187.魔王子入城


 ――空は闇色に染まり、魔王軍陣地は慌ただしい空気に包まれている。


  戦支度を整えた魔族の戦士たちや、隊列を組んだ夜エルフの小隊が、続々と戦場へ足を運ぶ。


 夜エルフはおろか、魔族たちさえ顔がどこか強張っている。日中に市街地の制圧が進み、魔族戦士の被害の実態が明らかになったからだ。


 市街地に踏み込んだ魔族2百余名のうち、実に60名以上が討ち取られていた。


 砦をめぐる攻防で出た死者がおよそ20名であることを考えると、被害の大きさと魔族たちの衝撃がうかがえる。


(余談だが、魔族戦士の負傷者はもっと多かったが、レイジュ族が主体の軍団であるため、ほぼ全員が即座に完治し戦線へ復帰している。)


 つまり400名の魔族戦士団のうち、昨日の戦いで、80名が即死させられたことになるのだ。この衝撃は大きかった。【転置呪】で回復する暇さえ与えない手練が敵には存在する――


 魔王子ジルバギアスが敵精鋭部隊と交戦し、8名の部下が全滅したことも知れ渡っていた。王子は部下の仇を討つため、単独で敵部隊を殲滅したらしく、その証拠に勇者や剣聖、魔導師たちの死体も多数回収されているが、市街地で多大な被害をもたらした敵勇者が、その中に含まれていたかは不明だ。


 明日は我が身。戦功をあげるためお祭り気分でやってきていた魔族たちは、ここに至ってようやく、真の戦場へと足を踏み入れることになったのだ。元から命がけで、それに付き合わされている夜エルフや獣人はたまったものではないだろうが……。



 欠けた月が見下ろす、王都エヴァロティ。



 中心部の王城には光り輝く巨木がそびえ、城壁にはオーロラのような大規模結界が張り巡らされている。


 すでに、市街各所には攻城用の拠点が設営され、城門や見張り塔に対する火力投射が始まっていた。


「……本当に、おひとりで行かれるので」


 そして、本陣から王都を見下ろしながら、ベテラノス侯爵はかたわらの王子に、今一度問いかけた。


「ああ」


 そっけなくうなずく、魔王子ジルバギアス=レイジュ。すでに白竜の鱗鎧を身にまとい、兜までかぶった完全武装だ。


「せめて、お供のひとりでも。我が配下にも腕利きはおります」

「ありがたいが、お気持ちだけで結構だ」


 にべもなく断られる。


「俺の部下は……冬の間、ともに訓練を重ねた者たちだった。臨時の部下では、俺の魔法の巻き添えを食らってまともに戦えまい」


 ジルバギアスは、遠い目で王城を見やる。


「ひとりの方が、やりやすい。……だから、結構だ」


 鉄仮面のような無表情でありながら悲壮感を滲ませる王子に、歴戦のベテラノスをして、かける言葉が見つからなかった。


「しかし……、殿下の身に万が一のことがあれば、母君に申し訳が立ちません。巻き添えが危険ならば、離れてついていくだけでもよいのです。どうかご再考を――」


 出陣前に縁起でもないが、と無礼を承知でベテラノスは諫言するも。


「万が一のこと? それも『戦場のならい』だろう。これは殺し合いだ、俺が討ち取られれば、それは敵の方が上手うわてだったというだけの話」


 王子は取り付く島もない。


「それに、母上は剛の者だ。戦働きでいちいち俺の身など心配なさるまいよ。今ごろ魔王城でどんと構えていらっしゃるだろう……俺を信じて、な」


 皮肉げに笑うジルバギアス。


「……そういうもの、ですかなぁ」


 これはいくら言っても無駄だ、と悟って、ベテラノスもまた遠い目をした。


「もう充分に戦功はあげられているでしょうに……なぜそこまで」


 思わず、問うた。


 すでに砦を一番に落とし、勇者や剣聖を数多く討ち取り、初陣でなくとも充分すぎるほどの戦果を挙げている。家来が全滅した弔い合戦にしては、あまりにも生き急いでいるように見えた。


?」


 ふん、と鼻を鳴らした王子は。



「――俺は魔王ちちうえを超えたい」



 短く。



 しかし、厳然と。



 鋼のような意志を滲ませ、口にした。





 めらめらと赤く燃え上がる眼差しが、ベテラノスを射抜く。



「――死んでいった、者たちのためにも。……理由として不足か?」



 ベテラノスは、「……いえ」と首を振ることしかできなかった。



「それだけだ」


 話は終わった、とばかりに、風変わりな槍を担いで王子も戦場へ足を踏み出す。


 ――ああ。


 そのときに、悟った。この人物は、やはり自分のように、運良く長生きしただけの凡骨とは違う。


 覇者となるべき人物だ。


 この戦が終われば、彼はまず間違いなく侯爵じぶんに並び、そしてあっという間に抜き去っていくだろう。……生き残りさえすれば。



 しばし瞑目したベテラノスは、ただ一言、「ご武運を」とだけ投げかけた。



 ――その、あまりにも年若く、



 それでいて、不釣り合いなほどに、重い覚悟を滲ませる背中へと。




          †††




 王城をぐるりと取り囲む外壁が、ガツン、ガツンッと衝撃に揺れる。


 城門や見張り塔を狙って、魔族の魔法攻撃や、獣人部隊が運用する投石機が集中砲火を浴びせていた。


 しかし。ヒトがこの世界で行使できる最上級の護りの魔法と、さらに森エルフ導師たちの絶妙な調節で、城壁ギリギリに展開された【聖大樹】の結界が、攻撃を大幅に減衰させていた。


 それでもなお、城壁が揺れているのは恐るべき事実だったが――護りの魔法がなければ、一瞬で瓦礫の山と化していただろう――怯む者は、もう同盟軍には残っていなかった。



「撃て、撃てーッ!」


 城壁の上、兵士たちは果敢に応戦する。足を負傷した兵士が、ニーバン砦からもたらされたクロスボウの射手を務め、他の兵士たちが装填したものを取っ替え引っ替えしながら、接近する敵兵を狙撃していく。


 さらに、民兵たちもせっせと岩や瓦礫を落とし、城壁に取り付こうとする獣人兵の頭をかち割っていった。結界を抜けて飛び込んできた悪魔兵は、みなで一丸となってタコ殴りにし、神官や勇者たちの援護が来るまで必死で持ちこたえる。


「くそっ、ちょこまか動きやがって――あグッ」


 と、クロスボウで狙いを定めていた兵士が、突然仰け反った。その左目に深々と、黒羽の夜エルフの矢が突き刺さっている。即死。周りに装填してもらいながら悠々と射撃しているように見えて、その実、逆狙撃カウンタースナイプを受けやすい最も危険な役回りだった。


「場所を変えよう。次は……俺がやる」


 左腕の欠損した兵士が、歯を食いしばりながら、事切れた兵士の手からクロスボウを拾い上げる。狙撃小隊の兵士たちはうなずき、クロスボウの弦を巻き上げながら、見張り塔の別の窓で攻撃を試みる――



「おらああ喰らええッッ!」


 また、城門の上――『城門塔ゲートハウス』と呼ばれる門扉の真上の構造物――からは、門扉を破壊しようと集まった魔族や夜エルフ猟兵たちに、ザバァッと熱湯が浴びせかけられていた。


「ぎゃわあああァァァァッッ!!」

ッつ! 熱ッちィ!」


 この世のものとは思えぬ断末魔の叫びを上げる夜エルフと、熱さのあまり飛び跳ねる魔族たち、防護の呪文の有無ではっきりと明暗が分かれていた。


 だが、これだけではもちろん終わらない。


「おかわりもあるぞー! どんどん喰らえ!」


 ぐつぐつと煮立った油の鍋を抱えた兵士たちが、ゲス顔で中身を注ぎ落とす。床に空いた穴から、真下の魔族たちへと――


ァァッつ!! ……やべぇ、これ油だ!」

「こんがり焼けろォ!」


 そこに放り込まれるたいまつ。油に引火し、門前は一瞬で灼熱地獄と化した。


「クソがぁぁぁ!!」

「あとで覚えてろよ!!」


 軽い火傷を負い、髪や眉毛をチリチリに焦がした魔族たちが、たまらず毒づきながら撤退していく。ちなみに、それぞれ頭上の人族たちに【転置呪】で火傷の押し付けを試みていたが、聖大樹の結界のせいでことごとく失敗していた。


 自分の足で元気に走り去っていった魔族に対し、魔法の護りがない夜エルフや獣人たちは、門前で折り重なってとっくの昔に事切れている。


「クソッ、油かけて火までつけたのにピンピンしてやがる……」

「これだから魔族ってのはよォ……」


 ぶつくさ愚痴りながらも、鍋を暖炉の火にかけて、次なる攻撃に備えて油や熱湯を仕込んでいく兵士たち。真下は火の海だ、いくら魔族でも氷魔法で冷やすなりしなければ踏み込んでこないだろうし、よしんば踏み込んできたところで、また同じ目に遭わせてやるだけ――



 そう思っていた。



「――ん?」



 だが、兵士のひとりが異変に気づき、床の穴から門扉を見下ろした。パチパチと音を立て、火の手を上げていた下の空間が――



 目を離した一瞬で、完全に鎮火している。



 ――視界に、銀色が一点。



「ごヒュッ」



 ぽかんと開いた口に刃が飛び込んできて、そのまま喉の奥を天井に串刺しにされる兵士。ぶらん、と垂れ下がる死体はまるで悪趣味なシャンデリアだ。そのグロテスクな死に様とは裏腹に、頚椎を砕かれ即死、苦痛は最小限――



「なっ――」



 唖然とする周囲の兵士たち。



 哀れな被害者の口を貫いていたのは――褪せた白色の槍。



 いや。



 その穂先は、剣だ。



 ぐんっ、と槍の柄が伸縮する。



 兵士たちは知る由もない、それが人骨製で、魔族の魔法により自在に変形し、しかも自らの意思を持って、強力に主人を補佐していることなど。




 果たして、槍に引き上げられるようにして。




 白銀の影が床の穴から飛び出す。




 ――は知っていた。




 人族の城において、門扉を守る城門塔には、幾重にも魔法の加護が張り巡らされていることを。




 その魔法抵抗の高さ。そして上から一方的に湯や油を注ぎ、岩や礫などを落とすという単純な攻撃手段から、上級戦闘員よりもむしろ一般兵が配属されやすいことを。




 そして、床に開けられた穴は、の大きさで、鉄格子などは嵌められていないことを。




 ゆえに――高さの問題さえクリアしてしまえば、物理的に攻められると、案外脆いということを――!




「【我が名は、ジルバギアス=レイジュ】」




 ズチュッ、と槍を抜き、死体を払い落とした少年は、告げる。




「【魔王国が第7魔王子にして、貴国に滅びをもたらす者なり】」




 槍が、唸る。




「――我が糧となるがよい」




 次の瞬間、城門塔の守備室は、鮮血に染まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る