115.秘密と未練
どうも、不本意ながら拳聖の霊魂を呼び出したジルバギアスです。
『――
興味を惹かれたか、アンテが俺の中で身を乗り出すような気配。
ここに並ぶ彼らは……エメルギアスに討ち取られた連中だそうだ。
この老獣人の遺体は、まるで刃物で何十回と切り裂かれたみたいにズタボロだ。風の刃の魔法だろうか。アイツの魔法を受けて死んだのか……?
イザニス族出身の緑野郎は、血統魔法【伝声呪】を使うことで有名だ。有力氏族のメジャーな血統魔法は、魔族内では広く知られているので、情報の価値は低い。
だが、悪魔の魔法なら話が別だ。
『羨望』のエメルギアス。
いつも不満たらたらで、それを隠そうともしない態度からこう呼ばれているらしいが、ヤツが嫉妬の悪魔と契約しているらしいことと無関係ではないだろう。
再三言っているが、魔族社会は悪魔については割と秘密主義だ。
どの悪魔と契約しているか、その権能や魔法はどのようなものか、公言しないのが常だし、無闇やたらと尋ねないのもマナーとされている。
それでも戦場で活躍すれば自ずとバレることもあるが……よほど見た目がハッキリした魔法でない限り、意外と詳細はわからない。
エメルギアスにも、同じことが言える。
せめて悪魔の名前がわかれば、ソフィアに聞くこともできたんだけどな。
『報告書にも、そこまでは書いておらんかったからの』
そうなんだよなぁ。残念ながら、契約した悪魔の名は公言されておらず、そもそも嫉妬の悪魔と契約していることさえ、確定事項ではない。
話によれば、緑野郎の悪魔の魔法は『凶悪な弱体化』らしいが――
『一口に弱体化と言っても色々あるからのぅ。我が禁忌の魔法でさえ、見方によっては
つまり、実態は何もわからないに等しい。
だが真実の側面であることも、確かなんだろう。緑野郎は初陣を含め、駆け出しの頃から格上の勇者やエルフの魔導師を討ち取ってきた実績がある。
格上殺しを可能とするような、凶悪な性能の魔法なのかもしれない。
……この老獣人の拳聖は、その一端を掴んだのか?
基本的に、魔王子はどいつもこいつも、戦場では周囲を身内で固めている。しかもイザニス族は特に口が堅い。
アイツの手札を知る、またとない好機。これを逃す手はない!
俺は、死霊術師として、口を開きかけて――
「…………」
思いとどまり、口をつぐんだ。
『うぅ……すまぬ……みな、すまぬ……』
か細いロウソクの火のように、ゆらゆらと揺れる、
『こんな、ことなら……ワシも、あの場にとどまって……』
今にも消えてしまいそうな、擦り切れた霊魂がむせび泣く。
『みなと一緒に……潔く、討ち死にしたかった……!』
両手で顔を覆い、深い後悔に苛まれている。
皮肉なことに……その未練が、苦しみだけが、彼の魂の輪郭を保つ拠り所となっていた……
どんよりと曇った瞳には、まだ、俺の姿が映っていない。
だが、ここで不用意に声をかけたらどうなる? 俺を、憎い敵と――魔族だと認識してしまえば。
話どころではなくなる。
そして、この老獣人の魂はあまりに脆い。俺が邪法を駆使して無理やり口を割ろうとしたら、もはや耐えられるかどうか……
そもそも――
俺は……この御仁に……
そんな非道な真似を、したくない……ッ!
『ならば、どうする?』
んなこと、決まってる。
俺は瞳を閉じて、思い描いた――年齢は、今の俺の見た目と同じくらい。髪は銀色のままで、目は黒っぽい感じ、肌の色はちょっと日焼けした感じを意識――
途端に、世界が色褪せる。
背後から「えっ」とクレアの声が聞こえたが気にしない。頭を撫でると、柔らかな髪の感触があるだけで角はさっぱり消えている。
人化の魔法。
「もし、そこの御方。ドガジン殿と仰ったか」
俺は強い意志を込めて、『ドガジン』と名乗っていた拳聖に話しかけた。
『……誰ぞ? 誰ぞおるのか!?』
顔を上げて、周囲を慌てて見回すドガジン。
「ここだ! ここにいるぞ!」
俺の呼びかけに、ようやく――その瞳の焦点があった。
『……人族! なんという僥倖、……いや、ワシは……いったい、どうなって……』
そこで初めて自分の状態に気づいたように、困惑している。
『たしか……ワシは、死んだはずでは……』
「ドガジン殿、落ち着いて聞いていただきたい。あなたはたしかに亡くなった。私は死霊術師なのです」
『死霊術師じゃと!?』
全身の毛を逆立て、にわかに戦闘態勢を取るドガジン。今にも輪郭が崩れてしまいそうな霊魂でありながら、その構えは堂に入るものだった――念の為に張り巡らせた霊魂避けの結界を、拳で打ち破りそうなほどに――
「お待ちくだされ! 私は敵ではない! 聖教会の者です!」
『聖教会、じゃと……!?』
「私のような闇属性をもって生まれた者は、秘密裏に聖教会にかくまわれ、死霊術師として訓練を受けることが多いのです」
『なんと、そのような……』
若干、呆けたような顔でうなずくドガジン。
幸か不幸か、あまり思考は回っていないらしく、こちらを疑う様子はない。
あるいは……俺が
「あなたのご遺体は、戦場から回収された。聞けば、何やら情報を持ち帰られる途中であったとか……」
『そうじゃ! そうなのじゃ! 魔王子エメルギアスの魔法を掴んだゆえ、それをお伝えしたい……!』
結界ギリギリまで身を乗り出して、ドガジンはまくしたてる。
『エルフの魔導師いわく、まず風を操る特異な魔法を使うとのこと。そして、詳しい条件は不明じゃが、相手に声を届けることで相手の魔除けをかいくぐり、能力を奪う呪いをかけられるらしい……!』
…………!!
『ハイエルフの血族たるエルフの大魔導師が、魔力の大半を奪われ、魔法はおろか、ほとんど身動きすらままならん状態にされてしもうた! ……そのため、魔除けの加護を失った我らは、魔族どもの魔法に手も足も出ず……!!』
牙を剥き出しにして、血涙を流すドガジン――
……そうか。ただの弱体化じゃなかったのか……!
『相手の力を奪う、か。嫉妬の悪魔らしいやり口じゃの。相手を極限まで妬むことでその能力を我が物とするわけじゃな。おそらくは、他にも何かしらの条件があるんじゃろう。たとえば声を聞かせることか、あるいは傷でもつけるか……』
にわかに興奮を隠せない俺と違い、アンテは冷静に、情報を反芻している。
「ありがとう! ドガジン殿、それは万金の価値がある情報だ……!」
俺は老拳聖の目を見据えて、心から礼を言った。
「……必ず。必ずやその情報を活かしてみせる。あなた方の仇を討ってみせる!」
『ああ、……ああ……!!』
まるでその場に膝をつくように、ぼたぼたと涙を流しながら脱力するドガジン。
『ああ……これで……ワシの、最期の……務めも……!』
その輪郭がさらに薄れて、ぼやけていく。
『ありがとう、お若い方……ありがとう……!』
両拳を打ち合わせ、拳聖らしく一礼したドガジンは。
『ああ……できれば、ワシも……もうちょっと戦いたかったのぉ……』
最期に、ちょっと無理しながら、飄々とした笑みを浮かべてみせて――
ざらぁっ、と消えていった。
「…………」
結界の中には、もう誰もいない。
……ドガジン殿。
俺の言葉は紛い物じゃない。
必ずや、あなた方の仇を討つ。
冥府でどうか、安らかに……!!
「……王子様?」
と、背後から少女の声。
あっ。すっかり忘れてた。
くるりと振り返ると、クレアが――
「わぁっ、何それ何それーーーっ!?」
目を輝かせていた。
それはもう爛々と。
「王子様が人になってるー!?」
まあ人化の魔法だからね……。
「やだぁかーわーいーいー!!」
そしてクレアは目にも留まらぬ早業で間合いを詰め――人化してるので反応が間に合わない――
俺をひっ捕まえて、頭をナデナデし始めた。
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