ユーリィ③
俺は洗面所で着替え――襟元まできっちりとボタンを留めた。
いつもはそのまま下ろしている前髪も整髪料を使って上げておく。
そのあいだに部屋にはテーブルと椅子が運び込まれ、夕食の準備が着々と進んでいるようだ。
――まあ、冷静に考えれば王子同士で協力しておくのはいいことにも思える。
王が危険だってことも共有できるし、メルセデスだってアルのことを心配しているはずだ。
俺はあれこれ考え、最後に手首のカフスボタンを留めて洗面所から出た。
紅色の手袋は……仕方ないだろう。
『ほう、リヒト……似合うじゃないか』
すぐに反応したのはリリティアだ。彼女はこっちに来ると上から下まで俺を凝視する。
……そうじっくり見られるとちょっと恥ずかしい。
どうやらまだ聖域は解いていないらしく、ラントヴィーと正装してきたメルセデスがソファでなにか話していた。
ラントヴィーは時折こちらを見ているので、リリティアの居場所は察しているのだろう。
……ふたりはリリティアを見たら、ちゃんと褒めるんだろうな。それにきっと、当時王子だったユルクシュトル王だって――。
……よし。
俺は意を決した。
「……リリティア」
『ん、どうしたリヒト』
「えぇと、その。綺麗だ」
『! …………そ、そうか……?』
「あれ。俺、言い方間違えたかな……?」
リリティアが驚いた顔で言うので思わず返すと、彼女は瞬きをしてから笑った。
『いや。真っ直ぐすぎるかもしれないが……悪い気はしない。ただそういうことは最初に言ってほしい。まったく反応がなかったから、似合わないかと思っていたところだ』
「それは……すまない。ちょっと混乱して……」
「リヒト、君ひとりでなにブツブツ言っているのさ? 早くおいでよ」
そこでメルセデスに言われて、俺は思わず腕で口元を擦った。
あー。なんで俺、こういうの勉強しておかなかったんだろう。
俺はメルセデスの前に移動して隣にいるラントヴィーと目線を交わし、息を吸った。
「とにかくメルセデス。まずは驚かないでほしいんだ。……いまから紹介したい人がいる」
「いまから……?」
「そう。……それに、アルシュレイのこともちゃんと話す」
「なんだって? ……君、なにを……」
思い切り眉を寄せたメルセデスに、リリティアが「はあ」とため息を付いて喉を震わせた。
「こういうことだ、第四王子メルセデス」
ぽう、と。リリティアの瞳に光が宿る。
同時に、メルセデスの目がみるみる見開かれて……。
「――――ッ! ……ッッ!」
その口をラントヴィーがナプキンで容赦なく塞いだ。
「私は
「……ッ、――!」
リリティアが膝を折って優雅にお辞儀をしてみせると、メルセデスはぶんぶんと首を振ってラントヴィーの手をバシバシと叩いた。
酷い顔色だけど……もしかして息ができないんじゃないかな。
「……ぶはっ! ……な、なん……なに、待ってよ!」
後退るにもソファだからできないらしい。思い切り体を引いて、メルセデスは俺とリリティアを交互に見る。
「――ふむ、こう見るとリヒト。お前の楽観的な性格は最初に出会うには向いていたな」
取り乱したメルセデスに、リリティアがくすくすと笑う。
すると、笑われたメルセデスは顔を真っ赤にしてゴホンゴホンと咳払いをした。
すぐに呼吸を整えて背筋を伸ばしてみせるあたり、やっぱりメルセデスは冷静沈着だ。
「んっ……リヒトの性格と比べられるのは心外なんだけど。……は、初めまして
周りも見えるとはさすがメルセデス……と言いたいところだけど。
いまにも飛び上がりそうな第四王子に、俺は肩を竦めて頷いた。
「メルセデス。ちゃんと説明するから落ち着いてくれるかな。ちなみに、アルは眠っているだけ――それをどうにかしたいから協力してほしいんだ」
食事を取りながら、俺は順を追って説明をした。
リリティアはぱくぱくと食べながら黙って聞いていたけど、メルセデスの視線は彼女から逸らされない。
「――ここにアルシュレイがいなかったら、信じなかったかもしれない。君の左手の手袋については最初から気になっていたけど……呪いって」
メルセデスはそう言って、最後に額に手を当ててかぶりを振った。
俺は申し訳なくなって体をすぼめる。
「気持ちはわかる。黙っていてすまないメルセデス……」
「それは構わないよ。僕だって誰が犯人かわからない状況で手札を見せるのは躊躇うから――」
彼はそう言って、再びリリティアを見詰め、続けた。
「それに君たちの判断は間違っていない。実際に僕は力になれる。――例えば政治には経済的な話も絡むだろう? それで気が付いたんだけど……この城、食料品の購入費が異常なんだ。それが隔離されている王族の分だとしたら納得できる。さて、管理しているのは誰だと思う?」
「筆頭侍女長ユーリィか」
間髪入れずに応えたのはラントヴィーだ。
「そう。だからきっと彼女は『なにか知っている』――」
澄ました顔で頷いて水を飲むメルセデスに、リリティアが不敵に笑った。
「隔離された王族に食事を運んでいるのも侍女か……あとを付ければよいということだな」
「はー、なるほど。なんか皆すごいんだな……俺、なにもわからなかったよ」
思わずこぼすと、メルセデスが苦笑した。
「君は自分の価値をわかっていないよね。君じゃなかったらアルシュレイは助からなかったし、僕たちがこうして個人的に食事するなんてこともなかった。……
「……リリティアが?」
「ほら、それだよ。僕たちには
メルセデスがぴっと人差し指を立て、リリティアに向ける。
彼女はふふと笑って俺を見た。
「まあな。……正直、最初は私の名前を知らないことに衝撃を受けたのだが」
「
ラントヴィーが付け足して、にこりとリリティアに笑いかける。
「ところで、今日のドレスも素敵だ
普段は無表情なことが多いのに――ラントヴィーの奴、別人みたいだな。
暗そうな奴とか言われていたと知ったらどんな顔をするだろう。
そう思ったらメルセデスが呆れたように両手を広げて言った。
「ラントヴィー……君、見た目に寄らずぐいぐい行くよね。……まあでも、立ち居振る舞いも完璧。さすがと言うべきなのかな? 華があって僕も気分がいいよ
「なるほど……そうやって褒めればいいのか……」
ふたりの言葉に思わずこぼすと、リリティアが噴き出した。
「ふっ、お前、気にしていたのかリヒト! 真っ直ぐでいいと言ったではないか」
「いや、だってさあ……それにいいとは言われてない」
「へえ、興味あるな。なんて言ったんだい、リヒト?」
メルセデスが笑うと、リリティアはさらりと口にした。
「『綺麗だ』と」
「……ほう。やるな、リヒトルディン」
なぜかラントヴィーが頷き、メルセデスはちょっと頬を赤らめる。
「ぼ、僕にはちょっと難しいな――」
「うっ……や、やっぱり変だったかな? 俺、どうしたらいいかわからなくて――」
項垂れると、大真面目な顔をしたラントヴィーに言われた。
「いや、リヒトルディン。意中の相手にここぞと突き立てるいい言葉だ。例えば、そうだな。『――綺麗だ。その瞳で俺だけを見ていてくれないか』」
「……ラントヴィー。僕で試すの止めてくれる? 鳥肌がすごい」
細い顎の下にラントヴィーの指先を添えられたメルセデスがぶるりと震える。
リリティアがそれを見てころころと笑った。
でも、俺は頬に血が上るのを感じて思わず顔を擦る。
い、『意中の相手』ってなんだよ! ――そ、そんなつもりは……。
「思っていたより王子たちは仲がいいのだな。リヒト、お前のお陰なんじゃないか?」
リリティアはそう言うと、小さな果物を紅の唇でぱくりと食む。
……そんな、つもりは……。
…………。
「――どう、なんだろうな」
こぼすと、胸がきゅっと苦しくなった。
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