ガムルト①
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昼食のあと、念のため予備の鞘を出してダガーを二本とも装備し「さあラントヴィーを訪ねよう」と意気込んだところで、リリティアが「先に屋上に行こう」と言い出したので付き合うことにした。
……今日は天気が良く陽射しも暖かい。空気は澄んでいて遠くまで見渡せる。
王の住まう中央片の背が一番高く、その次が第一から第四片、それより低いのが第五から第九片だから、屋上からは王都を一望することができるんだ。
それだけじゃなく屋上には花壇が作られ、観賞用、食用、薬草など、各片ごとに違う植物が育てられている。
ここ、第二片では主に観賞用の植物が育てられていて、いまもふんわりと甘い花の香りがしていた。
呪いのことなんてなかったら、この景色はもっと輝いて見えたかもしれないな。
護衛の騎士は入口付近で待っていてもらうことにして、俺たちは建物の真ん中あたりにやってくる。
「……リヒト」
リリティアはそこで、王都を眺めながら言った。
「すごいな、昨日までなかった建物だらけだ。……あの鐘の塔……あれは聖堂だな? 神に感謝を捧げる場所――いまも使われているか?」
――ああ、そうか。リリティアはつい昨日まで、何百年も前の景色を見ていたんだもんな。
それを――自分の思う王都を見たくて……ここに来たのかもしれない。
遠くを見詰める蒼い瞳は、どこか切ない光を帯びているような気がする。彼女にとって、ここは『知っているようで知らない場所』なんだ。誰も自分を知る人はなく、取り残されて――。
……そう思ったら息が詰まって胸が締め付けられた。
だから俺は彼女の隣に並んで、その鐘を指す。
「あれは
胸の奥がちくりと痛むけど、嘘は言えない。
俺ははっきりと言葉にしてから、花の香りとともに肺いっぱいに息を吸った。
「これから先は『
「……」
リリティアは顔を上げると、なにも言わずに微笑んだ。
光を受ける白銀の髪は眩しいくらいに輝き――彼女がここにいることを俺は強く意識する。
過去の王の過ちで眠り続けていた彼女を、もうひとりにはさせない……心からそう思った。
俺は王にはなれないけど、王になるアルシュレイを手伝って変えることならできるはず――。
大丈夫だ、なんとかなる。きっと。
「この呪いが片付いたらリリティアが姿を隠す必要もなくなって……そうだ! 今度、市場に行かないか? すごい数の食材や宝飾品が並ぶんだ。他国の物もある。骨董品も並ぶし……」
「――すまないな、リヒト」
「……ん、え?」
「気を遣わなくてもよい。私は
彼女はそう言って……再び視線を戻した。
けれど俺は――気に入らなかったんだ。その言い方が全部。なにを言われてもあまり気にしない楽観的な性格なのは自負しているのに、自分でも意外なほど腹が立った。
俺は横から両手を伸ばしてリリティアの頬を挟み込み、無理矢理こっちを向かせる。
「むぐ⁉」
「安心なもんか! 地下には呪いがぎっちぎちに詰まってるんだろ? この先にあるのは呪われて腐敗する『終わり』だ。繁栄? この景色を望んでいた? 笑わせるなよ。リリティアを贄にしたのは絶対に間違いだし、俺は――」
「……」
驚いたように見開かれている大きな目に、長い睫毛。
「――俺は、その……気に入らない……」
尻つぼみになって、俺はそーっと手を放す。
「す、すまない……ほ、頬を触るとか、失礼だった……な」
自分でやったんだけど、し……心臓に悪い。
早鐘のように脈打って落ち着く気配がないので、俺は必死で深呼吸を繰り返す。
するとリリティアは呆れたように言った。
「まあ確かに頬を挟まれるのは気に入らないな。しかし、お前が照れてどうする……王子であろう? 私が手を握ったときは普通にしていたではないか」
彼女はなにがおかしいのか、やがてくすくすと笑い出す。
笑ってくれるのは嬉しい……と思うんだけど、いや、それとこれとはまた違うんだよ。
「あのときはなんかこう……感動と驚きが先にきたというかなんというか。俺は『出来損ないのリヒト』だから女の子に手を握られるなんて絶対にないと思ってたし……なんとかなるもんだなーってさ」
俺はもごもごと言って両手を上げた。
降参だ。これ以上からかわれたら、たぶんリリティアの顔を見られない。
「ふふ。まあ、お前の気持ちは十分伝わった。――ありがとうリヒト」
「え?」
「いま生きる民を犠牲になどできないからな。『出来損ないのリヒト』などではないことも証明する必要があるだろう? やることは多いぞリヒト。……よし、次はあっちだ。つい昨日までの記憶では、あのあたりが王族の墓所だったのだが」
「……え、あ、王族の墓所……? た、確かにいまも墓だけど王族のではないかな……」
え、どういうことだ?
俺が紅い手袋の嵌まった左手で眉間の皺をぐいぐい伸ばすと、リリティアはふふと笑った。
「慰めてくれたのは本当に嬉しいんだが、感傷に浸っていたわけではないということだ。呪いを浄化するために必要になるかもしれない場所の確認がしたくてな」
……! そういうことか……!
「……それならそう言ってくれよ、最初からさぁ……」
「私としてはリヒトの反応も十分な収穫だったぞ?」
ころころと笑って、リリティアは流れる風に靡く白銀の髪を耳に掛けながら王都を見渡した。
「――リヒト」
「次はなに……もう驚かないからな」
「まあ聞け。昨日会ったばかりのお前に言うのは変な話だが、たぶんいま、私は一番『私らしい』と思う」
「どういうことだ?」
「
「……うん」
「でもいま、私はたったひとり――お前のための
「…………」
その瞬間、俺は絶句しつつ頬にかーっと熱が上るのを感じた。
「いや、あのさリリティア。そういう台詞は、ちょっと……どうなんだろう」
本当に、昨日今日会った男に言う台詞ではないと思う。
うん、きっとそうだ。これは俺の経験がどうとかそういう話じゃないはず。
ところが当のリリティアは俺の顔を覗き込むと、歯を見せて笑った。
「なら誇れ、リヒトルディン=ヴァルコローゼ。この私がお前を認めたということだ!」
「う……」
――わかってはいたけれど、
俺は少しのあいだ、懸命に頬を冷やさなければならなかった。
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