第20話 孫六の記憶②

 帰路についた京堂衆は、たがいの武功を自慢しあって快勝に酔いしれた。

 もちろん孫六も馬上で爽快至極の気分。

 いつになく饒舌である。

 

「しかし膳助、見たか? 上山の者どもが尻尾を巻いて退散する情けないざまを」

「ええ、まったくもって愉快。奴らは孫六様の槍を恐れるあまり、童のようにヒィヒィと泣き喚いておりましたぞ」

「なぁに膳助の弓矢も見事であった。今日は何本外したか?」

「口惜しいことに一本ほど無駄にしてしまいました」

「ほう、さすがであるな。儂などは矢一本も使わなかったというに」

「孫六様には弓など必要ありますまい」


 孫六の評判にかくれがちだが、膳助の弓もなかなかのもの。

 近隣で一二に名をつらねる腕前だ。

 京堂流騎馬兵法では、弓の運用こそ戦術の要でもある。

 膳助はケラケラと軽い笑い声をたてて弓の弦をあらためていたが、とつぜんハッとなにかを思い出した顔になった。 


「――そうそう、そうでした! 混戦のさなか、孫六様のはなった雷電がそれがしの頭上をかすめて行きましたぞ。首を引かなければ危うく串刺しにされるところでした」

「うむ? お主なら避けてくれるであろうと思って投じたまでのこと。それも儂とお主の信頼があればこそぞ」

「なッ……いくらなんでも頭の後ろに目はありませぬ。気をつけられよ!」

「ガハハハハッ、すまぬすまぬ。次は気をつけるとしよう。それにしても――」


 茜の空を見あげ、孫六はかたい熊髭をなでて顔をしかめた。


「腹立たしいのは上山。今年になって国境を侵すのはいったい何度目か? 蝿のようにブンブンとうるさくてかなわぬわい」

「然り。毎度大勢でやってくる割には兵が未熟で相手にもなりませぬ」

「とくに今日はさっさと退散すればよいものを、チョロチョロと寄せては引きを繰り返すのでわずらわしかった」


 膳助は空の弓を構えて弦を引き、ビンとはじいた。 


「昨今、周辺諸家の情勢が不安定。下川も上山も焦っておるのでしょう。一月ほどまえ、下川と洲磨多すまたの国境でも小競り合いがございました」

「ああ、あの鬼洲磨多が下川の若武者に一騎打ちで敗れたという話か。その若造、こんどは儂を討ち取ってやると息巻いていると聞く」

「なんと恐れ知らずな。名はたしか――下川権三郎左衛門しもかわごんざぶろうざえもん。今では鬼権左と自称しておるそうです」

「ほう、威勢がよいな。ともあれ、鬼洲磨多を欠けば洲磨多家中は兵のまとまりを失う。下川が勢いづくのは面倒だ」

「左様にて」


 京堂の郷がおかれた地勢は、なま易しいものではない。

 東に下川領萌賀の郷と国境を接し、南を上山領に挟まれている。

 最近そうなったわけではなく、流動しながら二百年もつづいてきたことだ。

 そもそもかつてこの界隈では、十二家の地侍家がひしめきあっていた。

 やがて時が経つにつれ、下川家と上山家が大きな塊となって諸家を吸収した。

 いま残っているのは京堂家と、下川の北東に位置する洲磨多家のみになった。

 両家は上山と下川に臣従することをよしとせず、下川の頭越しに盟約を結んで独立を保ってきた。

 長らく争ってきたゆえに四家の構図は複雑である。

 まず下川対上山。

 家の規模としては下川のほうがいくらか大きく、兵は甲斐武田の戦でもまれた下川のほうが強い。

 つぎに下川対京堂洲磨多連合。

 下川を挟むかたちで抑止力を発揮してきたが、先のとおり今後が危ぶまれる。

 さらに京堂対上山。

 上山は京堂の九倍近い領地を持っているが、兵のまとまりが悪くて今日のようにとことん弱い。

 なんら恐るるに足らず。

 残る上山と洲磨多の関係は、ずいぶん昔に手を結んだこともあったが、上山が裏切ったので長らく接点が途絶えている。

 膳助が頭を振ってうんざりと吐きすてる。


「近ごろは外で何が起こっているのやら、さっぱりつかめませぬ」

「ガッハッハ、それは儂もおなじこと。物知りで聡明な兄上にすべて任せきりだ」

「なればこそ我らは戦に集中できるというもので」

「左様。頭のよい兄上と我ら京堂騎馬衆があれば、きっとこの難局を乗り越えられよう」


 孫六には六歳上の長兄がいた。

 自慢の兄である。

 名は京堂右近きょうどううこん

 現在の京堂家当主だ。

 右近は孫六とちがって幼少から学問ができた。

 持病があって戦には出られないが、その代わり孫六が陣頭に立つ。

 そうして兄弟で協力して京堂家を守ってきた。

 だが、時は永禄年間のはじまり。

 当地をとりまく外の情勢は流転が顕著だ。

 北東方面では、甲斐武田と越後長尾が一進一退の激しい攻防を繰り返している。

 甲斐武田に臣従する下川はこの潮流に巻き込まれてもいる。

 南東方面では小田原北条と駿河遠江今川が対立し、これに武田と長尾が加わって混戦の様相に至る。

 京において室町幕府十三代将軍足利義輝あしかがよしてる三好長慶みよしながよしの権力闘争もあった。

 数年まえには、西方面の美濃斎藤家中において事変が起こったので孫六も驚いた。

 義龍が実父の道三入道を自刃に追い込んでしまったのだ。

 斎藤道三と誼を通じてきた京堂家と洲磨多家にとって、大変な痛手となったのは違いない。

 いっぽう今川や斎藤と国境を接する尾張では、織田家同士で泥沼の内訌があった。

 乱が乱をよぶ紆余曲折を経て、最終的に尾張守護代家で嫡流だった岩倉織田家いわくらおだけ清洲織田家きよすおだけが相次いで滅んだ。

 生き残ったのは代々守護代家に仕える立場だった奉行家の織田弾正忠家おだだんじょうちゅうけ

 その当主の三郎信長さぶろうのぶなががやっと一族の内紛をしずめた。

 さらに今川と通じて信長の追放を目論んでいた尾張守護の斯波義銀しばよしかねを国外に追放。

 ついに尾張統一をみた。

 斎藤家当主におさまった義龍は、道三の娘婿である信長と対立姿勢をみせている。

 京堂家も無関係ではいられない。

 義龍から参陣するよう圧力をかけられてきたが、京堂右近は近隣不穏を理由にのらりくらりとかわしつづけている。

 孫六は太い指先で熊髭をひっぱりだしながら目を細めた。


「さりとて気になるのは織田の動きよ」

「あの三郎信長という者でありますな?」

「うむ。たいそうな戦上手と聞いた。足軽に三間以上もある長槍を持たせ、鉄砲を大量に揃えているとも聞く。その話を聞いて嘲笑した者もあったが、儂は今どきの戦場の理にきわめて適っておると思う。もし織田と当たるようなことがあれば、我ら騎馬衆にとって厄介な相手となろう」

「孫六様がそのように言われると真実味がありますな……」


 孫六は京堂衆の組頭たちに説いて聞かせる。

 すべて兄から教えられた受け売りではあるが。

 

新九郎殿しんくろうどの(斎藤義龍)は御先代から家督を奪いこそすれ、いま一つ何がしたいのか見えぬ。足利将軍家から一色いっしきなどという名をもらって任官されたのはよいが、近江の浅井家とも事を構え、また他方で織田とも争う。八方を囲まれた美濃にとって、多方面に敵を増やすのは危ぶまれる」

「しかしながらそれは、斎藤今川に囲まれた織田もおなじではありませぬか?」

「左様、その通りじゃ。兄上曰く、今後は何ごとも今川次第とのこと。春先に領内で大水害があったと聞くが、その対応がひと段落すれば大軍をもって織田に攻めよせるであろう。そのときに大勢が見えてから、どこと誼を通じるか決するお考えであられる」


 膳助は思わずうなった。


「さすがは御館様。慧眼をお持ちであられる。――となると織田から正室を迎えた上山は、ちと逸りましたかな」

「儂もそう思う。結句、甲斐武田に臣従する下川と、尾張織田に接近した上山。近ごろ奴らがせわしなく動くのは、外の出来事が影響しているということだ。よく心得ておけ」

「「応ッ」」


 膳助たちの引き締まった顔を見渡したのち、孫六がニヤリと笑った。


「――さて、かたい話はここまでとして。家に帰ったら子と女房を存分に可愛がってやれ。儂も娘の衣都いとの可愛い顔を肴に晩酌して、今宵はおとよを朝まで眠らせぬ所存」

「ハハハ、戦でさんざん槍を振り回しておきながら、朝までもう一戦まみえるとはなんとも剛毅。お豊様も大変ですな」

「うっかり嫁を迎えるのが遅れてしまったが儂もまだまだ現役。勇ましい嫡男も望んでおるゆえな」

「はいはい、止めはしませぬ。卵と山芋でも飲んで頑張りませ。クククッ」


 四歳になる娘の衣都いとは人形のように可愛い。

 歳が二十も離れた女房のとよは、やさしくて麗しい。


「はやくあの二人の顔が見たいものだ――」


 孫六は馬の腹をトンと軽く蹴って、行軍の足なみを速めた。

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