ユーリィ②

******


 ――一日目は結局収穫なし。土を掘り進んだような地下通路を進み、いくつかの分かれ道を確認したところで戻ってきたのだ。


 部屋に到着したのは夕方で、昼食を取っていなかった俺たちは腹が減ってヘトヘトだった。


「明日は弁当でも用意してもらうか……」


 俺が言うと、リリティアは真面目な顔で頷いてみせる。


「水も必要だな。礼拝堂から先の道はかなり複雑に見える――全部回るのは骨が折れそうだ」


 彼女はそのままぐったりとソファにもたれて、深々と息を吐き出した。


 俺はベッドのアルシュレイを覗き込んで――今日もずいぶん気持ちよさそうに寝息を立てている――自分の装備を外す。


「リリティア、埃っぽかったし風呂入れるから待ってて」


「! それは嬉しいが……疲れているのではないか? 無理は……」


「はは、これくらいお安い御用だよ」


 俺はリリティアに笑ってから、心のなかで付け足した。


 ……うん、でも夕食の準備なんかはラントヴィーに頼むことにしよう。


 そんなわけで風呂の準備をしてから扉を開け、律義に立っていたガムルトに菓子の包みをひとつ渡してやった。


「リヒトルディン王子、これは……?」


「いつも悪いな、騎士たちで食べて。それとラントヴィーを呼んでほしいんだ。『夕食も一緒によろしく』って伝えてもらえないかな?」


「ら、ラントヴィー王子ですか?」


 混乱した様子のガムルトに多くを語らず、俺は笑って部屋に引っ込んだ。


 リリティアは……相当疲れていたんだろう。気付けばソファですやすやと寝息を立てている。


 長い睫毛が頬に影を落として、無防備な姿は子供みたいだ。


 なんだか微笑ましくて頬が緩む。


 俺は紙とペンを用意して、起こさないようにそっと隣に座った。


 夕飯まではまだ時間があるから、すぐに風呂に入ることもないしな。


 少しだけそっとしておいてあげよう。


******


「……リリティア。風呂の準備できたから入ってこいよ」


 結局、俺は先に自分の風呂を済ませて新しい湯を張り、リリティアを起こした。


「……むぅ」


 そっと肩を叩くと、彼女は両手で目元を擦り「ふあ」と欠伸をする。


 ――そして寝ぼけまなこで呟いた。


「ああ……悪かった『ユルクシュトル』。眠っていたようだ……」


「……っ!」


 聞こえた名前は俺のものじゃなく――思わずびくりと手が跳ねる。


 胸に鋭い痛みを感じたことが自分でも衝撃だった。


 リリティアは不思議そうに顔を上げ、とろんとした蒼い瞳に俺を映したんだけど……やがてはっきりと目が覚めたらしい。


 みるみる目を見開き、思い出したように俺の名前をこぼした。


「……リヒト……」


「起きたか? 風呂の準備できてるから入って着替えてこいよ。たぶんもう少ししたらラントヴィーが夕食を運んでくるからさ」


 なんとか笑えた、と思う。


「あ、ああ。ありがとう」


 いそいそと扉の向こうに入る彼女を見送ってから、俺は倒れ込むようにソファに顔を埋めた。


 リリティアは俺が聞こえない振りをしたことに気付いたかもしれない――。


「いや……っていうか、なんだよ……ユルクシュトルって……」


 リリティアがユルクシュトル王を本当に信頼していたのはわかっていた。


 わかっていたつもりだったけど――なんだよ、それ。


 どうしてこんなに苦しいんだよ……。


******


 リリティアは薄紫色のドレスで出てきた。


 俺はちらとそれを見たあとで手元の紙――書き記した地図である――に視線を落とす。


 ……どうしよう、なんだか気まずい。


 ユルクシュトルって呼ばれたのは驚いたけど、彼女からすればいま俺がいる状態のほうが変なんだろう。


 だから仕方がないんだ。そうだよな?


 そう思い直したものの……顔を見ることはできなかった。


「……」


 リリティアもなにも言わないけど……ちくちく視線が刺さる。


 ええと、こういうときってどうするんだっけ。服を褒めればいいんだったかな……?


 すると、コンコンとノックが聞こえた。


『リヒトルディン』


「ラントヴィーか! いま開けるよ!」


 なんていいところに!


 そう思って足早に駆け寄り、すぐに扉を開けると……うわぁ。今日も正装のラントヴィーと、夕食を運ぶ侍女たちが連なっていた。


 ……侍女たちのあのそわそわした顔。心なしか人数も多い。


 なぜか一緒にこっちを覗き込んでいる甲冑はガムルトだろう。


「……いや、あのさラントヴィー。わざわざ正装じゃなくても……」


 思わず言い掛けた俺は、そこでもっと厄介な人物に気が付いた。


「へえ? ラントヴィーが正装なんてどうしたのかと思ったら、どういう状況かなリヒト?」


「メルセデス……⁉」


 第四王子メルセデス。彼は侍女の後ろからひょいと部屋の中を覗き、不思議そうに腕を組む。


 小さいから見えなかった……なんて言ったら怒るかもしれない。


「どう見てもふたり分の量じゃないよね、この食事」


「う……俺が食べるんだよ……」


 聞かれた俺が断腸の思いで口にすると、メルセデスは顎をつんと上げて続けた。


「ふうん。じゃあ僕の分も追加して運んできてよ。……交ぜてくれるよねふたりとも?」


『ふむ……リヒト、いっそもうメルセデスも引き込むか?』


 急にリリティアが話し掛けてくるので、俺はぎょっとして振り返り……すぐ隣に薄紫色のドレスを纏う彼女の姿があるのに気付く。


 胸のあたりで切り返され、裾が広がったドレスは首周りが広く開いていた。


 ふわりと鼻をくすぐった香りが、俺の思考をめちゃくちゃにしたのは間違いない。


「ひ、引き込むって……そんな簡単に」


 思わず応えてしまって、俺は慌てて口を塞いだ。


 あぁ……やってしまった。


「……引き込む? ……なんの悪巧みかな」


 メルセデスがにっこりと微笑む。


 だよな……そうなるよな……。


「……リヒトルディン。いいのか?」


 ラントヴィーにはリリティアの声は聞こえていないらしい。


 彼が少しだけ首を傾げて聞くので、俺は口元から手を離して頷いた。


 まあ、リリティアがいいって言うんだからいいんだよな……。


「であれば、メルセデス。俺たちと食事するなら正装だ。着替えてこい」


 ところがラントヴィーがそんなことを言い出したので、俺は肩を落とした。


「やめてくれよ……俺も正装じゃないし」


「――ふぅん。いいよ、着替えてくる。リヒト、なんだか不公平だし君も着替えておいてよね」


 さらにメルセデスがさらっと言って踵を返すので……俺はますます項垂れるしかない。


「えぇ……いまから……?」


 もう……なんなんだよ。ラントヴィーに頼んだのは失敗だったかもしれない。

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