93.再会、そして


「防護の呪文もかけておく。一応、念のためにな。お父上がきみに害を加えるとは思えないが……」


 ジルバギアスがレイラにも護りの魔法をかけてくれた。


「死者の気持ちをなだめる魔法。防音の結界。ついでに扉にも防護の呪文をかけ直して、と……骨の結界も大丈夫かな。ヨシ!」


 念には念を入れ、指差しながら最終確認している。その気遣いの細やかさたるや、毎度のことながら、とても王子とは思えなかった。


「……どうして」


 レイラは思わず尋ねていた。


「どうして……そこまで、してくれるんですか」


 ジルバギアスが『善いひと』なのは、痛いほどわかっている。


 でも、ここまでする義理はないはずだ。レイラを厚遇しているだけで、充分なはずなのに。


 今回の一件だって、自分には黙っておけばよかっただけの話だ。


 いくら(おそらく不本意ながら)自分が殺めたドラゴンの娘だからといって、その償いにしては過剰としか思えなかった。


 彼は、魔族の王子だ。やがては魔王国を統べるかもしれない存在だ。


 自分のような取るに足らない小娘に、なぜこうも構ってくれるのか。レイラはどうしても理解できなかった。


「…………」


 レイラの問いに動きを止め、苦しげに表情を歪めるジルバギアス。


 なんでだろう。まるで胸にナイフでも突き入れられたような顔。


「俺が、アンデッドにしたって話は聞いたかな」

「……はい」


 ジルバギアスの一派で、それを知らぬ者はいない。プラティによって箝口令が敷かれているので、よそには漏れていないはずだが。


 ――話そうとしたはいいが、どう言ったものか迷うような素振りで、ジルバギアスは頭をかきながら遠い目をする。


「……彼女といると、正直、楽しい。生前から明るくて、人懐っこい人物なんだなとわかった。だけど……」


 その瞳に暗い影が差す。


「彼女は、明らかに変質していた。元の……人族とは思えないほどに。死霊術ってのは、そういうものなんだ。喪った人を現世に呼び戻すことはできても、生前そのままではいられない……」


 だけど、死からそれほど時間が経っていなければ。


「その変質も、最小限に抑えられる」


 ジルバギアスの視線が、ためらいがちに、レイラに移る。


「……本当は、全部、にした方が、お互いにとっていいかもしれないとも思った」


 レイラは息を呑んだ。


 それはまさに、先ほど自分も考えていたことだったから。


「だが――見て見ぬ振りをすれば、その機会は永久に失われる。生前に限りなく近いお父上との再会は、やはりきみにとって、かけがえがないものだと……」


 そう思ったんだ……と消え入るような声で。


「…………」


 あくまでも……本当に……自分のことを思っての……


「あ……」


 ありがとう、の言葉を出そうとして、まだ喉が詰まる。


 ――言わなければ! レイラは焦った。そも、ジルバギアスは潜伏していた父に運悪く遭遇しただけで、先に襲いかかったのは父だったと聞く。


 出かけた先で反逆者に襲われたところを、撃退しただけなのだ! 父が殺されたのも自業自得と言っていい。それなのに、その反逆者の娘に、これほどの気遣いをしてくれている。


 礼を言わなければ! 本当の恩知らずになってしまう……!


「あり、が――」

「無理しなくていい」


 が、ぽん、と軽く肩を叩かれた。


 顔を上げれば、ジルバギアスは申し訳無さそうに、本当にかすかに、笑って。


「……わかってる」


 そう一言つぶやき、骨粉の結界に向き直った。



「いくぞ」



 ぞわっ、とその身体から、闇の魔力がほとばしった。


「【アオラト・テイホス・ポ・ホリズィ――】」


 朗々と詠唱するジルバギアス。


 霊界への門が、開く。


 骨粉の結界内で世界に穴が穿たれたのを、レイラはおぼろげながらに知覚した。


「【イニリエ・ンエ・ウオス・ファパナ――】」


 そして、果てしない門へと、闇の魔力の手を突っ込んだジルバギアスは。


「【ファラヴギ】」


 その名を、喚んだ。




 ――来る。




 


 懐かしい気配を感じる。


 だけどそれは、同時に、どこまでも荒々しく――


 不可視の霊界の門から溢れ出す、突き刺さるように押し寄せる、危機感。





 





『――ガアアアアァァァァァッッッ!!!』





 レイラの知る父とは似ても似つかない、どす黒い闇の魔力を纏った竜の首が、霊界の門から顔を出した。


 そのままジルバギアスに食らいつこうとして、即座に結界に阻まれる。竜の体ゆえ全身を出すことは叶わず、悪趣味な竜の生首が出現したようにも見えて――レイラは思わず、口元を手で覆った。


「ぐうぅぅ――ッ!」


 防護の呪文を唱え直したジルバギアスが、結界に闇の魔力を注ぎながら呻く。


「――早く! レイラ! 抑えきれない!!」


 必死で言われて、レイラもハッとした。


 震えている場合ではない!!


「お父さん!」


 レイラは声を振り絞って、父の霊に呼びかけた。しかし――


『ガァァァァアアアァァッ!!!』


 ガチン、ガチンと結界を突き破らんばかりの勢いで、顎を鳴らしている。


 まさに狂乱状態。


『殺す貴様だけハ絶対に殺ス殺すコロス――ッッ!』

「お、お父さん!! 私だよ!!」

『グガアアァァァッッッ!!』


 ビリビリと部屋の空気が震える。実体のない存在とは思えないほどに。霊魂を封じる結界の前に、防音の結界の方が破れてしまいそうだ――


『皆ヲ返せ! 妻を返せ! 魔族モ、闇竜どもモ許せん――ッ!』


 理性なんて、欠片も感じられない瞳で、ジルバギアスを見据えたファラヴギが大口を開く。


『ガァァ――』


 まずい。


「ブレスを吐こうとしてる!!」


 額に汗を浮かべたジルバギアスが、上擦った声を上げた。


 そんなことをしたら、闇の魔力に輪郭を与えられた霊体でありながら、光のブレスを吐きでもしたら――


 霊魂が消えてしまう!!


「お父さん! わたしだよ!! 聞いて!!」


 必死で目の前で手を振り、気を引こうとするレイラ。しかしファラヴギはまったく意に介さない。


 自分が人の姿だからか?


 こんなに呼びかけても、気づいてくれないのか?


 理性を失って荒れ狂う父の姿、死霊術の虚しさ、悲しさ、そういったものが一気に押し寄せて――レイラは半泣きだった。


『アアアァァァッ皆を――ッ、レイラをッ、娘を返セ――ッッ!』


 が、あろうことか、本人を前にしていながら、レイラの名まで呼び出す始末。


「お父、さん……ッ! わたしだって、言ってるじゃない!!」


 やるせなさと無力感が限界を突破し、レイラは――



 カチンと来た。



 そういえば生前から、父にはこういうところがあった。


 肝心なところで抜けている上に、人の話を聞かない――!!


「その娘が、目の前にいるでしょ!!」


 涙目でファラヴギを睨むレイラ。こみ上げてくるものがあった。


 そんなだから、そんなことだから――!!




「――お父さんのバカァッ!」




 レイラの魂の叫びと同時に。




 ぼわっ、とささやかな光の魔力が放射された。




 レイラの口から。




 結界を突き破った光の魔力のシャワーが、ファラヴギの霊体にふりかかる


 ジュワッ! と灼けた鉄に水を浴びせたような音。『グワッ!』と仰け反って悲鳴を上げるファラヴギ、「ええっ!?」とレイラを振り返るジルバギアス。


 そして何が起きたかわからないという顔で、口を押さえるレイラ。


「……ドラゴンって人化してもブレス吐けるのか!?」

「さ、さあ……?」


 目を丸くするジルバギアスに、レイラは困惑しながら首をかしげた。


「いや、『さあ』っていうか……」


 今のブレスじゃん……と半ば呆然とつぶやくジルバギアス。


 たしかに……赤ちゃんドラゴンのそれみたいな弱々しいものだったけど……


 人化した姿でブレスを放つなんて聞いたこともなかった。レイラはジルバギアスと顔を見合わせる。


『……レイ、ラ……?』


 ――と。


 金属のきしむような声。


「……お父さん!?」


 見れば、父の霊が結界内で、寝ていたところを叩き起こされたような顔でふるふると頭を振っていた。顔面から、ブスブスと焼け焦げたような、闇の魔力の煙を立ち昇らせてはいたが――


『レイラ、なのカ? その声ハ……』


 概ね、正気に戻っている。信じられない、とばかりにレイラを見つめてきた。


「そうだよ! お父さん……よかった……」


 へなへなと力が抜けて、床に尻もちをついてしまうレイラ。


『ここ、ハ……?』

「魔王城だ」


 一歩前に出て、ジルバギアスが語りかける。


「俺がお前の霊魂を、死霊術で呼び覚ましたんだ。白竜の長、ファラヴギよ」

『っ貴様ハ……!』


 牙を剥き出しにして唸るファラヴギ。


 いつ、また怒り狂い始めるか、とレイラは気が気でなかったが――父は敵意を露わにしつつも、どこか困惑しているようにも見えた。


 たった今まで霊界で眠っていて、それを引きずり出されたのだから、無理ないことだとは思うが――



 いや、それにしては。



 何か、困惑の質が――違う……?



『――魔王子ジルバギアス、であったカ』



 先ほどの狂乱ぶりが嘘のように、どこか慎重に口を開くファラヴギ。



「……そうだ」



 緊張した面持ちでうなずき返すジルバギアス。



『……どういうことだダ』



 ボソッ、とつぶやくようにして、ファラヴギが言った。



『我は、最期に見たぞ、ジルバギアスよ』



 ……何を? と小首をかしげるレイラの横で。



 ジルバギアスが、身を固くしたのがわかった。



『貴様、魔族であろウ。それなのになぜ――』



 怪訝そうに目を細めながら、ファラヴギは問う。





『――使?』

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