110.いつもの中庭
「――んがッ」
どうも、自分のいびきで目を覚ました魔王子ジルバギアスです。
なんか夢を見ていた気がしたが、起きた瞬間に忘れた。よくあるよな。
そういやアンテ、俺が夢見てるときって、お前にも情景見えてんの?
『場合によるのぅ。支離滅裂なイメージやお主の感情だけが伝わってくることもあれば、お主の見聞きしている光景がはっきりと見えることもある。ちなみにさっきは、幼いお主が馬糞まみれになっとる夢じゃったぞ』
うあー辛うじて覚えてるぞソレ、クレアにやられた馬糞落とし穴だ……!!
クソッ思い出したら腹が立ってきたな。今なら魔王子の権力に物を言わせて同じ目に遭わせてやれるが……ジルバギアスの行動にしては脈絡がなさすぎる。
アイツ無駄に勘がいいし、妙なところで前世バレしたくない。ここは我慢だ……!
ついこの間、妙な勘と魔法で童貞バレしかけたばかりだしな!
それにしても、カーテンの外はまだ明るい。
「……わぅ?」
チラッと横を見れば、リリアナが「もうおきたの?」とばかりに俺の顔を覗き込んでいた。
「起こしちゃったか。悪いな」
リリアナのほっぺたを撫でると、目を細めて自分からすりすりと擦り寄せてきた。可愛いぜ。
……ハイエルフの美女が半裸で真横に寝転がってるのに、もうすっかりペット感覚で『可愛い』とか思っちゃうあたり、俺も末期的だな……。
やっぱり心は人族でも、身体は魔族なのか? 肉体に精神が影響されている……?
『人族を善良に評価しすぎではないか? 何にでも慣れるのが人族じゃぞ』
そんなもんか。
にしても、ずいぶんと中途半端な時間に目が覚めたもんだ。
昨日は訓練でヘトヘトになっちゃったから、いつもより早く寝たんだよな。ただ、リリアナのおかげで体力は回復してたから、早めに目が覚めたらしい。
とうとう魔法ありの訓練で、プラティに膝を突かせてやったぜ。プラティの3槍流にも、苦痛の魔法にも、その他の呪いにも、だいぶ慣れてきたからな。
それに対して俺は、死霊術と骨を操る魔法の組み合わせで、年重の兵士の魂の協力もあり、かなり高度な物理防御力を身に着けつつある。
プラティの悪魔の腕と、3本槍くらいなら、もう互角に打ち合いが可能だ。全ての攻撃をかいくぐった俺に、角へのクリーンヒットを叩き込まれ、思わずフラついてしまったときのプラティのめちゃくちゃ悔しそうな顔が印象的だった。
『腕を……上げたわね。恐ろしいほどに、短時間で……!!』
まあ何十年、ひょっとすると3桁に近い年数、鍛錬を積んできた魔族が、5歳児に1本取られたらそりゃ悔しいわな。
それでいて、どこか誇らしげな顔でもあった――
『――じゃあ、今度こそ本気で行くわよ!』
だけど、そこでもうひとつの血統魔法を解禁は大人げないと思うんだ……
『まさか闇を固めて刃にしてくるとはのぅ、おっかないヤツじゃ』
プラティが母方の一族から受け継いだのは、闇の魔力を凝縮して、一瞬だけ物理的な強度を持つ刃に変えるとかいう魔法だった。
地味だけど、プラティほどの槍使いに持たせるには危険過ぎる魔法だ。ギリギリの間合いで攻撃をかわしたと思ったら、ニュッと穂先が伸びて切り裂かれるんだもん。しかもその傷から苦痛の呪いを流し込まれるし。人骨ブロックしようと思ったら魔法防御が足りなくて普通に破られるし……
魔族の引き出し多すぎ問題。『この血統魔法は、あなたの参考にならないから自重してたけど、もうその必要もなさそうね!』じゃねーんだわ。
はい、ボコボコにされました。リリアナがいなければ即死だった……
『じゃが、そろそろお主の母親の底も見えてきたのぅ? 骨の魔法防御がおろそかになっておったのが敗因じゃろ。あとは間合いに余裕を持っておけば、いずれ地力で上回れそうじゃ』
お前さんは見てるだけだからって、簡単に言ってくれるなぁ……!
『極めて客観的な意見じゃ、ありがたがるがよい!!』
アンテがふんぞり返るイメージが伝わってくる……
と、そのとき、きゅるると可愛らしい音が響いた。
「くぅーん」
リリアナが情けない顔をしている。……お腹が空いたのかな? そういえば昨日の就寝前の食事は、俺の意識も限界ギリギリだったから、リリアナにデザートを食べさせてあげた記憶がない。ちょっと足りなかったのかも。
「ご飯にしようか」
「わん!」
今日は早起きしてのんびり過ごそう。久々に日向ぼっこでもするかな。
「おはようございます、あなた♪」
使用人の
「おはよう、レイラ。もう起きてて大丈夫なのか?」
なんか、いっつも起きてる印象があるんだけど、睡眠足りてる? 魔王子心配しちゃうよ……
「はい。このくらいに起きた方が、体調がいいみたいなので」
元気アピールするように、ぐっと両手を握りしめながら、レイラ。
彼女はホワイトドラゴンなので、基本的には日光を浴びた方が調子がいいらしい。なのでこの頃は超早起き(魔族基準)で、昼に活動開始しているそうだ。
「今では個室まで用意していただいて、静かにぐっすりと眠れますから……」
そう言って儚く微笑むレイラの目の下に、もうあのときのようなクマはない。
……ドラゴンの洞窟では、寝ていたらわざと大きな音を立てられたり驚かされたりと、陰湿な嫌がらせをされてたらしいからなぁ。
よく、そんな環境で精神を病まずにいられたものだ。せめて俺の元ではゆっくり休んでくれ……!!
というわけで昼食。うん、文字通りの
「わふ、わふ!」
リリアナも、口の周りを果汁でベタベタにしながら、果物の盛り合わせを頬張って嬉しそうにしている。夜エルフの使用人はみなお休み中なので、心なしかリリアナもいつもよりのびのびとした雰囲気だ……
リリアナもハイエルフだから、日差しを浴びた方がホントはいいんだよな。
昔はよく日焼けしていたのに、今じゃすっかり色白になっちゃって……
「ちょっと散歩にでも行こうかな。レイラも来るか?」
「はい、喜んで」
「わぅん! わんわん!」
さんぽ、という言葉に喜んで、リリアナがはしゃいで飛び跳ねている。
レイラも一緒に、のんびりと静かな昼下がりの魔王城を歩く。
出会うのもほとんどが獣人の使用人たちで、傍らには人の姿のレイラと、はしゃぐリリアナと。
……リリアナの四肢が欠けていること、そして俺自身が魔王子であることに目を瞑れば、まるで魔王城じゃないみたいだ。
そんな城で昼にのんびりする場所といえば、やはり中庭だろう。
この場所、いっつもエンマと出くわしてばかりだったが、あいつは死体除去のために前線に出てるからな。まだ帰ってきてない、はず。
今日はのんびりできるだろう。
「わんわん!」
おひさまを浴びて、リリアナが芝生の上ではしゃぎ、走り回っている。俺はレイラと一緒にベンチに腰掛けて、それを見守っていた。
そろそろ秋も終わりが近づいてきたが、まだまだ陽光は温かいな。今年の冬はどうなるんだろう。魔王軍も流石に侵攻を止めるだろうか……。
「…………」
こてん、とレイラが俺の肩に頭を載せてきた。
おぉう。思わず周囲を気にしてしまった。見られるのが嫌なんじゃなくて、誰かが見ているからこそ、仲の良さをアピールするためにやったのかと思ったんだ。
だが――この時間の中庭には、やっぱり誰もいなかった。
はるか上空をドラゴンの編隊が飛んでいったくらいだ。
「……お嫌、でしたか?」
俺の緊張を悟ったか、レイラがすぐに頭を離す。
不安そうな、申し訳無さそうな顔――
「そんなことはない」
俺は即座に首を振った。
「嫌なわけがない」
そりゃーそうだろ。
『ふん!! だらしなく鼻の下を伸ばしおってからに!!』
仕方ねえじゃん! だって……レイラもすごい可愛いし。
なんか、こう……リリアナみたいに
『つくづく良い御身分じゃのぅ……というかお主……』
ん、どうした。
『いや、いい……』
なんだよ、奥歯に物が挟まったみたいで、アンテらしくもない……
「その……」
おっと、レイラがまだ不安そうな顔をしている。いかんいかん。
「ちょっとびっくりしちゃったのさ」
俺は微笑んで、レイラの肩を抱き寄せた。「あっ……」と逆に、びっくりしたような顔をしたレイラだったが、すぐに身を預けてきた。
温かい……。
こうして、平和にのんびりと過ごせているのが、信じられないくらいだ。
今ばかりは、魔王国やドラゴン族の未来についてとか、そんなことは話さず、思い出さずに、静かに浸っていたい気分だった。
視線の先では、芝生に寝転がったリリアナが、全身で日差しを浴びながら秋の花を眺めている……
大丈夫かな……あれ、確か毒があったけど……リリアナなら平気かな……
「…………」
レイラは半分目を閉じて、口の端に微笑みを浮かべている。
「……眠かったら、寝ていいよ」
「あ、大丈夫です。眠いわけじゃなくって」
ちょっと恥ずかしそうに笑うレイラ。
「睡眠時間は足りてるんだよな? 無理はしなくていいからね」
「はい。ありがとうございます」
「なんだったら、夜も早めに上がっていいから」
「それは……」
ちょっと、眉を困ったようにハの字にして。
「…………だけ……がぃぃです」
「え?」
「……できるだけ、一緒の方がいい、です……」
…………。
レイラが頬を染めているが、俺も負けず劣らず顔が熱い。
な、なんてことを……なんてことを言ってくれるんだこの娘は……!!
『かーッ! なんじゃその顔は! そんなんじゃから童貞がバレるんじゃ!』
うっせー! それは関係ねえだろうがよ!!
だがアンテの茶々のおかげで、どうにか我に返れたぜ。
「そ、そか……」
とはいえ、そう言ってうなずくのが精一杯だったが――
ザッ、と。
背後で足音がした。
「これハ、これは」
どこか――金属が軋むような声。
「ジルバギアス殿下ではござイませんか」
振り返れば、回廊の日陰から滲み出るように、全身真っ黒の偉丈夫。
氷のように冷たい青い瞳が、俺を見つめている――
「お久しぶりですナ。ご機嫌麗しゅウ」
闇竜王オルフェンが、そこに立っていた。
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