WAKKAの中から異世界へ!

マシダ総務

WAKKAの中の初陣

今でもユキの悲しそうな顔が、切れかけた蛍光灯が光ることにしがみついているときみたいに、忘れた頃に眼球の奥の方で痛いほど鮮明に写る。僕もそれから逃げないように、目を閉じて深呼吸すると、本当に眼球の奥が痛くなったので、急いで目を開けた。


夏と比べると格段に白くなった腕を、だるそうに伸ばして3本の指だけでテレビのリモコンを取って力強く電源ボタンを押した。力強く押したのは、どうしてもテレビが観たかったのではなく、リモコンの老朽化が進んで、反応が鈍くなっていたからだった。


ユキが行方不明になってからもう半年になる。10月に誕生日があるから、生きていれば13歳だが、幼い頃から少ない食事しか与えてもらえていなかったせいで、背は低く、痩せていて、小学校3〜4年生に見られることもしばしばあった。

僕をよく慕っていて、学校で気に入らないことがあるとすぐに僕に知らせたし、好きな男子のことも色々聞かせてくれた。いじめられている感じもなかった。


「昨年12月3日に起きた大規模な交通事故から1年が経ち、巻き込まれて亡くなった愛梨ちゃんの追悼の……。」


ニュースを見て腹が立つようになったのはつい最近だろう。誰が本気でユキを探してくれる? 僕以外に誰がユキを失くしたことを悔やむ? 苛立ちを抑えきれなくなって、再びリモコンの電源ボタンを力強く押した。今度はどうしてもテレビを消したかった。


アパートの階段を上ってくる男女の足音が、自分の部屋にある時計の秒針が、右頬をビンタされて左にバランスを崩し続けているみたいな受動的に一定のペースを刻む音と重なって、すぐに自分の母だと気づいた。


母は親のいない家庭で育った。そんな自分の過去を投影するかのように、僕とユキは、母の目では息子・娘には映っていないのだった。だが、ずっとそうだったわけではなく、父が借金をつくって逃げてしまってからだった。

母は18歳で僕を産んだ。今の自分と同じ歳だと思うと、何故か偉大さを感じた。その5年後、いつ出来たかもわからないユキが産まれた。当時は何も感じなかったが、今となっては不可解だ。あの時期は、父にも仕事があり、その仕事で出張していた時期だった。でも、父も何も言わず産まれた。しかし、ユキには何の罪も無ければ、もういなくなってしまったのだから、何を言っても関係ないだろう。


さっきまで聞こえていた足音が家のドアの前で止んで、次の瞬間に鍵が差し込まれてドアが開いた。冷たい風と共に、母の甘えた気持ち悪い声と、いかにも頭の悪そうな低くしゃがれた男の声が聞こえた。いつもなら、足音が聞こえた時点で、ロケットえんぴつみたいに押し出されるように外出する。だが今日は違った。やってみたいことがあったからだ。


ユキがいなくなったのは僕のせいだった。きっかけはちょっとしたことだ。高校3年の夏休み、大学受験に向けた勉強に必死なとき、僕の夜食用にとっておいたサンドウィッチをユキが勝手に食べたことで、僕は窓の外の眠っていた猫が驚いて逃げるほど声を張り上げて怒った。ユキは何を言い返すでもなく、大切な人に裏切られた時の悲しみと怒りの表情をしていた。

その晩にユキはいなくなった。本当は晩なのか朝なのかわからない。夜食が無くなったことで勉強する意欲が無くなってしまって、すぐに寝てしまったからだった。あのとき、そんな事でへそを曲げることなく勉強していれば、ユキを慰められただろうか。僕は受験という大事な時期だったけど、ユキも思春期真っ只中の大事な時期だった。それに気づいていたら、もっと優しくできただろうか。どちらにせよ、僕が悪いことに違いはなかった。


僕の部屋の天井には穴が空いていて、そこからアパートの骨組みが丸出しになっている。そこにGoogleで調べた1番頑丈なロープの結び方で、もう用途が1つしか思いつかないその穴からぶら下げる。子供の頃、座るのにひと苦労した高さのイスに上って、ロープの目の前に立った。ここで何度か大きく深呼吸をして、状況を整理した。


僕が足音が聞こえた時点で外出するようになった理由は、母が男を連れて来る回数分、もしくはそれ以上に、テレビ台の1番下にあるブルーレイレコーダーの裏に隠れた牛乳パックの下半身だけを切り取った入れ物に入ったコンドームか減っているからだった。だが、最近ソレに入ったアレが、増えも減りもしていない。母が男を連れて来る回数は減っていないのに。いや、むしろ増えた気がする。それにいつも同じしゃがれた声の男だ。結婚するつもりだろうか。子供を作るつもりなら、全力で止めたい。ユキと同じ思いをさせたくない。止めるなんて、僕にはできないけど。


母は、自分が好きな男と子作りしている部屋の隣で、息子が自殺するときの気持ちはどんなだろう。と考えていると、何だかワクワクして、死への恐怖心を和らげて、ついにはかき消した。今まで1度も自殺しようと思ったことは無かったけれど、これで完璧に死ぬと確信していた。

僕は、自分より背の高い奴の胸ぐらを掴むのと同じ要領でロープを握った。そして、子供が興味津々に窓から外を覗き込むような格好で顔の前にある輪っかに首を通した。

すると、目の前に沢山の人間の苦しんだ挙句、死に絶えた姿が見えた。怖くなって目線を上げると、巨大な石が顔めがけて飛んできた。僕はびっくりして、両手で握りしめた輪っかから首をぬいた。そのとき僕は何が起きたかは理解できなかったが、どうしても気になったので、今度は本当に興味津々な子供になってしまったかのような気持ちで、輪っかを覗き込んだ。次の瞬間、首根っこを掴んで無理やり引っ張るかのように、いや、実際首根っこを引っ張られて、輪っかの中へ引きずり込まれた。


「頭下げろ!!脳みそぶち抜かれてぇのか!!!」


僕に向かって大声で怒鳴る大男がいる。何故かわからないが、僕は即座に周りの状況を理解して、僕を怒鳴った男は悪い人間ではないと思った。むしろ、良いやつだな。と。きっとここ数年、僕のことを心配する人間なんていなかったから、嬉しかったんだと思う。

もうその衝撃で、自分が自殺志願者だったことを忘れていた。加えて、頭を下げて隠れている積み上がった土嚢の向こう側を、一瞬でも見たせいで、「死にたくない」とすら思ってしまっていた。

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