50.狩場へご案内


 リリアナの頭を撫でながら本を読んでいると、馬車が緩やかに減速していることに気づいた。


「着いたようですね」


 ぱたん、と自らも本を閉じてソフィア。


 馬車の窓から顔を出すと、コルヴト族の舗装が途切れて、土がむき出しになった道の先に山がちな寒村が見えた。


 どうやら、脱走ゴブリンが目撃されたという、砦の近くまでやってきたようだ。



 ――これまでの旅路はのんびりしたものだった。



 馬車の中では読書したり、ソフィアに呪文を習ったりしていた。ほとんど揺れないから文字を目で追っても酔わずに済み、ソフィアのレッスンのおかげで、念願の防音の結界も使えるようになった。


『これで内緒話も、いかがわしいことも、やり放題じゃな』


 いかがわしい言うな。――だが防音の結界はこれからも重宝するはずだ。


 そして野営時はガルーニャと組手したり、ヴィロッサに稽古してもらったりで体が鈍るのを防いだ。猟兵に森歩きの技を習ったり、剣を振ってみたりと、有意義な時間を過ごせたと思う。


『――殿下は筋が良い。初めて剣を握ったとは思えません』


 ヴィロッサは褒めながらも、ひどく口惜しそうだった。


『もしも殿下が、今のご身分でなければ――ぜひとも本格的に剣術を学んでいただきたかった』


 俺は手抜きをして剣を扱ったのだが、それでもヴィロッサクラスの達人となると、ひと目で力量を見て取れたらしい。


 さすがに、教えてもいない剣術をすでに身に付けているとまでは想像できなかったみたいだが。俺の剣の腕を『天賦の才』と解釈したようだ。魔族の王子でさえなければ本格的に剣の道を――というのは、ヴィロッサにとって最大級の賛辞だろう。


 俺も立場上、本格的に剣術を習うわけにはいかなかったので、俺は槍で、ヴィロッサは剣で、かなり実戦に近い立ち稽古をやった。


 やっぱヴィロッサ強えよ。魔法抜きだったら、今の俺じゃとても敵わねえ。


 純粋な槍の技量だけでも、五分に戦えるようになりたいもんだ。何年かかるかわからないけど。




「――ようこそお越しくださいました、王子様」


 皆を引き連れて村を訪ねると、村長と思しき年老いた獣人が俺たちを出迎えた。


 ブチ模様の猫っぽい顔の獣人だ。こうしてみるとガルーニャって由緒正しい一族の出身なんだな、と思う。なんというかこの村の住民は……雑種っぽい。


 住民たちの衣服は質素で、同盟圏の田舎村より数百年は文明が遅れていそうな印象を受ける。だが皆、健康そうで毛並みも悪くない。周囲は豊かな森に囲まれ、申し訳程度に畑もある。聞けば耕作よりも狩猟がメインらしく、食うには困っていなかったそうだ。


 だが最近、廃墟化した砦でゴブリンが目撃されるようになり、獲物の数もめっきり減って、森が踏み荒らされるようになった。


「十中八九ゴブリンの仕業だろうと、男衆を砦へ送ったのですが――」


 村長は悲痛な表情で俯いた。屈強な村の男たち10人が討伐に出向いたのだが――誰ひとりとして帰ってこなかったらしい。


 しびれを切らして様子を見に行った者も戻らず。結局、次の日に村長が手勢を引き連れて臨戦態勢で偵察に向かったが――


 戦場勘というべきか。老兵として、いくつもの戦場を生き延びてきた村長は、砦に踏み込む寸前に何か異様な胸騒ぎを覚え、村長の一存で皆を押し留め、そのまま引き返したのだという。


「臆病風に吹かれた、と取られても致し方ない、惰弱極まる体たらく。しかし全てはこのわたくしめの責任にございます。どうか、村の者たちには平にご容赦願いたく、伏してお願い申し上げます……!」


 村長は地面に額を擦り付けんばかりに平伏している。


 ……村人たちの顔がどことなく暗いのはそのせいか。


 ってか気楽な脱走ゴブリン狩りかと思ったら、なんか思ったより深刻そうな雰囲気じゃない? 大丈夫かプラティ?


「報告書で読んだ話と食い違うのですが……」


 ソフィアが不機嫌そうに目の下をピクピクさせている。おいおい、あんまり脅かすなよ。村長ビビってんじゃねーか。


「結局、森に異変が起きてから、砦に入って帰ってきた者はいないということか?」

「恥ずかしながら、その通りにございます……」

「ふーむ」


 たとえゴブリンが大量繁殖してても、それなりに鍛えた獣人の男が10人全滅ってのは考えにくいんだよなぁ。 


 男たちが逃げ延びることもできないくらいゴブリンが増えていたなら、今頃この村も何かしら被害を受けていただろうし……


「妙な感じがするな。それともこれもだと思うか?」


 俺はソフィアに意見を求めた。


 軍事行動には何かしらの『予定外』がつきものだ。この演習で俺を鍛えるために、プラティがちょっとしたサプライズを用意していた可能性もゼロではない。


「あまり……奥方様らしくないやり方かとは、思います」


 ソフィアも違和感を覚えているようだ。そうなんだよなー。俺も、なんかプラティっぽくはないと思うんだ。


「俺が予定外の事態にどう対処するかを見るなら、こういうやり方しかないんだろうが……」

「しかし奥方様が、この状況を狙って演出するのは難しいかと」

「そこなんだよなぁ」


 本当に、演習ですらない不測の事態の可能性が出てきたな。村長が、俺たちを不安そうな面持ちで見ている……


「単純に書類の不備だったりしないか? 来る場所を間違えたとか」

「ホブゴブリンの仕事ですからね……ないとも言い切れません」


 ぐぬぬと唸ったソフィアが胸元からずるりと書類を引っ張り出して、目を皿のようにしてチェックし直している。文面を完全に記憶してるソフィアには、ほとんど意味のない行為だと思うが。


「村長。この村の名前は」

「カコー村にございます」

「むぅ。同名の村は魔王国内には存在しないはず……念のため、この村が開墾されたのはいつ? 去年の段階での人口は?」

「え、ええと、お待ちくだされ……」


 何やら村長を尋問し始めたソフィアを見守っていると、「殿下」とヴィロッサが小声でささやきかけてきた。


「麾下3名、行動可能にございます」


 ヴィロッサ他、ナイトエルフ猟兵2名。たとえ脱走ゴブリン狩りであろうと、万全の体制を期していた彼らは、完全武装でいつでも動けるようにしていた。


「周辺と、森の偵察を。砦は軽く見てくる程度でいい」


 俺はニヤッと笑ってみせた。


「何かいたとしたら、それは俺の獲物だからな」

「仰せのままに」


 一礼したヴィロッサが、猟兵とともにスッと夜の闇に消えていった。気配も息遣いもなく、足音はおろか衣擦れの音さえ立てない――


 悔しいが、夜エルフはこういう状況だとクッソ頼りになるな。


「さて……」


 俺は、街道を振り返る。プラティいわく監視と護衛の者もついているらしいが――レイジュ族の戦士とかだろうか?


 いざとなったら、使用人の誰か――ヴィーネあたりかな、確か火魔法が使えたはず――に火の玉を空中に放たせて、護衛の者たちと連絡を取ってもいいが。


 もしかしたらこれも試練の一環な可能性も捨てきれないし、初めての演習で早々に助けを求めるのもみっともない気がするし。


 護衛の者、レイジュ族の戦士に王子としての資質を疑われるようでは、それはそれでまずいんだよな。


『おっ、とうとう本格的に魔王を目指す気になったかの?』


 アンテがからかうように言う。いやそうじゃねーよ。母方の一族に侮られたらそれはそれで面倒なことになるなって話だよ。


 俺がレイジュ族を利用する分には構わないが、レイジュ族が俺を甘く見て利用してやろうなんて干渉し始めたら鬱陶しいだろ。


 そんなことをつらつら考えながら、周囲を見渡す。


 村から森を抜けた小高い山の上、おどろおどろしい石造りの廃墟が、夜空を背景に佇んでいる。


 いずれにせよあの砦には、それなりに強い獣人を10人、ひとりたりとも逃さない程度の脅威があるのは確かなんだ。


 魔獣か、それともはぐれのアンデッドあたりか……


『何がいようと、あのヴィロッサとかいう男ひとりで片付きそうな気もするがの』


 ……ぶっちゃけ俺もそう思う。


 ま、滅多なことは起きないだろう。


 リリアナとガルーニャでも愛でて暇を潰すかな。



          †††



 ――30分ほどで偵察を終えて、ヴィロッサたちが戻ってきた。


「森や砦周辺にうろついていたゴブリンを、何体か無力化しました。どの個体も洗脳か魅了を受けている形跡がありました」


 何やら不穏なことを告げたヴィロッサは、ここで口をつぐんだ。


「そして砦についてなのですが……はっきりしたことは言えませんが」


 彼にしては珍しい、迷うような口ぶり。


「何か……人族が潜んでいるような気配を感じ取りました」



 ……は?

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