123.一方その頃


 ――ジルバギアスが空気を愛で始めていた頃。


 後続の馬車では、レイラは人族文字の辞書を片手に読書にふけっていた。


「んにゃ……ァ……」

「くぴー……すぴー……」


 対面の座席には、折り重なるようにして爆睡するガルーニャとリリアナ。ふかふかのクッションに沈み込んで、揺れもなく快適そうだ。


 ガルーニャはリリアナにほぼ覆いかぶさられているような状態だったが、その肉体の頑強さゆえか、息苦しさなど微塵も漂わせずによだれまで垂らして夢の中。


「…………」


 そんなふたりを尻目に、難しい顔をしながらレイラは本のページをめくる。


 レイラは最近ようやく基本の表音文字と、いくつかの表意文字を読めるようになったばかりだ。なので今読んでいるような大人向けの恋物語は、読めない字だらけで、なかなか苦戦を強いられている。


(※ここでいう『大人向け』とは『子供向けではない』という意味であり、決して、内容がいかがわしいわけではないので念のため。)


 そしてそんなレイラの救いの神が、ソフィアがこの本のためだけに作ってくれた、魔力文字を焼き付けた簡易辞書だった。レイラが読めないであろう難しめの表意文字が出てくる順で載っており、ルビが振られている。


 おかげで、どうにかこうにか、人族文字初心者のレイラでも読み進められていた。


 現在、親たちの都合で愛するふたりが引き裂かれようとしているところ。レイラはどうしてもヒロインに感情移入してしまい、続きが気になって仕方がない。


「はふぅ……」


 章の終わりまで読んで、熱っぽい溜息をつくレイラ。


 ふと視線を感じて顔を上げると、隣の席で編み物をしていたおばちゃん獣人と目が合う。古株の使用人である彼女は微笑ましげにレイラを見守っていた。


「レイラちゃんはえらいねえ、移動中にまでお勉強してて」


 感心感心、とうなずくおばちゃん。


「あたしは文字が読めないからねえ、レイラちゃんはすごいなーって思うわぁ」

「い、いえ、そんな……」


 勉強というより、恋物語に夢中になっていただけなのだが……そうとは言いづらい雰囲気だ。


「わたしも、早くジルバギアス様のお役に立ちたいので……」


 ちょっと赤面して、しどろもどろに言い訳がましく言うレイラ。


 ただ、まるきり嘘なわけでもない。人族文字が読めるようになったら、色々と便利だろうから、こうして頑張って勉強しているのだ。


 ……そう、、便利だろうから。


「えらいねぇ~。……あたしが言えたことじゃないけど、あの子ももうちょっと、頑張った方がいいと思うんだよねえ、せっかくあたしより頭がいいんだから……」


 と、爆睡するガルーニャに視線を転じ、呆れたように溜息をつくおばちゃん獣人。ちなみにガルーニャとは親戚らしい。


「あーあー、よだれまで垂らして……クッションが汚れたら大事おおごとだよ」

「あっ、そのまま寝かせておいてあげましょう」


 ガルーニャを起こそうとした手を止めて、そっとハンカチでガルーニャの口元を拭いてあげるレイラ。


「……ガルーニャは疲れてるから、仕方ないですよ」


 その寝顔を見つめながら、レイラは言う。


 この頃、ガルーニャは諦めかけていた拳聖を目指して一念発起したらしく、空いた時間にはストイックに鍛錬に勤しむようになった。


 だから、何も出来ない移動時間に、こうして休息するのは正しいのだ。いくら身体能力に優れた獣人といえど、体力は有限なのだから……


みーはご主人さまが自慢に思ってくれるような、立派な拳聖になる!』


 そう言って、側仕えの業務に支障が出ない程度に、身体をいじめ抜いている。その技のキレたるや、レイラをして、ドラゴン形態で殴られてもちょっと痛そうと思えるほどだった。


 ……ちなみに、レイラも護身術をちょっと習っている。ガルーニャとの力量に開きがありすぎるのか、はたまたレイラに人の体を扱う才能がないのか、何もわからないままコロッと転がされるばかりで訓練にもならなかったが。


『ま、まあ、とりあえず即死さえしなけりゃレイラは強いからにゃ……』


 元の姿で暴れた方が強いという身も蓋もない結論により、人化した状態で不意打ちされても即死しないよう、防御や受け身の練習がメインとなった。


「…………」


 緩みきったガルーニャの寝顔を見ていると、ふと、一抹の寂しさが心をよぎる。


 ガルーニャのことは好きだ。ジルバギアスの傘下に入って以来、ずっと優しく親身に接してくれた彼女には、どれだけ感謝してもしたりない。


 だが――


 ジルバギアスの目的を考えるならば。


 いつか、彼女とも……


「…………」


 本を持つ手に、思わず力がこもる。



 ……それでも。



 それでもレイラは、……



 ガルーニャのよだれをもう一度ハンカチで拭ってあげてから、何食わぬ顔で座り直したレイラは、真剣な目で読書を再開した。




          †††




 ――夜エルフたちの馬車は、大きめの6頭立てだ。


 いざというときの野営道具や諸々の荷物を搭載してもなお、余裕のある広々とした造りだったが、10名以上も夜エルフが乗り込んでいると流石に手狭だった。


 そして、そんな夜エルフたちは雁首揃えて、真剣な表情で車内中央のテーブルを覗き込んでいる。


「……これでどうだ!」


 ナイトエルフ猟兵の青年が手札を1枚切ると、「おおっ」と周囲がどよめいた。


「ここで『はらわた』を切るか!」

「大胆な! やるわねえ」

「むぅ……流れが読めなくなってきた……」


 見張りを除く非番全員で何に盛り上がっているかというと、カードゲームだった。数字と絵が描かれたカードを山札から引いていき、手札に揃えた役の点数を競う夜エルフ特有のゲームだ。


「ひゃー、恐ろしくなってきた……迂闊な札は切れないわねー」


 手番が回ってきたメイドが、ぴぅっと口笛を吹いて。


「ま、ここは大人しく、『こゆび』でお茶を濁して、と――」


 手札を1枚切ったその瞬間。


「――ルォン」


 その隣のヴィロッサが、静かに奇声を発した。



 いや。奇声ではない。



 それは『あがり』を意味する、ある種の死刑宣告――



 ヴィロッサが流れるような手付きで、パサァッと手札を開示する。



「恋敵・股裂き・皮剥・鮮血の鷲で3倍殺だ」



 車内の空気が止まった――



 そして一瞬の沈黙ののち、悲鳴のような声が湧き上がる。


「嘘ぉぉ!? 点数たっか!!」

「なんでここで『こゆび』がぁぁぁぁ!!」

「ほとんど手札入れ替えたじゃないっスかヴィロッサさん!」


 驚愕する周囲をよそに、ヴィロッサは澄まし顔だ。


「いったい、どうやってそんな役を――」

「なぁに、場数が違うからな。まだまだ若いのには負けんよ」


 ヴィロッサは飄々と、しかしどこか得意げに。


「さっきからこのヒト強すぎだろ……」

「イカサマ? 誰か見た?」

「剣聖の技で手札すり替えたりしてません?」

「バカいうな、人化しとらんだろうが」


 畏怖と疑念の眼差しを一笑に付す『剣聖』ヴィロッサ。実はこの男、カードゲームの鬼でもあった。


「うぇーん……あたしのデザートが……1ヶ月分がぁぁ……」


 ド派手に負けてしまったメイドが半泣きで証書にサインしている。罰ゲームなしだと盛り上がらないので、それぞれ食事のデザートを賭けていたのだった。


 ヴィロッサは穏やかな微笑みをたたえてそれを見守っていたが、証書をふんだくる手には一切の容赦がなかった。


「よし、それでは……もうひと勝負といくか」

「ひえぇ」

「勝てる気がしねえよ……」

「もう俺が負けなきゃ何でもいいや」


 ワイワイガヤガヤと賑やかに盛り上がる夜エルフたち。


 御者台で見張りをしている夜エルフ猟兵は、その声を聞き流しながらちょっとだけ羨ましそうな顔をしていたが、それは誰も預かり知らぬこと――


 ……そして、羨ましいといえば。


「いやー、ヴィーネも貧乏くじ引いたわねえ」


 山札を切り直しながら、メイドのひとりが言った。


「奥方様と殿下とソフィア様と一緒に詰め込まれるなんて」

「『貧乏くじ』じゃないでしょ、大変に名誉なことなんだから」

「そーよそーよ、あの子が『当たり』を引いたから、皆が泣く泣く譲ったのよ」


 別のメイドたちもそう言ってクスクスと笑う。出発前にくじを引いて、先端が赤く塗られた糸を手に、長い耳を垂らしてしょげかえっていたヴィーネの顔を思い出したのだろう。


「あの子、いっつもくじ運悪いわよねー」

「悪いも何も、アンタがイカサマして引かせてるんじゃない」


 空々しく言いながら山札を切るメイドを、別のメイドが肘で小突く。


「そりゃそうだけど、気づかない方が悪いのよ」


 しかし、悪びれるふうもなく肩をすくめたそのメイドは、慣れた手付きでカードを分配し始める。


「あっ、いま袖に隠しただろ。もっかい切り直せよ」

「チッ目敏いやつ……」


 猟兵の青年に指摘され、舌打ちしたメイドは渋々山札を切り直す。


 イカサマのひとつやふたつ即座に見抜けないようでは、夜エルフ社会は渡っていけないのだった。


 大人数なだけに大盛りあがりな夜エルフ組。目的地に着く頃には、全員が鉄仮面のような無表情で職務に従事するわけだが――


 和やかで楽しい旅路は、今しばらく続く。

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