153.ふたりの空


 レイラと初めて飛ぶ空は――



「――ぉぁぁぁ」



 キラキラと星がまたたいて――



「ぅゎぁぁぁ――」



 いや、またたくっていうか揺れてて――



「ぅぅぬ――わぁぁぁぁぁッッ!!」



 違う。揺れてんのは俺だ!



 乗り心地が!!!



 やべえ!!!!



「あああぁぁぁぁッッ!」


 俺はレイラの首元に全力でしがみつき、羽ばたきに合わせた乱高下で振り落とされまいと必死だった。耳元でビュゴウゴウと冷たい夜風が吹き荒れる――!


「あははっ、うふふっ」


 そして風に乗って、レイラのはしゃぐ声がかすかに聞こえてきた。俺を乗せて飛べたのが、よほど嬉しいのかな。


 でもちょっと、飛ぶのに夢中になりすぎてるかな……!?


「レッ――レイラ――ッ! レイラ――ッ!!」


 舌を噛みそうになりながらも、俺はたまらず叫んだ。


「あっ、はい!」


 首を曲げてチラッと振り返るレイラ。翼を広げ、滑空に切り替えたおかげで、一時的に揺れが収まる。


「どうですか!? わたしの乗り心地!」


 期待が込められた、純真な乙女のような瞳に、俺は「ウッ」と言葉に詰まった。


「ちょ――ちょっと、揺れが怖いかなぁ!」


 舐めてた。強襲作戦のときに乗ったホワイトドラゴンも大概酷かったが、レイラは気を遣ってくれるだろうから、もう少し揺れが大人しいだろうと踏んでたんだ。


 だけど蓋を開けてみれば、暴れ馬なんてレベルじゃない。ヴァッサァ、ヴァッサと羽ばたくたび、胴体の上下がエグいこと。突き上げられては引きずり落とされ、俺の腕力が試される。


「あっ……ごめんなさい! 揺れてましたか……?」

「う、うん……少し……!!」


 しゅん、とドラゴン顔でも見てわかるほどに気を落とすレイラに、罪悪感が募る。


 ――冷静に考えたら、彼女の飛び方はファラヴギから受け継いだものなんだ……乗り手のことなんて、そりゃ考慮に入ってないはずだよ。


 亡き父から受け継いだものに文句を言うなんて、俺には……! 人間で言えばわざわざ背負って走ってもらってるのに、「もうちょっと揺れないようにできないの?」と不満をこぼしてるようなものだ。失礼すぎる!


「素手はちょっと無謀だったかもしれない――レイラ、首元に骨で輪っかを作って、つけてもいいかい!? それなら大丈夫だと思うから!」


 強襲作戦のときは頑丈なロープで身体を固定してたのに、今は鞍も安全帯もなく、ただ素手でしがみつくだけ。流石にちょっと危なすぎる。


「はい! もちろんです、あなたのお好きなようにしてください……!」


 お言葉に甘えて、人骨を操り、レイラの首元にネックレスのように回す。『仕方がねぇなァ……』と、年かさの兵士の溜息が聞こえたような気がした。


 よし、これで手が固定できたぞ。かなりマシになった。


 レイラも気を遣って、あまり羽ばたかずに滑空してくれている。俺はようやく風景に目をやる余裕ができた。


「おぉ……!」


 月明かりに照らされた、レイジュ領都が見える。闇の輩の本拠地とは言え、ランプが至るところに配されており、下手な人族の夜の街より明るい。


 遥か眼下、森の手前の空き地では、俺たちを心配そうに見上げる夜エルフのメイドたちが豆粒のように見えた。この高さから落ちたら死ぬなぁ、とちょっとビビる。


 だが、それ以上に――俺は感動していた。ドラゴンで空を飛ぶのは初めてじゃないが、レイラに乗せてもらっているという事実に。


 俺は生まれ変わって初めて、自由だった。ドラゴン族の監視の目もなく、闇の輩も今は周囲にいない――


「……レイラ! ありがとう!!」


 思わず叫ぶ。


「このまま、どこまでも飛んでいきたい気分だよ!」


 全てを忘れて、気ままに旅できたらどれだけ気が楽だろう……


「あははは!」


 レイラが可笑しそうに笑っていた。こんなに屈託なく笑うレイラは、初めて見たかもしれない。


「わたしも――同じ気持ちです!」


 その気になれば、どこまでも飛べるだろう。だがレイラは、レイジュ領都から離れすぎずに、旋回を繰り返していた。


「ちょっと揺れますよ!」

「わかった!」


 高度が下がってきたので、再びレイラが力強く羽ばたいた。俺も、しっかりと骨の取っ手を掴み、体勢を低くする。


 ……うん、だいぶん慣れてきたな。けど羽ばたいた反動でレイラの胴体が下降するとき、俺の体が浮き上がって振り落とされそうになるのがいただけない。やっぱドラゴン用の鞍みたいに、ガチッと俺の身体を固定するモノが必要だな。魔王城に戻ったら考えてみよう……


「……綺麗だな」


 高度を上げ直して、滑空へ。今や手を伸ばせば綿雲に触れられそうなぐらいだ。


 この高さには夜鳥だって滅多にいない。俺とレイラ、ふたりきり。風が冷たくて、どこまで澄み渡ったも世界――


「……わたし、実はこんなに高く飛ぶの、初めてです」


 レイラの、ちょっと上擦った声が風に流されてきた。


「お父さんの……記憶には、もっと高いところまで飛んだものもありますけど」


 …………。


「やっぱり……飛ぶのって、気持ちがいいですね……!」


 万感の思いを込めて、レイラが言う。それは、そうだろう。便乗させてもらってるだけでも、こんなに爽快なのに。


 ああ、やっぱりレイラはドラゴンなんだなぁ、と俺はしみじみ思った。


 そして――俺とファラヴギの因縁と、レイラの境遇と、俺たちの数奇な運命に思いを馳せずにいられない。


「……きみに出会えてよかった」


 白銀の鱗に、そっと手を添える。力強い竜の肉体の熱と、躍動が伝わってくる。


 いくら謝ったって、なかったことにはならない。ファラヴギを亡き者にしたこと。


 だけど、それをことあるごとに蒸し返すのは自己満足で、レイラに失礼だ。


 俺が口に出せるのは、感謝と、祈りだけ。


「わたしも……! わたしも、あなたに出会えてよかった……!」


 レイラの声は、震えているようだった。



 ――ひた、と。



 俺の頬に、濡れた感触。



 雨? ……こんなに綺麗な星空なのに。



 そしてすぐに気づいた。レイラの頬を、きらりと輝くものが伝っている――



 だけどそれは、冷たく澄んだ風に、またたく間に吹き散らされていった。



 まるで星屑みたいに――



「…………」



 俺たちはそれ以上、言葉を交わさなかったが、たぶんそれは、その必要がもうなかったからだ。



 俺たちの心は、ひとつだった。



 ゆるゆると高度を下げながら旋回するレイラ。彼女の熱を感じながら、俺は地平の果てを睨む。



 遥か遠く、別世界のように断絶して思えた同盟圏が――すぐそばにあるように感じられた。



 とうとう、レイラに乗ってしまったな。事前に相談もなく独断したから、プラティは怒るかもしれない。



 だが、俺の自由度はこれから跳ね上がるだろう。魔王城に戻っても、『空いた時間に何をするか』に『空の散歩』が加わるのだ。



 色々と……選択肢と可能性が増える。楽しみなようでもあり、未知の領域に踏み出す恐ろしさも感じた。



 それでもやらねばならない。



 俺は、勇者だ。誰が何と言おうと……



 魔王を倒し、人類を救う勇者なんだ!



 着実に、地道に行動に移していこう。



 何はともあれレイラとの空中散歩は、既成事実化してしまえばプラティもとやかく言うまい……




           †††




 そして族長の邸宅へと戻った俺は――



 自省の座に座らされていた。



「……それで、どういうことなのかしら?」



 ソファに腰掛けて、不機嫌そうにトントンと扇子で手を叩くプラティ。



 前言撤回。



 メッチャとやかく言われそうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る