47.楽しい遠足


 リリアナを救い出してから数日。


 プラティの計画通り、俺は脱走ゴブリン兵の殲滅に向かうことになった。


 目的地は魔王城から南、馬車で2日ほどのところにある廃墟化した砦。


 周辺住民(獣人の弱小部族)から、ゴブリンが大量繁殖しつつあるかもしれないと通報があったそうだ。


『今回の演習の目的は、陸路の旅を経験し、戦術目標を達成して、手勢とともに無事帰還することよ』


 つまり、ちょっとした部隊行動ごっこというわけだ。『ごっこ』と呼ぶには本格的すぎるが。


 ドラゴンを飛ばせば数時間の距離ではあるが、今回は(魔王子として)通常の部隊行動を想定し、馬車で移動する。


 引き連れる手勢は、主にソフィアやガルーニャをはじめとした従者に使用人たち、そしてナイトエルフの猟兵たちだ。


 彼らは、俺がシダールとの取引で治療を引き受けた者たちでもある。



『――限定的な私兵化と、情報提供にございますか』



 俺が提示した対価を、シダールは意外そうな面持ちで受け止めた。もっとふっかけてくるかと思ったらしい。


『そう楽な話じゃないぞ。私兵化に関しては、せっかく拾った命を危険に晒す羽目になるかもしれん』

『殿下のご助力なくば拾えぬ命と考えれば、妥当にございましょう。しかし諜報部隊の情報につきましては、殿下のご身分であれば、普通に報告書を請求することも可能にございますが――』


 よろしいので? とシダールは律儀に確認してきた。治療の対価にするほど価値があるもんじゃないよ、と。


『構わん。現場の生の声が聞きたくてな』


 確かに、報告書を読めば、諜報で得られた情報は事細かに把握できる。しかしまでは書いてないのだ。


 俺が知りたいのは、同盟の裏情報じゃなくて、それらが流れるに至った諜報網そのものなんだよな。


『であれば――今回、殿下に治療をお願いしたい者の中に、工作員がおりますれば。彼の者から存分に、お望みのものを得られるかと』


 まさに俺が求めていたそのものだ。素晴らしい。幸先がいいじゃないか。



 そうして、俺が治療したナイトエルフは3名。



 腹をざっくりとやられた瀕死の若い猟兵(女)、胸を剣でひと突きされ意識不明の猟兵(男)、片足が千切れかかった工作員(男)。


 特に、工作員は魔族に匹敵するほど強大な魔力を誇る男で、相当な手練てだれだとひと目でわかった。


 こいつ治療したくねぇな……と自らの安請負を少し後悔したよ。現場に復帰したら間違いなく、同盟に災いをもたらす男だからな。


 この工作員は本来ならば、レイジュ族の治療枠を優先的に振られてもおかしくない傑物だ。しかし、今は前線で動きがあったせいで、他にも大勢負傷者がいるらしい。


 すぐにでも治療しなければ死んでしまう重傷者と、命に別条はない代わりに、片足が腐れば工作員としての価値を失う男。どちらを優先すべきか、ナイトエルフの指導層はなかなか難しい判断を迫られていたそうだ。


 そんなときに手を差し伸べたのが、俺だったというわけだ――


『ジルバギアス殿下に、心からの感謝と忠誠を』


 治療を受け、元気ハツラツになったナイトエルフたちは、俺の前にひざまずいて頭を垂れた。


 俺が転置呪で傷を引き受け、血反吐を吐いたり脚がもげかけたりで七転八倒する姿を目の当たりにしたからな。魔族の王子がわざわざ体を張ってまで助けたのは、彼らの心の琴線に触れたらしく、ナイトエルフらしからぬ上辺だけではない誠意ある態度だった。



 ――執念深い策謀家で油断ならないけれど、義理堅くもあるわ。



 プラティの声が蘇る。俺は複雑な心境だった。


 それでも……前世の俺のおふくろを殺したのは、ナイトエルフなんだ……。



 ともあれ、そんな手勢を引き連れて、俺は魔王城を出発した。



 今回、プラティは魔王城で留守番だ。前線での動きがあった影響で、急患に備えて待機する必要があるらしい。


『あなただから言うけど、監視と警備の者は別につけてあるわ。それでも気負わず、思うようにやってみなさい』


 監視下とはいえ、プラティの手から離れて初めての遠出になる。魔王城を出るのもダークポータルに行って以来か……



 地形をほぼ無視して真っ直ぐに伸びる夜の街道を、馬車で突っ走る。



「この馬車という乗り物は、なかなか乗り心地がいいな」


 俺はまるで初めて乗ったかのような口ぶりで、窓の外を眺めながら言った。


 悔しいが、前世で乗ったどの馬車よりも快適だ。何せ揺れがほとんどない。


「人族の書物で読んだ限りでは、もっと揺れが酷い乗り物かと思っていたが」

「人族の馬車とは違う特別仕様ですからね」


 ゆったりと広めの客室。俺の対面に座るソフィアがしたり顔で頷いた。


「客室と車輪の間に、金属製の箱があったことにお気づきになられましたか?」

「あそこに何か仕掛けが?」

「はい。内部に特殊な加工を受けたスケルトンたちが入っており、衝撃を吸収・制御しているそうです」

「…………」


 俺は落ち着きなく身動ぎした。乗り心地はいいが、一気に居心地が悪くなった。


「ちなみに死霊王リッチのエンマという者の発明です」


 あいつかー……。


 さらに言えば、馬車を引いているのも生きた馬ではなく、スケルトンホースだ。日光を浴びても浄化されないよう、骨部分は黒革や遮光布などで厳重に覆われている。


 日中は動きが鈍るという弱点があるものの、スケルトンホースは闇の魔力さえ提供すれば、疲れ知らずで動き続ける。その規格外な輸送力が魔王軍の兵站を支えているのだ。


「それと、コルヴト族の手で拓かれた街道ですね。普通の石畳の街道と違い、継ぎ目や段差がほとんどないので、さらに揺れが少なくなっているのです」


 このあたりの街道は全て、土属性に長けるコルヴト族が魔法のゴリ押しで作り出したものだそうだ。土石を魔力で押し固めた道は恐ろしく滑らかで、魔法抵抗さえある代物。数年おきに魔力を注ぐなどして手入れする必要があるものの、魔王軍の輸送力向上に多大な貢献をしている。


 そして、そんな状態のいい街道を爆走する馬車でも、目的地の砦までは2日かかるわけだ。けっこう遠い。


「くぅーん」


 ぽふっ、と俺の膝に軽い感触。


 ワンピースを着たリリアナが、寝転がって甘えてきている。回復要員として今回の演習にも連れてきたのだ。


 監視の必要がある人族の奴隷よりも、世話に手間がかからないと従者たちにも評判だ。俺が尖った耳の裏あたりをくすぐってやると、喉を鳴らしながら頭をこすりつけてきた。


 ただ、その手足は相変わらず、切断されて金具で固められたままだ。


 というのも傷口が焼き固められて癒着している都合、彼女の手足を再生させるには外科的な処置が必要なのだ。つまり、刃物で手足をぶった切る必要がある。


 そして今のリリアナは、そういった刃物を見せると怯えて泣き出してしまうのだ。また、ナイトエルフたちから、手足を再生させてしまうと、自我を取り戻した際に魔法で甚大な被害が出るとの懸念も寄せられた。


 というわけで――リリアナには申し訳ないが、当分、手足はこのままだ。


 まあ、俺や周りの者が丁重に世話してあげるから、犬としては不自由してないんだけれども。


『いいか、お前たち。彼女は丁重に扱うように。何かの間違いで、俺と彼女の関係が悪化してしまえば、奇跡の恩恵に与れなくなる可能性があるからな』


 と、俺が念押ししたこともあり、使用人たちがリリアナに辛く当たることはない。ナイトエルフたちでさえ、ちょっとイヤそうな顔をする程度に抑えている。



 ――おかげで、ここ数日の訓練では、人族を犠牲にせずに済んだ。



 ただ、それで人族の奴隷が『助かった』のかと言うと――違う。別件の治療で消費されるだけだ。


 せいぜい数日、余計に生きながらえただけだろう。


『自分が犠牲にしなくなったぶん、禁忌の力が得られなくなって損かもしれん』


 などと、アンテは言い出す始末。


 一理ある。


 しかし俺が何十人も余計に消費しなくなったおかげで、身代わりの奴隷たちの出番がちょっとずつズレて、いつか魔王国が滅んだとき、助かる命もあるかもしれない。


 俺が禁忌の力を損しているのも確かだが――まあ、それは、よしとしよう。


 どうせ力を得る機会なんて、これから嫌というほどやってくるだろうから――


 そんなことを考えつつ、リリアナの頭を撫でる。水晶ガラスの窓の向こう、後方へ流れ去っていく魔王国の夜景を眺めながら。



 ふと、視線を感じた。



 見れば対面、ソフィアの隣に腰掛けるガルーニャが、じっとリリアナを見ていた。



 凝視していた。



 真顔。しかしはみ出た尻尾がゆらゆらと揺れている。メイド服のスカートをぎゅっと握りしめている。



「……あっ」


 俺と視線がぶつかって、ガルーニャが慌てて目を逸らした。


「ガルーニャ、お前もこっちに来い」


 俺が手招きすると、おずおずと横に移動してくるガルーニャ。


 その喉に手を伸ばしてくすぐるように撫でると、すぐに目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


『なかなか様になっておるではないか』


 アンテがからかってくる。


『左手にはハイエルフの犬、右手には真っ白モフモフな美猫。両手に花とはこのことじゃな』


 ――さらに言えば、俺の対面のソフィアが非常に冷ややかな目を向けてきていた。


「……まるで王子様みたいだろ?」


 俺はおどけて笑ってみせた。


「知りません」


 ふン、と鼻を鳴らしたソフィアは、胸元からクソ分厚い本をずるりと取り出して、そのまま読み始めた。


 道中は暇だから呪文でも習おうかと思っていたが、こういう時間も悪くはない。


 俺は、先ほどの居心地の悪さもすっかり忘れて、背もたれに身を預けながら、両手の感触を楽しむのだった。

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