良くなったと思うのは、それまでとの比較にすぎない。天気と仕事以外の会話をするようになった、というだけ。

 時々、その横顔を盗み見て、どきどきしちゃってるのは、相手が美形だから仕方ない。こっちは、おひとりさまが長くて、男性に免疫がないのだ。こっそり推すくらいは許してほしい。

 ただ。

 今年は、偶然を期待するのも無理っぽい。

 そもそも誕生日に、ラーメン食べに行くのは、不急不要の用事にしていいものだろうか?

 難しい問題だ。

 新型のウイルス感染が広がって、外食は自粛ムード。

 なんとなく帰りに寄っていくのは気が引ける。

 うちのような零細企業は、テレワークができるような体力はないから、通常出社。今のところ、社内に感染者はないし、業務は通常通り行われているけれど、時々換気しなくてはと、窓が開けられるので、少しだけ寒い。あと、花粉が入ってくるから、花粉症の私には辛い。マスクをしていても、目はかゆいのだ。正直言えば、私の仕事はずっとパソコンに張り付いているので、やろうと思えば自宅で出来るんだけど。まあ、自宅にパソコンがある家庭っていうのも、限られているのかもしれない。

「里山さん、誕生日だね。おめでとう。これ、プレゼント」

 ポンと、頭を叩かれた。

 見上げると、私の直属の上司、川村かわむら班長が、書類の束を手にしている。

「ああ、ありがとうございます」

 私は書類を受け取りながら頭を下げる。

「この量、ジョークと言ってください」

「西洋の慣習は苦手でね。夕方までに頼むね」

 私は肩をすくめる。

 全然嬉しくはないけれど、部下の誕生日を覚えてくれている上司は素直に尊敬だ。もっとも、覚えてるだけなのだが。

「誕生日?」

 不思議そうな声に顔を上げると、栗川が立っていた。マスク姿でも美形である。思わず胸がときめいた。こんな時、マスクをしていて表情がごまかせるのはありがたい。今の会話、たまたま、通りかかって聞こえたようだ。

「ですよー。既にめでたくもなんともない、誕生日です」

 答えながら、仕事を始める。

「飯でも一緒に食べに行く?」

 一瞬、胸が大きく音を立てたけど。

 周囲が耳をそばだてているのに気がついて、我に返った。そうだ。今日はエイプリルフール。

 私と彼は、同じ店の馴染みではあるけれど、約束したことは一度もない。

 そう考えると、友達ですらないのだろう。それに、このご時世。本気のはずがない。

「ダメですよ、本気にしますから。 そういうジョーク、非モテ女子に言わないでください」

 周囲の空気がゆるむ。そりゃそうだ。私と、栗川じゃ釣り合わないもん。みんな、そう思うよね。

 でもちょっと、期待してしまったから、胸が苦しい。

「四月一日だったね」

 栗川が呟く。マスクで表情は読み取れないけれど。

 私は無理やり笑顔をつくる。

 そのジョークは、かなりきつくて。胸が痛かった。

 



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