ユーリィ⑦
けれどそのとき、ダガーに添えた俺の右手にリリティアが触れた。
心地良い熱が伝わるのと同時に、臆せずに俺を見詰め返す彼女の蒼い瞳が煌々と光を放つ。
聖域を解いたのだ。
「無理をするなリヒトルディン。躊躇うなとは言ったが、いま筆頭侍女長は協力的だ――それにお前にそんな顔は似合わない。いつものように楽観的に笑え」
「――リリティア――」
「筆頭侍女長ユーリィ。この私を知っているなら話が早い。すぐに王族の墓所に案内せよ。神世の王とやらも、まとめて浄化してやろうではないか。それでお前の言うアンデュラム王とやらも戻れば万事解決――そうだな?」
きっぱりと言い切ったリリティアは、突然現れた彼女を見て呆然としているユーリィに不敵な笑みを向け――続けた。
「大丈夫、なんとかなる。そうであろう? リヒト」
「!」
俺は柄に置いていた手をゆっくり下ろし、腹の底に溜まっていた空気を全部吐き出す。
あー……俺、ものすごく格好悪い。この苦い気持ちも吐き出せればいいのに……。
リリティアはゆっくりと俺の手に添えた手を持ち上げ、最後に指先でそっと撫でて放した。
俺は頭を下げるしか思い付かず、ユーリィに向き直って深々と腰を折る。
「――脅すような真似をして申し訳ありませんでした、ユーリィ。……紹介するよ。彼女はユルクシュトル王子が眠らせてしまった
それを口にするあいだに、さすがというべきか……ユーリィは落ち着きを取り戻していた。
コホンと咳払いを挟んだあとで、彼女はスッと立ち上がり礼をする。
「初めまして、
俺たちはそのまま急ぎ足で状況をすり合わせた。
俺からは、俺がアルシュレイを匿っていること、ラントヴィーの情報で王族たちが隔離されているのを知り墓所に行けば封印具が作れると考えていることを伝える。
それを使えば、地下の呪いも纏めて集約し浄化できるはずだとリリティアが補足した。
意外なことにユーリィはそれなりに自由に過ごしているようだ。アンデュラム王を助けたい気持ちが彼女を縛る鎖になっていることを、神世の王は誰よりも確信しているのだろう。
そして、彼女の話からすると、どうやら神世の王は中央片から出られないらしい。
「ふむ。だから代々の王の体を乗っ取っているのか。術で封印されているのなら、現王の中身は呪いや穢れの塊のようなものなのだろう。それに封印を解こうと目論んでいるとすれば、
「でもそれじゃおかしくないか? アルシュレイを襲ったのが王だとしたら、中央片から出られるってことになる」
俺が聞くと、リリティアが頷く。
「そうだな。おそらくは聖域を展開することで呪縛を弱めることができるのだ。第二王子ラントヴィーが王を見ることができたのは、呪縛と聖域が競合し結果として弱い術となったからだろう。ただ、疑問もある。呪いをほかの国に送り込むのにも術を使用しているのは間違いないが――自国の繁栄はすなわち穢れのない平和な状況になりやすいということ。……呪いの塊がそれを望むものか?」
それを聞いて、ユーリィは「僭越ながら……」と口を開いた。
「あなたを目覚めさせ、封印を解くことが最優先だったのではないかと。アルシュレイ王子が姿を消したあの夜、私が報告に上がった際に神世の王は
「――『目覚めなかった』? ああ、そうか。リリティアが起きたのは俺が地下に潜ってからだもんな。神世の王は知らなかったわけか……」
ユーリィは俺の言葉に静かに頷いた。
「神世の王は
「ふむ……確かに私が目覚めたときには目の前にリヒトがいたな。リヒト、私が起きたときのことをなにか覚えていないか?」
突然リリティアに聞かれて、俺は唸った。
「んー……えぇと、あのときアルを背負って下りてきて……あ」
俺はそのときのことを思い出し、口元を覆ったままモゴモゴと告げる。
「温かいんじゃないかなって思って――触った、リリティアに」
「さ、触っただと⁉ な、なんてことを……!」
ぎょっとして両腕で体を抱き顔を紅くするリリティアに、俺は慌てて両手を振る。
「ほ、頬に触れただけだよ! 生きているみたいに見えたから――! 別にやましい気持ちがあったわけじゃないから!」
「……それで目覚めたのですね?」
ユーリィが冷静に聞いてくれるので、俺は何度も頷いて答えた。
そういう冷静さがいまは助かる……。
「そう、そうなんだ。ひびが走って……それで蒼く光ったと思ったら――」
「……むう。まあよかろう。私を起こすことは封印を解くことにほかならない。そのために神世の王は王族と
「そのようですね。代々の王の体を乗っ取れば中央片から出られなくともやりようはあったようですから……封印を解くことができる個体が産まれるまでは、自国が繁栄して平和になろうとも体となる王の存続を優先させる必要があった。そしてアルシュレイ王子が封印を解けると考えて行動に移した――そういうことでしょう」
リリティアに続けてユーリィが言う。
俺はまだ熱い気がする頬からそろりと手を離し、ため息をついた。
「俺たちが母親を知らなくても、父親と会うことが殆どなくても、なんの疑問も持たないようにしていたんだな……」
「ええ。私も教育には非常に気を付けておりました。……疑問を持ち、それを神世の王にぶつけでもしたら――すぐに監獄へと送られてしまう」
ユーリィはそう応えて、なにもない天井を見上げた。
「王とそれを助ける者以外の王族は地下の監獄に隔離され、食事だけを与えられ生きています。王女たちに至っては強制で送られ、しかも王になった者は体を乗っ取られてしまう。私はそれでもアンデュラム王を助けたかった……これが罪ではないと言うつもりはありません」
彼女の表情には色濃い疲労が窺える。いつも、そんなことはおくびにも出さないのに。
ユーリィがどれだけ気を張っていたのかを垣間見た俺は……彼女がほっとしているように見えたのは間違いじゃなかったんだと気付く。
「……墓所はその監獄の奥です。……今日は一度戻りましょう。私は王に夕飯を届ける必要がありますので……明日、朝食を終えた頃にお迎えに上がります。それと、王は
ユーリィは俺が間違ったことをすると叱ってくれた。俺が『出来損ない』でも分け隔てなく接してくれた。だけど本当は誰かに――咎められたかったんだな。
「……ユーリィ。もうひとりじゃないんだ。――俺、頑張るからさ。ゆっくり休むといいよ」
精一杯の気持ちを込めたつもりだ。
俺が言うと、彼女は黒い瞳を俺に向け優しい顔で微笑んだ。
「――リヒトルディン王子。あなたは幼い頃からとてもお優しい性格でいらっしゃいました。こんなことを言う資格はございませんが――立派になられましたね」
「そうしてくれたのはユーリィだよ。資格なんていらないさ。……じゃあ戻ろうか。そうだ、ユーリィ。夕飯は『
持ってきた弁当は食べ損ねたので好物を挙げて笑ってみせると、彼女は頷いて立ち上がった。
「幼い頃からお好きですものね。……ラントヴィー王子から昨日同様に準備するよう指示がありましたから、お部屋に運ばせます」
そして彼女はなにを思ったのかリリティアに向けて言う。
「
「案ずるな、よく知っている。『出来損ない』などではないことも証明してみせよう。期待しておいてくれ、筆頭侍女長」
「それ……俺のいる前でする会話じゃないだろ……恥ずかしいから止めてもらいたいな」
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